STS NETWORK JAPAN 98年春のシンポジウム「STSの未来」報告
 平川秀幸 (国際基督教大学)



報告者 (敬称略)

第一部: 「科学・技術論の展開」
小林傳司 (南山大学)
藤垣裕子 (科学技術政策研究所)
松本三和夫 (東京大学)
第二部:「STSコミュニケーション」
若松征男 (東京電機大学)
小川正賢 (茨城大学)
西村吉雄 (日経BP)

司会 平川秀幸 (国際基督教大学),綾部広則 (東京大学)

1998年4月25日午後1:00-6:00  東京工業大学本館111号教室




 1998年春のSTSNJシンポジウム「STSの未来」が開催された。今年は,NJの立役者,中島秀人氏の大佛次郎賞受賞に加え,3月にはSTS国際会議が開かれ,その効果もあってか,世間でのSTS認知度は次第に高まる気配がある。たとえば本シンポジウムに来聴された科学技術庁の坂田氏によれば,科技庁でも科学技術と社会に関するサーベイの計画があり,研究者からの積極的なアプローチが期待されているという。本シンポジウムは,こうした背景や期待を睨みつつ,今後の日本のSTS研究・活動の展望と課題を探ることを目的に,6名のスピーカに報告をお願いした。簡単ながら,以下にその報告をしたい。なお,質疑応答・総合討論は極めて活発に行われたが,紙面の関係上その論点の紹介はここでは最小限に留めることをお許し願いたい。(これらも含めた記録は,今年度のイヤーブックに掲載予定である。)また,本報告文において誤りがあれば,当然ながらすべての責任は筆者にある。


第一部:科学・技術論の展開


 第一部では,「科学技術論の展開」と題し,小林傳司氏,藤垣裕子氏,松本三和夫氏(東京大学)より,主にアカデミックな角度からの報告を頂いた。
 まず小林氏からは,西欧科学技術の導入を最初に成功させた非西欧国である日本の「世界史的意味」の再検討という課題提起がされた。科学・技術論に限らず日本文化論では,一般に幕末・明治以降の日本の近代化の歴史を,西欧という「中心」に対して周辺的で遅れた歴史,西欧の歴史を後追いする歴史として描くことが定着しているように見られる。いいかえると歴史展開の(普遍的)規範はあくまで西欧---もちろん西欧ですら一枚岩ではないのだが---であり,それに対する逸脱や歪み,特殊性の度合いにおいて日本の文化,そして科学・技術の歴史が語られてきたということだ。いわゆる「発展段階論」的な歴史叙述であり,これは80年代に行われた国連大学の「日本の経験プロジェクト」の参加者(例:中岡哲郎)にも強固に見られたものだったと小林氏は指摘する。
 これに対して小林氏は,「日露戦争は,西欧人の科学についての自己理解・規範的物語の相対化を促す世界史的意味を持つ」という科学哲学者スティーヴ・フラーの判断をヒントに,従来の発展段階論とは異なる歴史叙述の枠組み,「大きな物語」の模索を提案した。たとえば,「なぜ,非西欧国である日本が,短期間のうちに科学の導入にあれほどまで成功したのか」という問いに対しては,そうであったのは,そもそも日本の開国と重なる時期に,西欧においても科学の制度化・標準化によって科学の「非西欧化」あるいは「ポータブル化」という転換があったからではないかという見方を立てた。これに加え小林氏は,戦後民主主義思想のなかでタブー視されてきた戦前の京都学派の思想,「近代の超克」論などの再検討や,「STSの蛸壺化」からの脱却という意義も込めて,歴史研究における科学・技術史,日本史,経済史など歴史学諸分野間の連携の重要性を訴えた。(なお前者の戦前思想の見直しや大きな物語の構想という論点には,会場からの質疑応答にて,「それを論ずることの社会的危険性への配慮」が横山輝雄氏(南山大学)より指摘された。)
 最後に小林氏は,こうした歴史研究がもつ現代的意義として,グローバリゼーションという世界的流れの渦中にある今日の日本の科学・技術の有り様は,「デ・ファクト・スタンダード構築競争」における「特殊性/一般性のポリティクス」という点において,実は幕末・明治の時代と類比的なところがあるのではないかという示唆を行った。

