改めて原子力「平和利用」を問う――即発臨界と原爆

安孫子誠也 聖隷クリストファー看護大学
 e-mail: abiko@ceres.dti.ne.jp

 10月14日付『中日新聞』によると、今回のJCO臨界事故は「即発臨界」から始まった可能性が極めて高いとのことである。通常の原子炉内での臨界は「遅発臨界」によって生じるが、この「即発臨界」というのは原爆の核爆発の際に生じる現象であり、核分裂反応が千分の一秒単位という短時間に急激に進行して人間による制御が不可能になる現象だとされている。今回、「即発臨界」が発生したとする根拠は、1.7キロ離れた日本原子力研究所那珂研究所のモニターが捕らえた環境中の中性子量データである。それは、臨界発生直後の9月30日午前10時35分すぎに、中性子量を示す値が、通常値やその後に続いた「遅発臨界」を示す値の数十倍の値にまで跳ね上がったことを示していたのである。『中日新聞』にも述べられているように、今回の事故では核燃料の量そのものが原爆とは比較にならないほど少ないので、原爆ほどの惨事にまで至る可能性はなかったものの、何が起こっても不思議がないという事態であったことには違いはないのである。
 今回のJCO臨界事故に関しては、様々な角度から論評がなされている。10月5日付『読売新聞』誌上では中島篤之氏が、民間人・民間企業の自主管理の必要性を論じ、10月6日付『朝日新聞』誌上では長谷川公一氏が、原子力委員会の機能不全を指摘して日本版NRC(米原子力規制委員会)の必要性を訴えた。さらに、野村元成氏は10月14日付『読売新聞』誌上で、科学技術庁・原子力安全委員会などの安全審査機関がチェック機能を果たさず、司法機関もまた安全審査の責任を放棄していると指摘した。これらの意見はいずれも妥当な指摘であり、この機会に原子力安全管理のあり方を見直さねばならないことは言うまでもない。しかしながら、ここで述べたいのは、この「即発臨界」を示すデータを前にして果たしてそれだけで充分なのかという点である。
 今日の原子力利用が、第二次大戦中の原爆開発にその起源をもつことは誰もが承知している。原爆は典型的な破壊技術なのであり、その点で第二次大戦中に軍事技術として開発されながらも戦後に平和利用が推進され産業に大きくかつ安全に貢献しつつある他の技術―コンピューター技術やマイクロ波技術など―とは区別される。根本的な違いは、原子力が原子核技術であるのに対して、コンピューター技術やマイクロ波技術は基本的に電子技術だという点である。原子核技術における個々の要素過程に関与するエネルギーの大きさは、電子技術におけるそれの10の6乗倍にまで達するのである。B29で運搬可能なほど小さい原子爆弾のもつ巨大な破壊力や、人類や生物に対する発癌作用をも含む深刻な放射線障害創出の起源はこの点に存在する。さらに付け加えれば、生物的過程をも含む化学的な過程もまた電子的な過程なのであり、同じく破壊技術でありながらもダイナマイト技術の安全管理が容易であることは、それが基本的に化学技術であることに由来している。このように、人類という生物が行う産業活動には、生体内で生じる生物的過程と類似の過程である電子的ないし化学的過程の運用が相応しいのである。
 第二次大戦中に破壊技術として開発された原子力は、戦後に膨大な技術蓄積と原子力関連施設とを残した。戦争の終了とともに投資に見合うだけの用途を見出す必要に迫られ、さらに、そこに冷戦が勃発して原子力技術のさらなる維持発展が要求されるようになった。このような背景のもとに、1953年国連総会においてアイゼンハワー大統領による「平和のための原子力」演説がなされ、それを契機として形成された国際原子力体制に対して、わが国もその一翼を担う結果となった。すなわち、原子力平和利用は、冷戦という背景のもと緻密な検討を経ぬままに、慌しく行政主導によってわが国へと導入されていったのである。
