1999年 STS NETWORK JAPAN 夏の学校報告

夏の学校'99 実行委員長 隠岐さや香(東京大学大学院)


統一テーマ 「人文社会科学とSTS」
7月24日(土)〜26日(月) (於:関西地区セミナーハウス)

1. 読書会「スタンジェール『科学と権力』松籟社、1999年を読む」
中村征樹(東京大学)他
2.「語りと医学理論」
松山圭子(青森公立大学)
3.「医学医療の人類学」
川崎勝(山口大学) 
4.「ラディカル環境アクティヴィズムの一断片」
金森修(東京水産大学)
 
5.「WTO体制下の食品中残留農薬問題に対するSTS的アプローチの可能性」
中島貴子(東京大学先端研)
6.「将来における科学技術の制御について」
加藤源太郎(神戸大学)
7.「EASSTにおける知政学:欧州の社会科学とSTS」
藤垣裕子(科学技術政策研究所)
8.「なぜ,そしていかにして科学・技術は人文・社会科学の対象になるのか」
平川秀幸(国際基督教大学)
9. 講演会 「社会構成主義とはなにか,そのアプローチで科学を研究することの意義やメリットについて」
シーラ・ジャザノフ(ハーバード大学)
10.「科学哲学とSTS」 
成瀬尚志(神戸大学) 
11.「人文・社会科学史の試み:科学的知の系譜学とその射程」
隠岐さや香(東京大学)
12.「社会科学の動員 -誰のために社会は記述されるか?-」
春日匠(京都大学)

 全てが突然のことだった。去年初めて夏の学校に参加し、懇親会の席で「夏の学校実行委員長をやらない?」との話を頂き生返事のままうなずき、気がついたら今年の事務局会議で決定していた。前任者の方からそういう伝統があると聞いてはいたのでさほどの驚きはなかった。が、任命されてからもいささか現実感に乏しかったようで、しかも間際になって自宅のパソコンが壊れるなど事故も重なり、プログラム作成や事務手続きには予想通り手間取ってしまった。そして気がついたら当日になっていた。
 では、個人的な話はそのくらいにして本題に移ろう。今回の夏の学校のテーマは「人文社会科学とSTS」である。このテーマは、(1)科学技術に対する人文社会学的研究の一つとして、STSが他の人文社会科学から何を学べるか、また逆に、何を提示できるか、そしてどう連携していけるかについて方向性をさぐろうとする。(2)近代国家を論ずる上で無視できない社会科学に対するSTSを考えてみる。という二つの切り口を提示するものであった。そして、今回は例年通りのテーマに沿った報告の他、二日目の午後にハーバード大学教授であり国際科学社会学学会会長であるシーラ・ジャザノフ氏をゲストにお迎えして科学の構成主義的研究に関してご講演頂くというビッグ・イベントを予定していた。
 当日は晴天に恵まれ、総勢36名の方がご参加くださった。上述のように盛り沢山な企画も皆様のご協力とご助力の下無事進行し、その間も議論は尽きず短いくらいの三日間であったように思う。そこで以下、夏の学校でなされた報告及び議論を筆者の個人的な感想をも交えて簡潔に紹介させていただきたいと思う。なお、文中の記述に誤りがあればそれはひとえに筆者の責任ゆえ、ご指摘頂きたい。

 まず、夏の学校プログラムの冒頭を飾ったのは、新規参加者を念頭に置いたSTS入門編として用意された院生若手研究者によるスタンジェールの読書会だった。先端科学技術を前にして民主主義はどう機能できるかという大きな問題を具体的な事例と共に論じた同書の紹介と質疑応答とが行われた。
 入門編のあといよいよメインということで、まずは松山さんから報告が行われた。同報告は文学、哲学的な方法論をSTSに積極的に取り入れた分析の良例を示すものであったといえよう。具体的にはK. M. Hunterの著作(Doctors' stories : the narrative structure of medical knowledge,Princeton Univ. P., 1991)やシービオク夫妻の著作(『シャーロック・ホームズの記号論 : C.S.パースとホームズの比較研究 』 富山太佳夫訳、東京 : 岩波書店, 1981)をひきつつ、医者の語り及び医学理論の言説を読み解き、それらがどのように構成されているかが論じられた。探偵が僅かな手がかり(決して科学的な検証に耐える類の確実なものではない)をもとに、クライアントとの対話によって「真実の推理」という物語を構築していくのと相似なプロセスが医者と患者の間でも進行する。その際にはメタファーやパースのいうアブダクションが大きな役割を果たすのである。こうして言説は編成され、その集成としての医学理論においては普遍的な科学の対象としてのdiseaseが個別で俗なるものとしてのillnessとが対置されるなど、自らの「正しさ」を際だたせる戦略が言説レベルで取られるのである。