 次に藤垣氏の「異分野間摩擦論」の報告に移ろう。これは氏が大学院・助手時代の経験を通じて暖めてきた議論であり,学際的研究における異分野間のコミュニケーションの困難さの原因とは何かを論ずるものである。そこでまず藤垣氏は,前提議論として,氏の「ジャーナル共同体論」を紹介した。それによれば,ジャーナルにおける論文産出(publication)のプロセスには,とくにレフェリーとの討議においてそのジャーナルの暗黙の全体が顕現し,文献的,認知的,組織・制度的な要素のすべてが表出されるという。そしてそのプロセスの理解において重要な概念として,「差異の反復的生産」としての論文産出と,それを通じての「妥当性境界の遂行的・再帰的形成」を指摘した。とくに後者においては,従来の見方に立てば,教育制度などによって定められる固定的なものとして考えられがちな学科間の境界というものは,実は反復的差異産出=論文産出の行為の連鎖において遂行的にその都度再生産・変容してゆくものなのだという見方が対置される。(※筆者注記:これは科学研究の過程を論文産出という「社会的プロセス」に還元しようといういわゆる社会構成主義の試みではない。藤垣氏がいうように,論文産出とは文献的・認知的・組織的な要素のすべてが絡み合い表出されるプロセスとして捉えられなければならない。)このようにして産出され維持される妥当性基準の分野間差異が,分野間のコミュニケーションの障害となると同時に,その産出の遂行性においてこの障害を取り除く力としても働きうるというわけである。
 このジャーナル共同体論をもとに藤垣氏は,次に異分野摩擦が発生する3つの界面を指摘した。一つは,科学者集団内での文字通りの分野間摩擦である。例として氏は,環境調査における環境工学と政策工学の間の妥当性水準の相違,STS研究における史的方法と社会学的方法における資料入手段階や結論導出段階におけるアプローチや妥当性水準の違いなどを挙げた。次に第二の界面として藤垣氏は,科学と一般社会との間での摩擦,妥当性境界とその多様性・非一様性を指摘し,以下のような問題群を挙げた。一つは,より社会的な脈絡で為される「モード2」的な研究現場において,従来のアカデミズムの研究スタイルである「モード1」的スタイルでの分野間摩擦がどう障害となり解決されるのかという問題。二つ目は,科学者集団とそれ以外の社会集団との間でのアカウンタビリティーや妥当性水準の問題であり,とくに「一般公衆」に対する説明や議論に伴う専門家・非専門家間での「納得した」のレベルの相違があり,これは,後半で若松征男氏が報告されたコンセンサス会議のような一般公衆によるテクノロジー・アセスメントの場面で重要となる問題であることが指摘された。最後に,第三の界面として藤垣氏は,科学技術政策・学術政策の局面での研究者集団と行政官集団との間での妥当性水準や納得の手続きの相違を指摘し,オランダなどヨーロッパの国々に見られる,両者間の媒介役である"Intermediary Layer"というシステム構造の働きと,我が国でのその必要性を訴えた。

