実録「こんにゃく問答」
 小林朝子

 平成9年11月のある日曜日の午後、小学6年生の娘M子と友達のYちゃんは、わが家の台所に、調理道具を広げていた。こんにゃくを手作りしようというのだ。
 娘たちは、2学期に入り、理科で酸とアルカリの勉強をしていた。こんにゃくは、アルカリを使って固めて作る食品だ。娘のクラスでは、こんにゃくの粉とやらを使って、近々実際にこんにゃくを作ることになっていた。どうせならお母さんたちも一緒に食べようと、こんにゃく作りの授業とクラスの親睦会を合わせて行うことが決っていた。それは11月の末に予定されていた。
 誰もこんにゃく作りの経験はなく、はじめはちゃんと作れる保証はなかった。担任の先生が試作したところ、固まったが穴だらけになったそうだ。4日ほど前には、子供たちも学校で試作した。学校から持ち帰ったこんにゃくを、M子は夕食の時、醤油をつけてひとりでペロリと食べてしまった。「味はどう?」「美味しい!」  M子とYちゃんが家でも作りたいというので、この日はわが家の台所を貸してやることになっていた。いつもながら、とても盛り上がる娘たちに「お母さん手伝わなくても、ふたりで作れる?」と聞いたら、「大丈夫だよ」と自信満々である。
 午後2時に開始してから1時間もすると、順調にこんにゃくを固め始めていた。ここまで、母親の私はただの野次馬だった。ところが四時半ごろ、「おかあさーん、来てー」という叫び声がした。「どうしたの?」「固まらないの!どうしようー!」
 先生が見つけてきたのは、群馬県のとある農協で製造販売している「こんにゃくの精粉(もと)」だった。こんにゃく芋を精製したマンナン粉末と、精石灰(水酸化カルシウム)がセットになっていた。アク(精石灰の水溶液)とのり(マンナン粉をお湯でふやかして練ったもの)を作り、それを合わせてよく混ぜ、型に入れて固め、最後に茹でてアク抜きをする、簡単にいえばそういうものだった。
 説明書によれば、型に流し込んでから20分ほどで固まるはずだ。しかし、目の前にあるものは、お湯に入れたらそのままユルユルと溶けてしまいそうだった。
 2ットルもあるのに、これが全部だめになったら大変だ。私は、説明書を隅から隅まで読み、子供たちに話を聞き、失敗を取り戻す手がかりを見つけようと頑張ったが、子供たちは間違っていなかった。いったい何が違うのか。
 私はもう策がなかった。あきらめさせようか。でも・・・。私は、不安がる子供たちの傍らで受話器を取り、パッケージの隅に印刷してあった「あがつま農業協同組合」の電話番号を押した。
 電話はつながり、私は事情を話して何とする方法を尋ねた。すぐに代わってくれた担当のおばさんは、私にいきなり「すいません。実は、説明書のやり方は夏にはいいんですけれど、冬にはそれだとできないんです。」と言った。
 こんにゃく作りには夏の方法と冬の方法があるのだろうか、と不思議に思っていると、「この説明書を作ったのは、夏だったんです。この辺のおばさんたちは、こんにゃくを作るのに、いつも長年の勘でやってるので、説明書を作るために、実験して測定したんです。それが夏だったんですが、今は寒いですから、同じ方法でやると、説明書の通りによく混ぜているうちに、アクを入れてかき混ぜ終わる前に、温度が下がり過ぎちゃって固まらないんですよ。」
 「この辺の人達は、季節がかわっても無意識に、適当に温度管理してるんです。でも、そのことに気付かなかったんです。本当に申しわけありませんでした。」
 そうか。別に方法が二つあるわけじゃないんだな。ある夏の日に公民館の調理室なんかに集まって、いつもは臨機応変に勘でやってることを、温度計だのストップウォッチだのを使って書き留めたのだろう。その光景が目に浮んだ。
 「そこで固まってなかったらもうだめなんですが、茹でてみて、崩れなかったら大丈夫です。固まってなかったら溶けますから、とにかくやってみたらどうでしょう。」
 えっ、大鍋いっぱいのこんにゃくもどきが無駄になるの、と思いつつも、私は、今日の出来事に納得できた安心感もあった。でも、学校での本番のことが不安になり、小学校の理科の授業でこんにゃく作りをする事情を話し、寒い時の作り方を尋ねてみた。 すると農協のおばさんは、寒い時の作り方を書いた資料を出してきて、説明してくれた。説明によると、重曹は熱めのお湯で溶かし、最後までとろ火にかけながら重曹を混ぜ合わせ、練り過ぎないようにしなければならない。なるほど、私たち素人にとってはまるで違った作り方のように聞こえるものだった。
 この後、思いがけない展開になった。「子供さんたちが学校でやってくれると聞いては、本当に申し訳ないことをしました。お詫びにこんにゃく芋をお送りしますので、是非作ってみてください。」私は慌てた。「お気持は大変嬉しいのですが、私どもは、こんにゃく芋を見たこともないので、無駄にしてしまうと思います。」
 おばさんは意に介さずこう言った。「粉で作るのと同じですから簡単ですよ。炭酸ソーダも入れておきますから。売っているこんにゃくと違って、余計な添加物の入らないおいしいこんにゃくができますから。子供さんたちにもいい勉強になると思いますし。」
