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近年,STSにおいても医療あるいは医学の観点からの研究が行われるようになってきました.しかしながら少なくとも日本においては,これまでSTS研究者と医学史あるいは医療社会学関連の研究者との交流が十分にあったとはいい難い状況にあります.そこでこれまでの医学史あるいは医療社会学の研究蓄積を踏まえつつ,今後STSにおいてこの問題をどう捉えるか,また逆にSTSの観点から医学史あるいは医療社会学にどのような知見を提供できるかを検討するための研究会を立ち上げることにしました.この問題に関心を持つ方,ぜひふるってご参加下さい.


第1回 STS Network Japan 医療とSTS研究会

発表者 梶谷真司(帝京大学文学部国際文化学科専任講師)

テーマ 「医療の多元性と多層性――アーサー・クラインマンの医療人類学の意義と方法論」

日時 2005年2月24日(木) 14:30〜
場所 東京大学先端科学技術研究センター13号館225室
(最寄り駅:小田急線・東北沢駅より徒歩7分、井の頭線・駒場東大前駅より徒歩10分。詳しくは以下をご覧下さい。)
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/map/map-j.html

現代の医療は、私たちの意識や行動にどんな影響を与えているだろうか。身体や病気・健康、自然や社会に関する私たちの見方は、それによってどれくらい変わったのか。また異なる時代や文化の見方とどう違うのか――今日の日本では、この問いに対して、ヨーロッパに由来する近代医学の見方によって答えることが多い。だが問題はそれほど単純ではない。日本を含めて多かれ少なかれ西洋化された社会では、その他にも様々な代替医療や伝統医療が共存している。それぞれに特有の理論や実践を明らかにして対比することはできるが、問題はそれらの間に立つ私たちの意識や行動のあり方なのだ。こうした医療の多元性に加えてさらに厄介なのは、それが“誰にとって”の医療なのかという問題である。ある医療体系のもつ意味や影響は、その専門家と一般の民衆で同じなのだろうか。医者と患者の立場の違いは、身体観や病気観に差異をもたらさないだろうか――こうした複雑さ、曖昧さは、不用意に単純化したり明確化してはならない。おそらくそれは、現代の医療と関わる私たちが身をおく“現実”そのものの性質だからである。ではこのような“現実”をどのように捉えればいいのか。今回は医療人類学者アーサー・クラインマンのテキストを手がかりにして、方法論と問題点を考察してみたい。

Arthur Kleinman(アーサー・クラインマン)テキスト

Patients and Healers in the Context of Culture. An Exploration of the Borderland between Anthropology, Medicine, and Psychiatry, University of California Press, 1980
『臨床人類学――文化のなかの病者と治療者』(大橋英寿・作道信介・遠山宜哉・川村邦光訳)弘文堂, 1992。
*特に第1章から第3章。
The Illness Narratives. Suffering, Medicine, and Psychiatry, Berkley / Los Angeles / London: University of California Press, 1988.
邦訳:『病いの語り――慢性の病いをめぐる臨床人類学』(江口重幸・五木田紳・上野豪志訳)誠信書房, 2004(第1刷1996)。
*特に第1章。
Writing at the Margin. Discourse between Anthropology and Medicine, Berkley / Los Angeles / London: University of California Press, 1995.
*特に第1章(Introduction)と第2章。




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