 夕食を挟んだ夜のセッションでは川崎さんの報告がなされた。人類学的アプローチからのSTSとして、医学部所属となられた体験を生かして行われた死体解剖実習のフィールドワークをもとに報告は展開した。死体解剖実習は医学生にとって「パラダイムの修得」の場であり、医者という共同体の一員になるための通過儀礼そのものである。その課程で、まず、素人の学生にとっては当初不気味な「人間の死体」でしかないはずの「ご遺体」が「はじめての患者」として普遍名詞としての患者=ヒトと認識され、親しみの対象に変わる。次にそれを通り過ぎると最後には再び、解剖という「作業」の対象として格別な恐怖も親しみも必要としない「モノ」として見れるようになる。この課程を経た学生は専門家としてのダブルシンク(矛盾する二つの考えを同時に持てること)を修得している。すなわち、個別の人間を治療対象としてのモノと見ることと、患者というモノを人間と見ることとが矛盾無く両立してしまうのである。こうして日常世界と科学的世界は医療者の内部において接合する。空間レベルでその接合が生じているのは病院である。ところで、素人は決して日常世界のみを生きているのにあらず(素人なりのダブルシンクがある)、医者も科学的世界を生きているわけではない。しかし専門家/素人と互いを認識したその時から相互の果てしないすれ違いが生じるのである。川崎さんは医学部所属のSTS研究者として双方の架け橋の役目を果たせたらとのコメントをされたが、会場からは報告者のポジショニング(どの立場にあるのか)の厳密な位置づけを求める意見が出て活発な議論になった。一同、参与観察の難しさを考えさせられた。
 二日目の朝は金森さんの報告で幕を開けた。報告ではラディカル環境アクティヴィズム、なかでも1980年代のアメリカ西部で最も重 要な足跡を残したアースファースト(Earth First! )のことが取り上げられ、その活動原則が実に一貫した思想的誠実さをもっていたということが多様な観点から論証された。そして、ディープエコロジーという一つのエコロジー思想に根ざし、かつ生態学などの自然科学的な知識を背景に持つ環境アクティヴィズムは、「地球環境問題」という巨大な問題構制が単なる自然科学的な位相のなかだけで議論されうるものなのではなく、必然的に社会的・倫理的・思想的など、多様な人文社会科学的問題群とも交錯するという事実をいやおうなく再確認させてくれるものであることが提示された。特に「科学と社会」との錯綜の様態を探るというSTSにとってこの問題群への目配りは欠かせないことが強調されたが、筆者もそれは同感であった(なお、報告の更なる詳細は『現代思想』8月号掲載の金森さんの論文を参照のこと)。
 続いて中島貴子さんからWTO体制下の食品中残留農薬問題を題材に、既存の公共政策過程論や法学に対してSTSが貢献出来ること及び学ぶべきことなどについてご報告頂いた。報告では日米農業摩擦を背景に日本の市民団体が厚生省と農薬企業を相手どって提訴した「新・残留農薬基準取消し訴訟」(1992--現在)がメイントピックとなった。ガット・ウルグアイラウンド農業交渉以来の農産物貿易の自由化の流れは、それまで非関税障壁とみなされてきた各国個別の残留農薬基準を国際的に平準化する動きに繋がったが、その結果各国で新たな論争がまき起こった。上述の訴訟の発端は国際基準をもとにした新基準がポストハーヴェストを許容するなど数値的に現行基準より甘いことに対する市民団体からの異議申し立てであった。中島貴子さんはこの訴訟で行われたSTS的アプローチの具体的な成果として以下の二点を揚げた。まず第一に、新・残留農薬基準取り消し請求訴訟を毒性データに関する文書提出命令申し立て事件へと発展させ、日本の農薬行政史上初めて、メーカー側から裁判所に毒性データを提出させたことである。第二に、農薬の人体毒性評価に関する日米のレギュラトリーサイエンスのあり方の具体的な相違を指摘できたことである。この成果から読みとられるのは毒性物質の人体への許容摂取量といった一見「科学的」な値も社会的正統性の形成過程の差異に影響を受けるということである。以上、この訴訟においては情報公開やレギュラトリーサイエンスのあり方自体が問題の俎上にあがっており、既存の法学、公共政策過程論と手を携えたSTSのあり方を見いだせるものである。そして裁判の獲得目標は、市民と専門家相互の対話が可能な政策論議の場を発展させることであろうとして報告はしめくくられた。
