STS Network Japan '99 夏の学校 初参加者感想





岡田大志(東京工業大学)

 今回初めて「夏の学校」に参加させていただいた、東京工業大学の岡田です。
 まずは「夏の学校」の全体的な感想を。第一に、内容の密度の濃さに圧倒されました。宿舎に到着してすぐに、報告・発表がノンストップで続き、参加者の議論も止まらない。私は3日目の朝に帰りましたが、その日の発表も前日同様にエキサイティングなものだったのでしょう。次に、大学院生を中心とした20代の若手研究者が、この夏の合宿に多数参加していたこと。そして彼らが中心となって会の運営や、報告・発表を進めていたこと。これが強く印象に残りました。どんな研究組織でも、若手が多いということは重要なことだと思います。
 次は私個人に引きつけて。今回参加して良かったと思うのは、同世代の研究者が科学論・技術論を始めとしたSTSの議論に、真剣に取り組んでいることを見せられたことです。これは2日目の朝食時だったと思いますが、参加者の一人が、確かこう言っておられました。
「歴史をやるって言ったって、誰も見ていない資料を使って『○○がわかりました』ってのは誰でも出来る。問題は資料を読む前に何を問題として意識しているかで、資料はそれを確かめるために読むものだ。」
 普段、歴史資料を用いて研究している私には、資料に対して受け身の姿勢になってしまうことが度々あります。何か資料が出てくるたびにあっちへ、こっちへと自分の考えが流されてしまうこともあります。今後研究者として科学史・技術史に関わっていくためには自分の問題意識を明確化して、論理づける必要があるでしょう。そして、そのためのトレーニングとして、STSの議論は有効ではないかと考えます。今回「夏の学校」に参加して、改めて自分にとってのSTSとの関わり方を考えさせられました。






夏目賢一 (東京大学)

 今回の夏の学校に参加して最初に感じたことは、様々な立場の人が参加しているということ、そして参加者の年齢層でした。これは私の予想と少し異なりました。
 私は今年の4月より東京大学で科学史を専攻することになるまで、金沢大学の大学院でプラズマ物理学を専攻していました。そしてプラズマ物理学の分野でも夏の学校がありました。そこには研究者の卵たる大学院生をメインに、講演者として招かれた若干の先生方が参加します。ですから、その参加者の大半の立場はまず理工系大学院生であり、参加者のイメージはそれを崩さない『理工系的実験系的』なものでした。
 ところで私はSTSの議論に時として見られる『対科学者』的な発想に違和感を感じてしまいます。『科学者』と『科学者以外の人』とはおおまかに言えば、高校における進路選択の段階、あるいは就職活動の段階に起因するだけではないかと思います。だから確かに研究生活の中で教育される、あるいは背負わなければならない政治的社会的立場・態度の違いはあっても、その研究生活以外での社会生活は当然あるわけで、総括すると根本的な部分で社会に対して求めるもの、そして最終的な行動はそれほど異ならないと思います。(けれどもそれ以上に理系的・研究者的人格とも呼べそうなものが確かにあるようにも感じるのですが。)
 話がずれました。それに対してSTSNJの夏の学校では、やはり様々な人が参加しており、様々な関心や研究方法があるなと感じました。確かにこれはSTSをめぐる問題意識が広範囲であり、それに対する研究者の母集団が少ないために当然のことなのでしょう。理工系分野では研究方法・分野が組織内で決まっているため、個人のちょっとした研究成果も組織内で蓄積されますし、それゆえ総合的に発言力も増します。けれどもこのように個人によって方法が異なれば、その方向性もまさに“ネットワーク”的に分散してしまい、個人がよほど研究成果をあげなければ社会的な発言力が出ないのではないか、少なくとも上から科学技術一般を論じ、それによって科学技術の舵を取ることは難しいのではないかと思えます。それとも在野的に科学技術の矛盾点を実証的方法で個々についていくことにこそ、STSが説得力を持つ本領があるのでしょうか。確かに後者には説得力があると思いますが、前者を論じたいという傾向こそが(私も含めて)かなりあると思います。そして、この点をどう折衷して説得力を持たせていけばよいかということが、この夏の学校で一番感じ考えて、そして今後の課題となったことでした。






佐藤卓

 私はこれまで「科学論」を勉強してきた。だから、科学・技術が社会に与えるインパクトというような問題を考えることも、科学論の延長線上にあるものと思ってきた。
 「夏の学校」では、しかし、発表者の視点は従来の科学論の範疇にとどまらなかった。「夏の学校」での発表は、私が学んできた科学論の範疇を超えており、言ってみればてんでんばらばらのテーマが扱われた。けれどもそれらに共通するもの、「夏の学校」という場で発表する理由/動機は、STSという問題意識であったように思う。科学・技術に対し、科学論にとどまらないさまざまな視点があり得るということは、それだけ現代社会において科学・技術の持つ力、あるいは与えるインパクトが大きいということの証左となるだろう。そしてSTSという問題意識は、科学・技術が、現代社会に生きる私たちに対して要請したものだと言えるだろう。
 「科学」に対する批判的営為として始められた科学史・科学哲学・科学社会学などのいわゆる「科学論」も、現在では一つのdisciplineとして成立していると言えるだろう。教科書があり、専門家(と名乗る、あるいは称される)人々がおり、学会やジャーナルがあり、それを専ら扱う教育・研究機関がある、といった状況からみても、科学論を一つの学問分野とみることは妥当ではないか。
 私はSTSが一つの学問的disciplineではあり得ない、ということを強く感じている。それは、いささか使い古された表現ではあるが、「学際研究」ないし「総合研究」のようなものだと思っている。STS的な問題に取り組むための武器は多い方がいい。「夏の学校」では、私がこれまで知らなかった新しい武器を見せてもらったような気がする。

 STSの合宿というものに誘って頂いたときには、職も学籍もないただのプータローが参加するにはちょっと敷居の高い「研究会」のイメージが強く、参加するにあたって実はそれなりの心の準備が必要でした。けれども、参加してみて、自分なりにSTS的な問題に取り組んでいくための力を頂いたような気がします。参加者の皆さん、そして運営の労を執られた方々に、お礼申し上げます。ありがとうございました。







[戻る]
Copyright (C) 1999, STS Network Japan
All rights reserved
For More Information Contact office@stsnj.org