政府関係委員体験記
 中島秀人(東京工業大学)



 ここ数年、科学技術庁を中心に、いくつかの政府関係委員会の委員を体験した。最終報告書も発表されない「勉強会」レベルのものから、宇宙開発委員の分科会の委員まで、レベルもいろいろである。

 どのようにして委員に選ばれるかというと、知り合いの先生の推薦というのがいちばん多い。最近では、役所の方で大学の名簿を見て関係がありそうだから電話しました、というのもあった。
 どの委員会でも、報告書を作るのが最終目標である。現在出席している宇宙開発委員会のある分科会では、国際共同で作られる宇宙ステーションでどのような科学実験をすべきかについて報告することが求められている。委員会のテーマは大体からにこういうもので、昨年関与した運輸省のある委員会では、規制緩和のもとで、どのように各種輸送機関の安全性を確保するかがテーマだった。
 どの場合も、科学技術論の立場から発言することが求められている。だが、門外漢のテーマについて専門家の委員と同様の発言ができるはずもなく、何となく一般的なことをいってお茶を濁すことになる。もっとも、本当のことを言えば、専門家の方も似たようなもので、航空安全の問題について、鉄道技術の人はほとんど素人である。
 こんな委員会でも報告書が出せるのは、担当の役人が有能だからとしかいいようがない。若手の役人が、委員長を中心とする10名程度の委員(もっと多いこともある)のところに出向いて意見を吸い上げ、さらに勉強して報告書の原案を作る。役人を誉めたくはないが、本当に頭がさがるほど良く働いて、分厚い草稿を準備してくれる。これを定例の委員会で検討、修正する。
 委員会には、月1回のペースのものもあれば、年4回程度のものもある。議論は、一回あたり2-3時間。その間に麦茶もしくはコーヒーが一回出てくる。何らかの都合で食事時間帯に会議が開かれると、幕の内弁当程度の食事が出る(旨くはない)。酒類は決して出ない。会議の終了後に懇親会があることも希にはあるが、これは局長さんなどのポケットマネーによるものに限定される。企業関係の委員などは、役所の貧乏さに同情することしきりである。役所の中はこんな状況であるから、役所の建物から出て企業に接待されると、役人はイチコロである。貧富の差が余りにひどすぎる。
 報告書に話を戻そう。報告書は役人の作文であるので、「規制緩和」のような政府の基本方針に反することは書かれていない。これは当然で、国民の忖度(そんたく)を受けた政府の決定を役人個人の意志で変更することは規則に違反する。役所に就職すると最初にいわれることは、机のように仕事をするように。つまり、誰がやっても同様の書類になるというように、ということであるそうだ。委員の方もその点はわきまえていて、規定の方針に反することはいわない。というか、反対の場合には、ぎりぎりのところを見きわめて何とか意見を反映しようとする。例えば、「規制緩和は当然だが、これは安全を脅かすものまで許さないのは当然であるから、××までは手を触れるべきではない」といった微妙な言い回しで抗弁する。もしここで、「規制緩和の方針自体が絶対間違っている」と執拗にいい続ける委員がいれば、その人はやがて委員としてはふさわしくない人物として役人の頭に焼き込まれることになる(冗談にまぎれて反対するのは構わない。ある役人など、「まあ原子力は自然死ですか。う、こんなこといってはいかんか」とのたまわった)。それほど政府の方針というのは全体の議論に枠をはめる。だから、政権が交代して「規制緩和をやめる」と決めれば、委員会も別の方向に走らなければならない。「選挙なんかで何も変わらない」というのは、役所の仕組みを考えれば大間違いなのだ。
 ところで、この種の委員会システムの問題点は何だろうか。問題点は多々あるだろうが、専門家が必ずしもそれにふさわしい役割を果たしていないという点は、そのひとつではないだろうか。運輸省の委員会に出ていたときに痛感したことだが、STS関係者に安全問題についての研究者がもっとたくさんいれば、私は委員になるのを辞退して、適当な別の人を紹介することもできたわけだ。その人に能力があれば、報告書の作文を役人任せにすることもなく、本当に国民の安全を考えた報告書ができるのではなかろうか。政府の委員会なので限界はあるが、それ以上に、役人に代わるシンクタンク機能が日本には欠如しているのである。アメリカのワールドウォッチ研究所であれば、政府の方針を引きずるほどの影響力があるように思える。であるから、STSの分野でも、世論をリードするほどのマンパワー、研究制度を整えていく必要があるだろう。「じゃあ私が報告書の草稿を作りましょう」というためには、委員本人の周囲に適当な専任スタッフがいることが前提である。
 ところで、そんなに不十分であることを知っていながらなぜお前は無責任に委員を引き受けるのか、と言われそうである。確かにその通りである。実際、学者は政府お手盛りの報告書の権威づけに使われている部分がある。それでもつい委員を引き受けてしまうのは、科学技術についての政府の意志決定の仕組みを知りたいこと、さらに、各種委員会で専門を異にする分野の研究者(特に有力者)と知り合えるからである。どの国でもそうだが、新しいことをしようとするときにいちばん重要なのは人脈である。STSの影響力を広めるのに、この人脈は役にたつのでは、と考えてしまうのである。実際、STSの国際会議を実行するとき、小林実行委員長の人脈の厚さを見せつけられたのは強烈であった。
 もっとも、こういうのは言いわけで、委員に選ばれることで、本当のところは人間の権力欲をくすぐられているのに過ぎないのかも知れない。先日もらった委員会の辞令には「○×委員に任命する。内閣総理大臣、橋本龍太郎」とある(シュールだ)。たまたまこれを研究室に置いておいたところ、同僚や学生が見て妙に感心している。別にみせる積もりでいたのではなかったのだが、彼らはめざとくそれを見つけて誉めてくれる。ということは、権力に弱いのは、案外私に限られないのかも知れない。




[戻る]
Copyright (C) 1998, STS Network Japan
All rights reserved
For More Information Contact office@stsnj.org