 午前の部を締めくくったのは加藤さんである。STS研究と社会システム論を架橋してリスクマネージメントに対する研究の枠組みを提示しようという野心的な試みの報告であった。まず、制御の問題として欠かせないリスク論の視点から、政治的民主主義の適用によるリスクコントロールの方向性を提示し、次に従来のSTS研究ではあまり見られない「自己制御的な論点」の必要性を提示するために科学が自律しているとも考えられる視点が社会システム論によって導かれた。そして、リスク回避に対する内的制御と外的制御を分けた上で、将来における科学技術の制御に必要なのは、内的な「自己モニタリング」と外的・公共的な「科学への参加」およびそれを可能にする社会条件の整備であると結論づけた。ここで議論の争点となったのは「科学の自律性」およびそれを前提とした内的な自己モニタリングの可能性という論点である。報告者が指摘しているように、STSにおいては科学領域の自律性の崩壊を前提に自律制御以外の機構へのクローズアップや応用科学的領域を媒介にした外部からの接続といったアプローチが主流である。しかし報告者は社会システム論的立場から科学に対してコミュニケーションを接続することが唯一可能なものは科学であり、その原因を科学内部からの排外的な権力作用による自己保存機能に帰した。社会学的立場からSTSに対する生産的な挑戦を挑む報告であり、会場との間で活発な議論が営まれた。
 午前中のセッションが議論の白熱により時間不十分と見られたため、急遽午後の冒頭に総合討論を付加した後、藤垣さんの報告に移った。サイエンス・ウォーズに対する米欧の状況の違いを導きの糸に、欧州における社会科学とSTS、科学の関係と権力の付置を概観し、そこから日本の状況とこれから取るべき方向性の検討が行われた。教育資金配分の議論に政策の道具として利用された米国STSと異なり、欧州のSTSは独立した学問分野としての社会的地位が高く、科学者、政策研究者、行政官の三者と協力関係を築いている。その背景には科学技術系予算の緊縮財政が行われた80年代を通じて、社会科学系の研究者を中心に積み重ねられた科学技術政策関与の実績があった。欧州に比較すると米国のSTSは学究的な色彩が強く、政策研究者、行政官との対話に乏しい。また、欧州STSでは知識人としての責任論やコミットメント論(公共の意見を取り込んだ政策の批判的分析と改善への具体的寄与)への関心が非常に高いが、これは合衆国にない特徴である。ここで日本の現状を見るに、発言力のある科学論、政策論研究者が共に非常に少なく、行政官と科学者の二者においてほぼ独占的に科学技術政策が決定されているといっても過言ではない。知的権威の源泉が一つであってはならないという民主主義の原則を確認する意味でも、欧州のアプローチが日本のSTSおよび社会科学のあり方に与える示唆は大きいだろう。求められるのは社会的ニーズから程良い(市場原理と同一化しきらない程度の)距離をとりつつ知識の権威からも独立したSTSのあり方である。以上、国際的な視野と広い知の領域全体を視野に入れた報告であった。
 次に、午後の報告の締めくくりとして平川さんの報告がなされた。科学がいかにして人文社会科学の対象になるかを、生物多様性条約「Biosafety議定書」を題材に論ずるものである。議定書制定時の論争からは、遺伝子組み替え生物(GMOs)を考える上では物理的リスク以上に、社会的リスク(社会経済的リスク・政治的リスク・知識論的リスク)の方が重大であることが結論づけられる。何故なら、社会的リスクの高まりは結果としてGMOsの直接的・物理的な危険性以上に大規模な生態系の不安定化・破壊をもたらしかねないからである。このような他分野にまたがるリスクが何故伝統的な知識ではなく科学知識により生じるは、前者が固有の社会的・生態的条件の共変動によって形成された生物多様性と結びつく知識・生活様式そのものであるのに対し、後者はその増大とともに際限無い社会的・自然的世界への介入を行い「世界の実験室化」(それにより生物種の多様性は損なわれ人間が制御しやすいように均質化されていく)を引き起こす存在であるという差異に起因している。また、社会的リスクのうちでも知識論的リスク(生物特許論争などに見られるような、途上国における伝統的な知識・実践の破壊)は他の社会的リスクを高める要因であり、まさにSTSの問題系そのものである。科学が関わるリスクを評価する際の不確実性を前にして、予防原則の適用要求と科学的厳密性の要求が対立する事例は多いが、社会的リスクを軽視して科学的に評価可能な物理的リスクのみに焦点をあてるのは問題の正しい解決ではなく矮小化でしかない。また、表面上「科学vs.社会」と見えているものは科学的合理性と社会的合理性の対立などではなく、実は社会的対立なのである。従って、人文社会科学(とその一分野としてのSTS)はこうした表面上の図式の下に隠れた社会的対立をえぐり出すことにより、効果的に科学の問題(と一般に思われているもの)を対象にすることが出来るものなのであると報告は結論づけた。
