STS Network Japan '98 夏の学校 <合評会松本三和夫『科学技術社会学の理論』(木鐸社)を読む>に参加して




山根伸洋(一橋大学大学院)
 98年度夏の学校の最終日である7月20日午前中に、合評会は開催された。前夜からの夜を徹した議論の熱気が残る中、前夜からの、そして当日朝かけつけた参加者の人たちが三々五々会場に参集してきた。
 今回の合評会は、永らく社会学の領域に足場を持ちつつSTS研究に邁進されてきた松本三和夫氏が合宿の直前(98年6月30日発行)に出版された『科学技術社会学の理論』をまずは若手で紹介し検討の俎上にのせてみよう、そんな意図で急遽企画されたと記憶している。何しろ<科学・技術・社会>の学と銘打った書物の登場だ。夏の学校の始まる前から、この本をどう位置付けたらいいのであろうか、と一部報告者、仕掛け人等々の間で、否応無しに議論が盛り上がったように思い出される。つまり本書は世間にありそうで実はまったく書かれたことのない、学のフロンティアを切り開くものとしてあったのだろう。
 さて、当日の合評会は本書が出版後間もないということ、そして活字の量としても、扱われる内容の広がりの点においても、大著ともいいうるものであったので、オーソ6 STS NETWORK JAPAN NEWSLETTER Vol.9 No.ドックスに各章ごとに若手の報告者を一名割り振るというかたちになった。具体的には、「序章 科学技術社会学とは」(石原明子)以下「第泄秤ネ学技術社会学の一般枠組み」、「1章科学者集団の内部構造」(春日匠)「2章科学と社会の制度化」(中村征樹)「3章科学、技術、社会の相互作用」(隠岐さや香)以下「第部科学技術の意図せざる結果を考える」「4章地球環境問題を考える-科学技術社会学からながめてみれば(1)」(上野啓祐)「5章原子力研究・開発を考える-科学技術社会学からながめてみれば(2)」(野村元成)「6章日本問題を考える-科学技術社会学からながめてみれば(3)」「終章自己言及性・自己組織型科学技術社会学と不確実性」(平川秀幸)ということで各担当者が担当個所を逐次紹介していくというかたちになった。当日の司会は本書の編集をサポートした柿原泰氏が担当した。
 予定時間が2時間ということ、7人からの報告を受けていくということもあり、合評会そのものは、各章ごとの紹介と若干の討論が司会による手際のいい進行もあいまって、やや駆け足のものとなったといえるだろう。もちろん今回の合評会で本書の評価が定まるということではなく、「今回の議論が本書を考える上での手がかりになり、東京に帰って是非本格的な書評会を」という意見も終盤で出てきた程に、参加者が本書に注目していることは明らかとなった点は、一つ今後のSTSをめぐる議論の活性化の上でも重要な契機となったといえる。
 議論の中で特に目立ったものとしては、序章においての科学技術社会学と科学技術活動との関係性、第3章に見られる「STSマトリックス」を規定する5つの社会セクターと3つの科学技術分野の類型化の妥当性等々の論点が出された。
 また、「科学技術社会学」と「STS」との関係性が不分明なのではないか、という意見も出た。著者である松本氏が提唱する「科学技術社会学」とは何か、ということが問われている議論にも思えたが、その実「STS」自体が現在的にどのような社会的位置を占めるべきなのか?もしくは占めているのか?ということが逆に問われていることが、議論を通じて、次第に明らかになっていったのではないかと思われる。
 本書はこれまでの社会学のもしくは科学技術研究の分野において欠落していた空地に重要な参照すべき一つの道標を打ち立てたのではないだろうか。実は私自身、STSにかかわる前にこのような書物が出版されていたならば、真っ先に手にして、でもこっそりと読んでいたように思う。思考する際の既存の一般的準拠枠自体を「脱構築」することが80年代中盤から90年代初頭にかけて「熱病」のごとくはやったが、その中で、こうした書物が準備されてきたことを考えるのであれば、まだまだ大学アカデミズムも捨てたものではないなと思う。いや、ここの領域の議論を批判することはたやすいのだが、ある中間的な知の領域の全体性をデザインすることがこんな困難な時代によく……。参照すべき地図を見失いがちな時代に、さしあたって批判的にであれ勉強がてらであれ、「オーソドックス」な本が出てきたことを、私たちは歓迎すべきなのではないだろうか。


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