もうひとつの「想定外」原子力災害を防ぐには

野村元成



 東海村で起きた日本初の臨界事故は、核災害の恐ろしさをあらためて教えた。ウラン燃料加工施設での臨界はありえないと考えた認識の甘さが、従業員や住民の被曝を招いたのだ。この想定外は、臨界を未然に察知する警報装置がなかったことに象徴される。しかし「想定外」は他にもある。最重要なのが原子力発電所(原発)の耐震設計ではないか。
 耐震設計審査指針(指針)によって安全性が十分保障されるように設計されている。したがって原発の地震に対する備えは万全である。これが通産省の見解だ。しかし石橋克彦・神戸大学教授は現在の地震学の知見に照らすと、日本中のどの原発も「想定外」の大地震に見舞われる可能性があると指摘する。
 この大地震には複数のパターンがある。しかしここでは地震学者の間で公式に合意されていることだけに話をしぼろう。それは活断層のないところでも起こりうる直下型のマグニチュード(M)7級の地震の存在だ。一方、「指針」において考慮されているのは、すべての原発についてM6.5までである。活断層のないところに建設するという理由による。2年ほど前、石橋氏はこれを「地震科学的に完全に誤っている」と指摘した。この指摘に対し通産省は「指針は妥当である。石橋氏の見解は個人的見解であり、公知のものではない」と回答した。現在もそのままだ。
 はたしてこれは本当に単なる個人的見解なのだろうか。97年6月、文部大臣の諮問機関である測地学審議会火山部会が報告書をまとめた。過去30年間の地震学の成果を振り返ったこの報告書もまた、活断層に関して石橋氏の指摘と同様の見解を述べている。石橋氏の見解と同じ内容が公的報告の中に盛り込まれているのだ。この重大事実はいったいどれだけ知られているだろうか。
 「指針」を改めなければ、「原発震災」も否定はできないだろう。阪神淡路大震災後、村山内閣が新設した防災臨調において佐々淳行・元内閣安全保障室長は危機管理の見直しを提案した。その氏の分類を借用すれば、「原発震災」とは核・放射能危機と自然災害とが複合した災害だ。
 強い放射能のために震災地の救援は不可能になる。千、万単位の命が見殺しにされかねない。復旧も困難になり、被災地は放棄される可能性も高い。地震列島に生きる私たちがもっとも警戒しなければならない災害だ。ここで東海村事故を思い出そう。あの事故は、国による審査体制のずさんさが想定外の本質だった。臨界の可能性が高いことは理論上明白であった。にもかかわらず国の審査体制があまりにも不十分だったのだ。部外の専門家にも広く意見を求め、多面的な審査をしていれば、設計レベルでさまざまな防止策が施せたのではないか。
 原発の耐震性の不備はこれに近い。今のままでは危ない、と地震学者が公的に教えてくれているのだ。
 災害対策の基本原則は、安全管理による防災と危機管理による「減災」だ。発生を未然に防止した上で、起こりえる事態にも備えておくことである。まず大切なのは防ぐことだ。この点、「原発震災」は対応次第では防止可能なことがわかったのだ。手をこまねいている理由はない。
 ではどこから手をつけるべきだろうか。答えは明確だ。現在の地震学の知見に照らすと不備であることが判明した「指針」を見直すことだ。
 もちろん、直下型地震の規模が想定外であったとしても、それがただちに原発震災に結びつくとはかぎらない。通産省が主張する放射能の封じ込めが有効に機能することもあるだろう。さまざまな条件においてどのような事態が発生するのか、そして予測される重大事態を防ぐにはどうすればいいのか、といったことはそれぞれの分野の専門家による分析や提言を待たねばならない。
 しかし「指針」は安全性の根幹に直接かかわる。それが明確な論拠もなく否定されつづけている状況をまず終わらせなければならないだろう。
 このためには何が必要だろうか。これも答えは明瞭だ。私たち一人ひとりの声、つまりは世論だ。災害対策上、機能不全に陥っている官僚機構を正す王道は、民主主義社会においてはやはり世論だろう。
 「指針」が不適切であることに関して迷う必要はすでにない。残るは私たち一人ひとりの選択と行動だ。あまりにも明白なリスクを、官僚機構内でしか通じない「想定外」にとどめておいてはならない。




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