 さて、ここで二日目の報告は一段落し、休憩を挟んだ後はいよいよ今回の夏の学校のメインイベントとも言うべきジャザノフ氏の講演会を待つばかりになった。参加者全員が事前に配布された氏の論文、「科学は社会的に構成されているか--科学はまだ公共政策に役立つことができるのか?」(平川秀幸訳、Sheila Jasanoff," Is Science Socially Constructed: Can It Still Inform Public Policy?", Science and Engineering Ethics,Vol.2 Issue 3, 1996:263-276)を読み、平川さんが参加者を代表して論文の論点を明確にする質問を提示、ジャザノフ氏がそれに答えるという対話形式を取りながら講演会は行われた。氏のコメントは近年サイエンス・ウォーズなどで論争の焦点となっている「社会構成主義」について認識論的、方法論的側面からわかりやすく論じるものであった。一部の隙もなく緻密に組み立てられた内容ながら、それを入門者から専門の研究者まで幅広い層が同時に理解出来る言葉で語りかける氏の知性の奥深さは参加者に深い感銘を与えるものであった。だが、その詳細をここでつまびらかにすることは筆者の能力をも本稿に許された紙面をも超えるものである。よって、夏の学校時のジャザノフ氏の講演についてはニューズレターとは別途発行予定のワークショップ(7/30、31開催、ジャザノフ氏にはコメンテーターとしてご参加いただいた)の報告に付録の形で掲載することし、まことに恐縮ながら本稿では割愛させていただく。
 こうして、活気あふれる議論と熱気のうちの二日目は終わった。そして最終日、塚原さんの司会の下、大学院修士の若手研究者三人が科学哲学、科学史、文化人類学という「人文社会科学」の立場からそれぞれSTSに関係する問題設定で報告を行った。なお、ここで前日のプログラムから時間の都合上急遽三日目に変更になった報告者などがあり、その都合上塚原さんには予定されていた報告を取りやめて頂いた上、議事進行役をお願いするというご迷惑をおかけしてしまった。この場を借りお礼と当日の不手際へのお詫びを改めて申し上げたい。
 さて、開幕を飾ったのは成瀬さんであった。科学哲学の立場からSTSを論じるという試みの報告である。まず、科学哲学とSTSの対象とする問題設定が異なっていることが指摘され、前者は科学の本質や構造の解明といったいわば「後知恵的な論理関係」に取り組んでいるのに対し、STSは実際の社会における科学のあり方という「活動中の科学」を対象にしていると位置づけられた。しかし、現実の科学は前者のような「知識としての側面」と後者の「実践としての側面」双方を兼ね備えたものであり、科学哲学とSTSが分裂したまま住み分けてしまうのは生産的ではないと成瀬さんは指摘する。例えば、ラカトシュの「科学的研究プログラム」は科学の「合理的再構成」であり、いわば「後知恵」の徹底そのものであるが、彼の理論は科学の合理性が科学的合理性に以外のものからは説明され得ないことを明らかにしているともいえる。すなわち、科学の合理性は科学内部の問題設定でない外部の文脈(科学の社会的意味など)では充分な正当性を持ち得ないことが帰結され、科学の「合理性」は絶対的普遍性を失ってしまうのである。しかし、例えば安全問題などを考えるにあたり、他に類を見ない高さを誇る科学の問題解決能力に頼らざるを得ないのも事実である。従って我々は絶対的な合理性から導かれる「絶対的な安全生」の不可能性を意識し、科学の不十分性に注意を払いつつ科学を用いねばならない。そして、その不十分性を理解するにあたっては科学の構造や方法論、科学的説明のあり方を適切に理解するのは不可欠であり、例で示されたようにこれらは科学哲学の研究対象そのものである。故に、ここにおいて、STSと科学哲学が建設的に接合できる局面が見いだされるとして報告は締めくくられた。