 第一部最後の松本氏の報告は,科学・技術をめぐる情報流通における「共役不可能性」の問題と,これに対して為しうるSTSの働きに関するものであり,ある意味で上の藤垣氏の議論と類比的なものであった。まず第一に松本氏は,小林氏同様,日本問題に関して,科学・技術研究に見られるナイーブな前提の見直しを提起し,とくに社会学に見られる「科学・技術の進歩が経済成長を促し,さらにそれが社会変動をもたらす」というある種拡大されたリニア・モデルの流布を指摘した。そしてこれは,氏によれば,1990年前後をピークとしたジャパン・バッシングにおける「基礎科学ただ乗り論」にも共通する規範的図式だという。つまり,日本は,基礎科学のパフォーマンスが欧米諸国に比して低いにも拘らず,技術と経済の面では優位に立っているのは,基礎科学の分を日本がただ乗りしているからだ,というただ乗り論は,「経済的パフォーマンスは技術力に比例し,技術力は基礎科学のパフォーマンスに比例する」というかたちこそ本来の科学,技術,経済の関係なのだというリニア・モデルが前提されているということである。しかしながらそこで一口に「基礎科学」と呼ばれるものには,実はさまざまなタイプのものが含まれているのであり,大別すれば,「虚学的なもの」と「実学的なもの」の両タイプを区別する必要があると松本氏は提起した。さらには,「虚学」のみを考えた場合でも,決して一枚岩ではなく,「基礎科学振興」というとき,そこで目指される目的やその論拠はまちまちであり,さまざまな方向性をもったベクトルが混在しているという。
 そして,ここで問題になってくるのが科学者集団から発せられる諸情報間の共役不可能性である。たとえばその情報の受け手が政策決定者であったとすれば,基礎科学振興という同一の主題のもとにさまざまな目的・論拠において雑多に発せられる科学者集団からの情報は,受け手にとってはまずもって共役不可能・調整不可能であり,結局は力関係などで予算配分などが決定されてしまうという事態を招いてしまうのではないかということである。そうならないためには,送り手の側で情報を共役可能にしたうえでそれを発信する必要があり,その媒介者・介入者として働くところにSTSの役割があるのだと松本氏は述べた。これは先の藤垣氏の挙げた"Intermediary Layer"に相当する働きだと考えられるが,松本氏は,この発信側での情報の共役化を科学・技術活動の「自己言及」,「自己組織化」と呼んだ。
 これに続いて松本氏は,さらに虚学と実学の間での目的や論拠に関する共訳不可能性を指摘した。端的に言えばその違いは,後者の「社会的意義」がもっぱら有用性の基準で評価されるものであるのに対し,前者はそうではないということにあるが,これに関し留意すべき点として松本氏は次の三点を挙げた。一つは,両者の社会的意義の混同は避けねばならないということ。二つめは,ある研究についてある時点で確立された意義は,長期的には変化しうるものであり,固定的に考えてはならず,短期/長期の視点をもつべきだということ。三つめは,たとえば実学的なものとして投資されたにも拘らず虚学的な研究にそれを用いたり,その逆を行ったりというような(虚学/実学の転用メカニズム),スポンサー(社会)の意図に反した資源の使い方されないよう注意すべきだということ---以上である。最後に松本氏は,発信情報の自己言及・自己組織化は,その媒介役としてのSTS研究に対しても適用されなければならないと述べることで報告を終えられた。


第二部:STSコミュニケーション


 さて,シンポジウム第二部「STSコミュニケーション」では,若松征男氏,小川正賢氏,西村吉雄氏に報告して頂いた。
 まず若松氏からは,3月のSTS国際会議において催された実験版コンセンサス会議「遺伝子治療についての市民の会議」の企画・運営の代表者として,今回の会議の報告と次回会議への参加・協力の呼びかけ---この指とまれ---が行われた。コンセンサス会議とは,ある技術の開発や社会への導入について,当該分野についての専門知識や直接の利害関係をもたない一般市民が,関係専門家のレクチャーを受けた上で評価しコンセンサスを作るという,テクノロジー・アセスメントの一手法で,80年代80年代中頃以降,デンマークを初めとして欧米圏のいくつかの国々で行われている。この会議の日本初の試みの紹介として若松氏は,まず,(1)なぜ「市民の会議」か,(2)コンセンサス会議発祥地デンマークのコンセンサス会議の組織,(3)「市民の会議」は何を行ったか,(4)なぜ遺伝子治療をテーマに選んだかについて手短な報告を頂いたが,これらについては前号ニュースレターでも一部掲載され,次号でも続編を掲載予定であり,また夏には正式の報告書が出るとのことなので,ここでは内容紹介を割愛し,若松氏が強調した「感触」について記しておく。それは,「日本では市民が議論しコンセンサスをつくるのは困難である」という通念と懸念に反して,「市民の会議」は実際には非常に活発であり,「議論してみたい,聞いてみたい,知ってみたいと考える人々はかなりいるらしい」という感触である。(もちろんここで「市民とは誰か」ということが問題になるが,会場からのこれに関する質問に対しては,同じく会議の企画・運営にあたった先の小林氏より,「確かに普通の市民ではありません。こんなことに関心を持つというのはある意味『変な市民』です」との返答があった(笑)。)  これに続いて若松氏は,この試みを今回だけにしてはならない,2回目,3回目をやってみようということで,第二回企画への参加・協力を呼びかけるにあたって,次のことを指摘した。すなわち,この企画は,単なる「研究」ではなく「実験」であるということ,しかも現実的に社会に介入する実験であるということだ。これはSTS研STS研究者の社会的役割と責任,自らが占める立場とは何か・どこかを自己言及的に考える上で非常に重要な自覚である。これに続いて,若松氏は,第二回を行うに当たって必要な作業課題として,(1)会議全体を通じての「方法」の模索,(2)テーマの設定,(3)会議においてもっとも重要な討論の「論点」作りにおける専門家・市民・STS研究者のコーラボレーションのあり方とはどのようなものであるべきか,を挙げ,テーマの腹案として「インターネット」を考えていると述べた。さらに続けて若松氏は,上記課題の達成にとって重要な問いとして,当該分野の専門知識をもたない一般の人々において,何をもって「分った」とするか,専門家集団の内部と外部では「知識」の中身は同じなのか違うのか,つまり「専門家の理解の仕方とは異なる,素人に必要な知識の形とはどのようなものか?」を掲げた。これは先の藤垣氏の報告の中での「科学と社会とのあいだの異分野間摩擦」と重なる論点であった。
 以上の若松氏の報告に寄せられた質疑応答のうち特筆すべきものとしては,「なぜコンセンサスなのか,ディセンションdissensionではいけないのか」との問いかけが三宅苞氏(東大先端研)よりあった。藤垣氏からも,3月の「市民の会議」終了後の帰りのバスの中でも,乗り合わせた外国人研究者たちがそのような議論で盛り上がっていたことが伝えられた。また,3月の会議では,「少数意見の報告」のコーナーが設けられていたが,これを積極的に評価する声もあった。これに対して若松氏は,「コンセンサス会議は,政策決定志向のものであるからコンセンサス作りを目指すことになるが,テクノロジー・アセスメントの方法にはいろいろなものが考えられるだろう」と答えられた。筆者としても,たとえコンセンサスを作らざるをえないとしても,「デモクラシー」一般の手続き的原則として,必要時にはいつでもそのコンセンサスを再検討・再構築するためにも,常に少数意見の併記が不可欠だと考える。第二回の開催呼びかけにあたって若松氏の挙げた「方法の模索」という課題においてこのことは,非常に重要なトピックとなるのではないだろうか。