 農協のおばさんは、学校の授業で使われていることを知ってとても喜んでくれたようだった。しかし、粉と生芋が同じとは乱暴な話だ。だいたい、どうやって芋から粉にすればいいんだろう。でも、誠意と熱意に押されて、快く送ってもらうことにした。
 その日に作ったものは、やっとのところで崩れずに済んだ。その晩は、両家とも、ソフトな舌触りの刺身こんにゃくを山のように食べることができた。ヘルシーだ。
 さて、2日後に届いたこんにゃく芋は、両手に載るくらいの、ゴツゴツした里芋の親玉みたいなものだった。娘達はつぎの日曜日に作ってみたいと言う。いくら粉と同じ方法で作ると言われても、芋がそのまま粉のように水に溶けるとは思えない。私は、図書館に出かけて資料を捜した。そして、農文教の家庭向けの農産加工の本の中に、「生イモからつくるコンニャク」という項目を見つけた。
 もっともそれは、子供には書いてあることがさっぱり分からないような代物だった。だから、親も一所懸命読んで、分かりやすく説明してやる必要があった。
 まず、こんにゃく芋を洗って芽を取除き、大まかに切って皮を剥き、ミキサーにかける。このように細かく粉砕した芋を煮て糊状にする。その後の工程は、確かに粉を使った作り方と大体同じだった。農協のおばさんがが言ったことは本当だった。それにしても、本には書いてないが、おばさんから教えてもらった「冬のこんにゃく作り」のアドバイスにもしたがわなくてはならない。
 つぎの日曜日がやってきた。M子とYちゃんの2人でとりかかかったが、ほどなく「お母さーん、きてー」の声が聞こえてきた。お父さんと二人で台所に降りてみると、剥きかけの芋の横で、子供たちは「手がかゆいー!!」と、バタバタしていた。急いで手を洗わせて、アイスノンで冷やした。
 ついに親の出番となった。父親と母親が包丁を手に、ミキサーにかける下準備をした。ピリピリと激しいかゆみだ。こんにゃく芋の成分は思いのほか強く、何度も手を水で洗った。産地のおばさん達にしてみれば、こんなことは当たり前のことなのだろうが。
 全部で約2キロの芋のうち、同封されていた50グラムの重曹に対応する1キロの芋を、ミキサーで粉砕したが、芋は固く、手間取った。余った1キロは、茹でた後冷凍した。この保存方法は、図書館で見つけた本に書いてあったものだ。
 大鍋に、粉砕した芋と4リットルの水を入れて、火にかけた。かき混ぜるのはとても重く、結局4人で交替しながらかき混ぜること約20分、本の通り半透明になってきた。つづいて重曹を混ぜていった。おばさんは、はじめのうちは分離してキュロキュロとしてくるけれど、構わずにかき混ぜ続け、再び元のネバネバした感じに戻ったらただちにやめるようにと教えてくれた。4人は、一所懸命鍋の中の様子を注視したが、キュロキュロも、ネバネバも、正直のところよく分からなかった。
 「もういいかな、まだかな。」「アッ、もういいよ、止めて止めて。」こんにゃくを型に流し込んだが、表面が平らにならない。どうやらかき混ぜ過ぎて、固まり始めていたところを切り分けてしまったようだ。固まりがボコボコしている。型の中で、ちゃんとくっついてくれるといいけれど。
 冷まして型から外すと、案の定こんにゃくは不規則な形になってしまったが、ちゃんと固まったのでよしとしよう。よくお店で売っている、ねずみ色のこんにゃくとちょうど同じものができた。なるほど、精製せず芋全体を使うとこうなるのかと納得した。しかし、アクがなかなか抜けなかった。今日のは刺身にしない方がよさそうだ。料理の前に、もう一度あく抜きして、うまくいけば食べられるだろう。
 私は、気温が低いと固まらない場合があることを、担任の先生に話さなくてはと思った。しかし、試作では、結局いずれも固まったのだから、ちょっと切り出しにくかった。
 折良く先生と話す機会があったので、製造元から教えてもらった、寒い時の作り方のことを話してみた。すると先生は明るく(アバウトに)答えてくれた。「大丈夫だと思います。この前も固まりましたし。大きい鍋で火も使うので、子供たちもあまり無理しない方が、安全なのでいいと思います。この前と同じやり方でやってみますから。ご心配なさらないでください。」
 そして、親睦会の当日、子供たちのこんにゃくは全てきれいに固まり、私の心配は杞憂に終わった。結局あのドタバタは何だったんだろう。
 私は、調理室で見学しているときに、小学校の授業で製品を使ってもらったことに、農協の人がとても感激していたことを、先生に伝えた。親睦会は大成功だった。できたての刺身こんにゃくはとてもおいしく、おにぎりとお茶と、PTAの役員さんの用意してくれたわさび醤油、田楽味噌、おしんこもあったので、お腹いっぱいになった。
 わが家で生芋から作った、山のようなこんにゃくは、土佐煮や、おでんにして、数日のうちにすべて食べ終わった。とってもおいしかったと言いたいところだけれど、正直のところ、独特の風味は薄かった。アクの抜き具合が違ったのかもしれない。
 冷凍庫には、茹でたこんにゃく芋の塊が今もそのまま残っている。



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