 続いて、筆者・隠岐が科学史を専攻する立場から、欧州で進行中である社会科学史のディシプリン化の動きを自然科学史と対比させる形で報告した。具体例としては1986年の人文科学史学会(SFHSH) http://www.msh-paris.fr/sfhsh/設立を取り上げ、人文社会科学史を取り扱った研究が歴史学、政治学、経済学、教育学など各領域から分野横断的に生まれつつある状況を簡略に紹介した。そして、そこに至るまでの背景として、1960年代以後の政治的・社会的状況の変化がもたらした社会科学を初めとする人文各分野の脱科学主義化と、それにより人文社会科学全体に見直しの気運が高まったことを指摘した。見直しの具体的な枠組み・手段を提供したのは言語論的展開などを初めとする思想・方法論的変化であり、とりわけ自明視されていた概念の歴史的構築性に着目する視点は豊かな実りをもたらしたのである。ところで、STSは自然科学のもたらす社会問題を考察する社会科学であり、かつては自然科学の正当性の基準が社会科学を一方的に裁いていたが、STSと自然科学の関係はその構図を逆の図、もしくは相互作用的構図へと積極的に変換させようとするものである。しかし、その際に社会科学にとって重要なのは、対象を分析すると同時に自らの認識論的基盤と出自を問い直し続けるという視点を自然科学にも不断に持ち込もうとすることである。ゆえに、社会科学史と自然科学史がSTSと連携し実りをもたらすことが出来るのはまさにこの点においてだろう、と筆者は締めくくった。
 そして、春日さんが夏の学校最後の報告をつとめた。科学哲学、科学史専攻の前二者の報告に引き続き、文化人類学専攻において得られた視角を生かして自然科学と人文社会科学の関係のあり方を探ろうとするものであった。具体的な題材となったのは、自然科学と人文社会科学の融合をはかる思想の起源の一つとなった1940-50年代のサイバネティクス会議である。報告によると、同会議は当時アメリカを代表する文理双方の学者達を結集させたものであり、それが実現した理由は以下の二つにあった。第一には生理学、情報科学、気象学などにおける幾つかの革新が、より複雑な事象の数学的モデル化を可能にしたこと、第二には、自律的な文化・社会をあたかも制御可能な客体であるかのように扱おうというアメリカの国家戦略上の要請があったことである(例えば大戦中の敵国、日本の研究など)。しかし、そうした歴史的経緯は一方で社会科学を数学のロジックに無批判に適合させ、変質させていくだけの結果に終わった側面もあった。そのため、社会科学者側をリードしたベイトソンなどは、後年、会議の成果の一つであるゲーム理論などに対する批判を強め、晩年は認識論に傾倒していったのである。彼の「自省」はその後継者達によって反照的に自然科学批判に展開し、人類学を初めとする人文社会科学領域に着実に蓄積されているという。春日さんはそれらの認識論的成果を踏まえた上で、例えば Science Warsに代表されるような自然科学者・非自然科学者両陣営のコンフリクトの原因は、社会を工学的に扱おうとする視点があるところに生ずる自然科学と認識論の相互侵犯にこそ由来するのであり、スノーの『二つの文化』のように静的で独立した二つの領域が互いに共訳不能なものとして存在することが原因なのではないと結論づけた。
 以上、夏の学校においてなされた諸報告をざっと振り返ってみたが、プログラムからもお分かり通り今回は非常に盛り沢山の内容で、議論も多岐にわたっていた。紙面の都合と筆者の記憶力の貧困ゆえ、全てをここに再現できないのが悔しい限りである。だが、人文社会科学、自然科学、STSという三つのキーワードのもと、知のあり方とその実践をめぐって様々な知的挑戦と論争が行われた三日間の雰囲気なりとも伝わればというのが筆者の願いである。

 最期に、プログラム発行の遅れや事務処理の不手際など、参加者の皆様に多々ご迷惑をおかけしたことをお詫びすると共に、ご多忙の中ご参加下さったことにお礼申し上げます。また、快く報告をお引き受けくださった報告者の皆様、副実行委員長としてあらゆる面でサポート頂いた中村さん、現地調整役として奔走してくれた神戸大塚原ゼミの皆様、そして前年に引き続き宿泊施設について多大なご助力を頂いた塚原さん、大変お世話になりました。改めてここに感謝の意を述べさせていただきたく存じます。



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