 次に小川正賢氏による科学技術教育の立場からの報告に移る。報告は,とくに「人材論」をキーワードとして2部からなっていた。第一部は,「一般の人々を対象とした科学技術教育」についてであり,大別して(a)学校教育,(b)地域社会における科学技術教育について話された。まず(a)であるが,重要項目として小川氏は,初等・中等教育の多様化,とくに教育課程審議会が構想している「総合的学習の時間」や選択科目の拡大,そして数学史・科学史の導入において,科学・技術と日常生活の関わりを扱うSTS的な科学技術教育が為されうると指摘した。それと同時に,理系志向の学生に対するスペシャル・ケア問題(高校でたとえば物理など必要科目を未履修の学生に対する大学での教育)を取り上げ,高校・大学間の連携教育のあり方,高校・大学・大学院を通じての7・9・12年一貫教育の可能性を探り,ゆとりある科学技術系人材育成を目指すべきだと述べられた。さらにまた,「大学教育での教養科目としての科学技術教育」の眼目として,科学技術に関する「マネージメント・リテラシー」の開発に主眼を置いた新たな総合的科目の必要性を挙げた。他方,(b)については,高齢者等の科学技術系「情報弱者」に対する教育の制度化,科学技術教育普及活動のシステム化,そしてさまざまな人々,セクター間を「繋ぐ人材」としての「新しいタイプの科学技術教育普及専門家」の制度化について話された。
 第二部は,従来の「専門教育」とは異なる「科学技術系専門家を対象とした科学技術教育」に関して,(a)科学技術者に対する科学技術教育,(b)科学・技術者養成教育としての科学技術教育,(c)新しいタイプの科学技術系人材の育成,(d)科学技術関連専門家の育成教育としての科学技術教育という論点が話された。まず(a)では ,ICSU(International Council of Scientific Union)による極めて科学主義的な科学教育プログラム("Program on Capacity Building in Science")の提言に対して,「すべての科学者がそのような科学主義的考えに立っているのではないことを,科学者たち自身にいかに理解してもらうか」を含めてSTS側からの対応が迫られていると訴えられた。(なおICSUのweb siteのURLはhttp://www.lmcp.jussieu.fr/icsu/。)次に(b)では,初等中等教育の多様化にともなう問題点への対処としての補正教育の必要性の他,「研究者像の(固定化)の問題点」として,プロジェクト型研究開発に必要な人材とはどのようなものかに関して,たとえば「個人の資質かチームの資質か」などを人材論として分析し,研究者・研究支援者の育成におけるシステムの分化が必要だと話された。続いて(c)では,「研究経営」の専門家や,自ら経営的知識を持った科学技術専門家の育成と,そのための「複数専門性の育成」ならびに大学の機能分化について話された。最後に(d)では,科学教師・科学技術ジャーナリスト・医師・看護婦などの育成を対象とする科学技術教育について,過度の専門的知識の重視から幅広い専門的知識の重視へと方向転換する必要性について述べられた。そして締めくくりとして小川氏は,「(人材論という)それぞれの分野でどのような人材が必要なのかを考えることが,社会を考えるための分析アプローチの一つとなる」という科学技術教育畑ならではの言葉で報告を終えられた。

