STS Network Japan '98 夏の学校 感想




上野啓祐(東大・科哲M1)

 この機会を提供していただいた実行委員の皆さん、そして討論を盛り上げてくださった全ての参加者に御礼申し上げます。
さて今年私は始めてこの合宿に参加したわけだが、それぞれのセッションを通して幾つかのキーワードが浮かび上がってきたように思える。それらは我々が扱っている問題の公約数ともいってよい。そのキーワードとはすなわち、専門家/素人、領域侵犯、Sc ience Wars、自己言及、である。これらは内的に連関しており、とりわけインフォームド・コンセントを扱った松山圭子氏、科学者(物理学者)の立場から発表した水野義之氏の議論の中で先鋭化した。私も職業(?)柄よく同じような難問に苛まれている。それは科学を知らずに科学について語り得るのかということである。だからといって分化したいわゆる科学を研究し始めると「科学」の全体はむしろ見えにくくなってしまう。このアポリアに解はあるのだろうか。科学と科学論の境界線はどこに引くべきなのか、あるいは引くべきではないのか。
 「領域侵犯」を手掛かりに考察してみる。
 それぞれの研究者にはそれぞれの研究分野がある。たとえば物理学者には物理的世界が、社会学者には社会がそれに当たる。これらはいわば彼らの領域とも言うべきでこれを犯されると一般に彼らは不快感を表明するだろう。しかしここで言う「犯す」とはどのような意味なのだろうか。そこには少なくとも二つの意味が含まれているように思われる。一つはその専門分野から見て門外漢(素人)が「誤った」知識を喧伝している、ということ。もう一つはその分野の方法論や研究のスタイルについてその分野以外から批判されること、である。しかしこの確立された、あるいは暗黙の方法論やスタイルは彼の人格的・経済的生存に深く関わっている。なぜなら、これを守ることで専門家は一方でその専門内での評価を得、他方外部からは報酬を得ることができる(外部からの評価は間接的なものにすぎない)からである。とりわけ報酬はその専門性に対して払われる、外部からの評価であり関係を端的に示す尺度でもある。
 経済原則からいうと、外部から報酬を得るにはその商品が売れなければならない。それはに実利性と同時に希少性が必要とされる。とりわけ研究が直に実利に結び付かないような分野では希少性が求められ、専門家/素人の区別は構造的に形成されて行く。これは経済原則から導かれたことであり、知の在り方はこれだけでは測れないのかもしれないが、専門家はある事象についてのある一定の見方に長けているのにすぎない。われわれは、塚原氏が言ったように、「素人」ではなく何かの専門家であり、いわゆる専門家とは別の尺度・文脈で同じものを見ているのにすぎない。研究を越えた、現実の行為(行為の判断)の場面においては、それら異なる世界観の中から一つの決定を下していかねばならないのである。




田中あゆみ(東海大学4年)

 今回、塚原東吾先生より、夏の学校への参加についてのお話をしていただき、初めて参加させていただきました。STSについて何も知らぬまま参加したため、言葉の意味もわからず、発表されていたことを十分に理解することもできず、ただただ、多くの方々の発表と討論に圧倒されるばかりでした。
 今まで私は、自分がおもしろいと感じた分野の知識についてのみを身につけようとし、他の広い分野については何も考えず野放しにしてきたような気がします。夏の学校に参加させていただいたことで、また少し自分の視野を広げ、今まで野放しにしてきた部分の一部でも知り、考え、表現してみたいと思いました。
 今回の夏の学校は、私が今までに体験したことのないことばかりで、戸惑いながらも「楽しい体験」であったように思います。夏の学校が終わってから、もっと多くの知識を身につけていこうという思いが自分の中に残っている・・・このような気持ちが私の中の「楽しい体験」につながっているのではないでしょうか。
 多くの方々の発表を聞かせていただいた中で、聞き手への興味の持たせ方、話の進め方など、得るものも多く、とても勉強になりました。これからもっと自分の視野を広げ、知識を身につけて行きたいと思います。多くの方々にお世話になり本当に感謝しています。ありがとうございました。




三村太郎(東京大学3年)

この合宿に参加する以前は、STSに対してほとんど具体的なイメージを持っていませんでした。つまりSTSを科学をexternalに捕らえ直す動き、というくらいの単純なイメージだけでした。しかし合宿中の議論を聞いてみると、そんな単純なものではなく、様々な見方、方法論のぶつかり合う場がSTSなのではないか、という見通しを得ました。すなわち、STSにおいて様々な人が出会うことで新たな可能性が生まれてくるわけで、そういう場面に立ち会うことができたことはたいへん重要でもあり、興味深いことでした。




浦野慶子(慶応大学2年)

「夏の学校」という言葉から想起させるイメージをふくらませながら、セミナーハウスに向かいました。大それたモチベーションというのはありませんでした。そのために参加している目的が見えていない自分に気がついて、自問を繰り返す3日間となってしまいました。
しかし、いまこうしてあの3日間を思い出してみると、つかみかけた何かが残っているのです。それをうまく言葉に表現できない自分に落胆してしまいますが、大きな収穫があったことは確かです。








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