 このような「見切り発車」的な事情を如実に示しているのが、核廃棄物処理技術の欠如である。通常の産業技術であれば、廃棄物処理技術が確立された後に産業へと導入されるのが常である。しかしながら、原子力平和利用の場合には、核廃棄物無害化処理方法が分からぬままに、「見切り発車」的に産業へと導入されてしまったのである。このような危険や環境負荷を承知の上で、あえて敢行するというのは、通常は戦時以外に考えられないことである。したがって、原子力平和利用というのは、その字面とは裏腹に、実際には原子力冷戦利用であったといえるのである。
 現在、原子力発電コストの見積もりがなされ、火力発電コストとの比較がなされたりもしている。しかしながら、この原子力発電コストの中には核廃棄物(この中には耐用年数を過ぎた廃炉も含まれる)の貯蔵管理費用は含まれてはいない。これから何百年もの長期間に渉って発熱し続ける核廃棄物を冷却しつつ漏出防止の管理をしてゆくために、どれだけの費用を要するのかは想像を絶している。核廃棄物無害化処理方法の開発の目途は立っていないし、これからも立つことはないであろう。(いわゆる「核燃料リサイクル」は意図的になされたミスリーデイングな名称であると思う。再処理工場では原子炉を上回る核廃棄物が発生するのであり、通常の産業でのように廃棄物がリサイクルされる訳ではない。)
 さて、今回の「即発臨界」から始まったと思われる事故であるが、これは基本的に「常陽」という高速増殖炉実験炉のための核燃料を作成する途上で発生したものである。通常の軽水炉のための核燃料であれば、5%以下の低濃縮ウラン燃料なのであるから、燃料作成の途上で臨界に達するということはまずあり得ない。しかしながら、高速増殖炉のためには19%という高濃縮ウラン燃料が必要となり、その燃料作成の途上で今回の臨界事故が発生したのである。すなわち、今回の事故は高速増殖炉開発と切っても切れない関係にある。高速増殖炉開発を続ける限りは、いかに安全管理を徹底しようとも、このような事故が再び繰り返されることになるのは必至だと思われる。ここで問題となるのは、欧米各国が撤退してゆく中で、なぜわが国だけが高速増殖炉開発に血道を上げ続けているのか、という点である。
 欧米各国が高速増殖炉開発から撤退していった背景には、1990年代に入ってからの冷戦構造の崩壊という背景があることはいうまでもない。高速増殖炉は、容易に原子爆弾作成を可能にするプルトニウムを創出するのであり、高速増殖炉開発と冷戦構造とは切っても切れない関係にあった。したがって、わが国だけが高速増殖炉開発を続けているという事実は、欧米各国が冷戦構造から脱皮してゆく中で、一人わが国だけが冷戦構造から脱皮できずにいることを示しているのである。その原因は、わが国の産業経済体制が深く冷戦構造体制に侵蝕されてしまっているからでもあるのだろうし、また、わが国の行政様式に特有の社会的慣性の強さによるものでもあるのだろう。
 JCO臨界事故以来のSTSNJメーリングリスト上での発言や、7月30日に行われたワークショップ「21世紀の科学技術と日本社会」での発言を見ていると、以上のような基本的な点が曖昧なままのものがときどき見受けられるのを心苦しく感じた。原子力問題を論じる以上は、次のような基本的な点は踏まえておく必要があると思うのである。
1.原子力「平和利用」は、核廃棄物処理技術が未開発のままに、見切り発車的に導入された。
2.そのような見切り発車的導入の背景には冷戦構造があった。
3.わが国だけが高速増殖炉開発を続行している事実は、わが国だけが未だに冷戦構造体制から脱皮できずにいることを示している。

 このような観点に立った上で、私としての提言を述べれば次のようになる。

1. 高速増殖炉開発計画は即座に中止する。

2. 新規の軽水炉建設は見合わせる。

3. 現在運転中の軽水炉については、安全管理を徹底した上で暫く運転を続けるが、新エネルギー源と関連する従業員の転職先の開発を待って順次閉鎖してゆく。

 以上である。




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