 さて,シンポジウムの最後の報告者である西村吉雄氏からの報告の中心的メッセージは,「STSはもっと技術者を取り込め」であった。これは,西村氏が3月の国際会議のシンポジウムの一つで既に訴えたものだが,これに参加していないNetwork Japanの会員の方々にもぜひ聞いて頂こうと思い,報告をお願いした次第である。  西村氏によれば,"Science, Technology and Society"といいつつも,現行のSTS研究の多くは「科学」や「科学者」に焦点を当てたものであり,技術者,とりわけ学会活動などせず,企業の中で働いている技術者や技術については疎かである,という鋭い戒めのメッセージである。事実,この世にあふれ社会に多大な影響を及ぼしている技術製品やノウハウ,情報の多くはこれら企業技術者の手によるものであり,しかも理工系人材の圧倒的多数を占める彼/彼女らの活動に目を向けることもコミュニケーションをとることもしないのは,STSとして余りに失策であろう。3月の国際会議のそもそもの発案者にしてプログラム委員長を務めた中島秀人氏(東京工業大学)が,会議のテーマを「科学と社会の技術化」としたのも,同様の理由からであり,西村氏の報告に応えて中島氏も,「海外の研究の大部分は『サイエンス・スタディーズ』であり,これを我々は模範と考えてはならない」と訴えられた。
 さて,このような中心的メッセージを巡って西村氏は,以下の論点について話された。一つめは,「技術者からの外部社会への情報発信の困難さ」である。一例として氏は,江崎玲於奈氏による先頃の日本国際賞受賞講演をとりあげた。それによれば,この受賞対象となった江崎氏の「超格子(superlattice)」の研究は,技術的・経済的効果としては絶大なものであり,コンパクト・ディスクなど身近に溢れる技術製品の基礎を与えるものであったが,その研究内容に関する講演は,聴衆の大部分にとってちんぷんかんぷんだったろうという。二つ目は,先の松本氏の報告の中でも言及された「実学/虚学の転用メカニズム」の一例として,研究費獲得の際の説明における独特のレトリックの問題を取り上げた。つまり,研究費の獲得するためには,どうしても実利的なことをいわざるをえないという支配的状況があり,虚学的研究なのに実学的なものとして打ち出してしまうということである。これに続いて三つ目の論点として西村氏は,日本では「科学雑誌」よりも「技術」雑誌のほうが圧倒的に販売部数が多いという事実を指摘された。同じ日経の雑誌でも,『日経サイエンス』(約3万部)に対して,他の技術系雑誌の部数は一桁多いという。いいかえれば,科学や科学者のみを対象にしたSTSの社会的効果は,非常に限定されたものでしかないということである。
 さて,以上の西村氏の報告,とくにそのメッセージについて寄せられた質疑では,「企業技術者との交流の阻害原因」として,「企業利益の保護・機密保持」という壁の存在が指摘された。つまり,たとえ技術者が外に向かって情報発信をしようにも,この壁によってその内容は限定的にならざるをえないということである。これに対して西村氏は,今日の企業研究開発のプロセスは,IBMに象徴されるような「企業内研究所(中央研究所)における基礎研究から研究開発へ」といういわば企業内閉的リニア・モデルから,西村氏が「この指とまれ型」と呼ぶものにシフトしつつあり,この新しいプロセス形態において,外部からの働きかけや交流の可能性があるのだと答えられた。この「この指とまれ型」とは,ちなみに一昨年春のSTSNJシンポジウム『サイエンス・イン・トランジション』にて西村氏が話されたのを記憶されている読者も多いと思われるが,コンピューターのOS開発に見られるように,開発プロセスの発端から外部との交渉としてのマーケティング作業が開始され,さらにその後の研究開発や製品化のプロセスでもこれがフィードバック的に継続されること(例:β版配布と評価の集約)によってデ・ファクト・スタンダードが形成されて行くプロセスをモデルとしたものである。このアイデアについては,先の若松氏のコンセンサス会議の報告に対するコメントとして林隆之氏(東京大学)が紹介された,同時進行かつフィードバック的にテクノロジー・アセスメントを行いつつ技術開発を進める"Constructive Technology Assessment(CTA)"がもう一つのモデルとなるであろう。これは主にオランダで研究されているプログラムで,STS研究者の積極的な役割が不可欠とされるアセスメント手法である(参考: Arie Rip, "Science & Technology Studies and Constructive Technology Assessment", EASST Review, volume 13 (3), September 1994, http://www.chem.uva.nl/easst/easstreview.html)。また会場からは,「その仕事に熱中している現役バリバリの技術者よりも,引退間際で管理職的地位にあるベテラン技術者との交流は実りが多いのではないか」との意見も出された。

 以上が6名の報告それぞれの要約であるが,ここで全体をふり返るならば,今後のSSTSの開拓すべき進路として,いくつか共通課題が見出される。一つは,科学史叙述,科学・技術と社会の関係理解,科学技術教育などにおける「科学・技術についての語り」のパターンの再検討・再構築という課題(小林氏,松本氏,小川氏)---これには,モード2型の出現やグローバリゼーションといった科学・技術研究システム自体の現代的変容の分析も不可欠である(藤垣氏,西村氏)。二つ目は,異分野間・セクター間の認知的差異や摩擦・障壁とコーラボレーションの可能性という課題(小林氏,藤垣氏,松本氏,若松氏,西村氏)---なおこれには,デモクラシーの問題も深くリンクしている。そして,そうしたコーラボレーションを可能にするような「人材」をいかに育成するかという科学技術教育の内容やシステムとはどのようなものかという人材論の課題(小川氏)。なお今回のシンポジウムではイクスプリシットに論じられることはなかったものの,すべての報告の背景にあるものとして,テクノロジー・アセスメントに不可欠な「科学・技術の社会的影響」に関する研究,たとえばリスク論なども当然ながら重要なテーマであることはいうまでもない。また,シンポジウム総括討論では,科学技術庁の坂田東一氏より,庁でも2年計画で科学・技術と社会に関するサーベイ計画があり,STS研究者からも積極的にアプローチして欲しいとの熱いラブコールが送られた。藤垣氏のように既に行政内部でのSTS研究活動に奮闘しておられる方がいるものの,とくにヨーロッパに比すれば,我が国におけるSTS研究と行政とのコーラボレーションの度合いははなはだ手薄いといわざるを得ない。そしてこの手薄さは,他方の「市民」との間のそれ---「市民の会議」はその端緒である---でも同様であろう。アカデミックな研究・調査に加えて,そうした現実社会のフィールドへの「介入」を行う「活動としてのSTS」(若松氏,松本氏),そしてさまざまなセクターを「つなぐ人材」(小川氏),"Intermediary Layer"(藤垣氏))としてのSTS研究者という方向性の開拓が求められているのである。
 今号ニュースレター別項に案内があるように,今年のSTSNJ夏の学校は,本シンポジウムと同じく「STSの未来」というテーマで開催される。以上の課題についての議論のさらなる深まりと同時に,他のさまざまな課題提起がなされることを期待したい。

 最後に,今回のシンポジウム開催にあって,その準備作業・連絡の遅れによって,報告者の方々,関係者各位に大変ご迷惑をおかけし,ご無理をお願いしたことに対し,深くお詫び申し上げますとともに,感謝の意を示したいと思います。ほんとうに有り難うございました。



[戻る]
Copyright (C) 1998, STS Network Japan
All rights reserved
For More Information Contact office@stsnj.org