欧州STS大学院サマースクール参加記
平川秀幸 (国際基督教大学)


 

 8月17日から21日まで,オランダのエンシュヘデにあるトウェンテ大学で開かれた欧州STS(科学技術論)大学院サマースクールに参加した。真夏というのにオランダの気候は日本の初秋を思わせるほどで,夜は若干寒いほどだった。とはいえ夏時間で夜は9時になっても明るい。到着した日,夕方ホテルでうとうと眠ってしまい,目覚めたらもう9時。「いかん,朝まで眠ってしまった」と思ったらまだこれから夜の帳が下りるところだった。
 さてサマースクールには,オランダ国内を中心に,ドイツ,スイス,スペインなど欧州各国の他,カナダ,アメリカ,そして日本(筆者)からの大学院生26名が参加した。このプログラムは,1986年より,オランダの「科学・技術と現代文化」という大学院カリキュラムの一環として開かれ,オランダ国内を中心に欧米のSTS専攻の大学院生を集めてきたもの。今年度は「科学,政治,法」という総合テーマのもと,米国コーネル大学(昨年秋からはハーバードのJFKロー・スクールに移った)のシーラ・ジャザノフ教授(Sheila Jasanoff)を主講師として迎え,彼女の専門領域である科学と法,リスクと公共政策をめぐる諸問題を中心に5日間朝9時より夜9時(といってもまだ明るい)まで濃密なワークショップが開かれた。各日のお題は下記の通り。

お題:
17-18日  司法の場における科学とSTS
19日   リスクと規制: リスク社会,公共政策,規制科学(regulatory science)
20日   国際政治経済と地球環境科学の発展
21日   国際関係,規制,科学専門知識

 1, 2日目は,法廷で用いられるDNA鑑定の信頼性を,その鑑定作業と反論双方の論理の組み立て方を辿ることで評価することや,証拠陳述の信頼性演出のためのレトリックの分析,専門的知識と常識的感覚のバランスの問題や,どのような専門知や専門家が信頼されうるかに関する文化的な違いなどが論じられた。学生参加者の報告では,スイスから参加した院生の発表では,あるバイオテクノロジーの実用化に関するスイスの国民投票についての報告があった。3日目のリスクと規制に関する話題では,いわゆる科学的方法によるリスク評価の手法(定量的リスク評価)だけではリスク問題は理解も解決もできず,リスクの認識や評価のプロセスや,その背後にある社会的問題についての社会科学的な分析が不可欠だということに議論の他,ドイツにおける福祉国家の枠組みの下でのリスク問題の制度的対応の変遷や,カナダにおける化学物質過敏症をめぐる論争が紹介された。とくに後者は,カナダではこの症状の原因として,それを心理的な問題と見なし化学物質とは関係ないとする動向が報告された。これはSTSでは「境界画定作業(boundary work)」といって,ある問題を具体的にどのような分野のどんな方法で定式化するか,どの分野の専門家が扱うのが正当かに関する駆け引きや選択の事例である。通常「科学的」という一言でいわれてしまう専門的議論の内部にあるこうした力学に目をむけることは,問題が正しく扱われるか否かに直接関係している点で社会的に非常に大切である。
 4日目の午前中は,STSの理論の妥当性や役割に関する,やや理論的なディスカッションが行われた。ジャザノフ教授からは,STSの理論は基本的には,科学哲学者が考えるような自然科学の理論(現象を表す基本的変数の体系)とは異なるが,人々が共有している「意味」―ある問題をどのように考えどのような解決を求めるか―を喚起し,人々がヴィジョンを明確化し行動するのをエンパワメントする「物語り(story-telling)」という解釈学的な働きができることが指摘された。これは,STSが扱う科学も含む「社会的世界」が,常に既に人々自身によって解釈されているものであり,社会科学者の「理論」もまた,人々によって解釈され,それによって対象である社会的世界が変化し,またそれを人々や社会科学者が解釈し…という「再帰的構造」をもっていることに基づいている,と説明があった。(社会学者のアンソニー・ギデンズの「二重の解釈学」などがこの種の議論をしている。) ちなみにこれはすごく重要な話で,先日も友人と話していたのだが,STSが扱う科学技術の「問題」というのは,ときに「それが問題である」ということ自体が,うまく実証性をもっていえないことが多いために,しばしばただの妄言に聞こえてしまうということに関係している。たとえばまだ顕在化していないある新技術のさまざまな弊害について人々が漠然と感じている不安やSTS研究者の問題提起を,明確に誰でも納得できる形で打ち出すのはすごく難しい。とりわけ,倫理的な関心などの場合は,へたをすると「それは個人的な思い込みの問題でしょ」で片づけられかねない。そもそも科学技術というのは,まさに現実―とくにニーズや便利さ―を作り出してしまうものであり,しかも人間は,たとえ当初は何か戸惑いや問題意識があったとしても,けっこうその現実に適応して馴れてしまえるから,その科学技術について,明らかに検証可能な物理的リスク以外の漠然とした危惧や弊害を指摘しても,「それは変化についていけない頑固者のノスタルジー」とか言われかねない。たとえばこれだけ携帯電話が普及している状況の問題として,電磁波の影響などはそのうち白黒決着がつくかもしれないが,人間のコミュニケーションのあり方の変化の意味など,ハッキリ定式化し難い文化的な問題というのは,すごく扱いづらい。とくに科学技術が作り出す「ニーズ」というのは恐いもので,ほんとうはそんなもの使わなくても,ちっとも不便ではなかったはずなのに,使いはじめてしまうと以前が不便だったように思えてしまい,そもそもニーズすら感じていなかった以前の感覚が消え失せてしまう。(ちなみに筆者は携帯電話を使っていない。理由は単に必要がないということだが,ある意味では,「必要であると感じるのを拒否する」,「そのニーズがそもそもニーズなんかではなかった」というのを自分の中に保持し,次々と変化して行く技術者界に対する「定点観測」をしたいという気持ちもある。電子メールには負けてしまったが。)
 話をサマースクールに戻そう。4日目の午後は,国際政治と地球環境科学の発展に関していくつか報告があった。たとえば生物多様性条約において保存の対象とされる「植物遺伝資源」という概念は,基本的に経済的利益の観点から作られた問題含みの概念であるという議論があった。さらに夕方には,グループごとの演習課題だった「民主社会におけるリスクの諸問題とSTSの課題」が全体討論で話し合われた。
 9時にセッションが終わった後は,バーでサマースクールの「修了式」。一人一人,修了証が手渡された。あとはビールを飲みながら,カウンターやテーブルなど,そこここで話に花が咲いた。
 最終日は午前中に,欧州での狂牛病研究に見られる科学と国家政策の関係に見られるスペインとイギリスとでの文化的差異と欧州統合の影響についての報告などがあった後,昼食後は総括討論で今年度サマースクールの反省点が話し合われた。3時過ぎにこれもお開きとなり,5日間のサマースクールの幕が閉じられた。またいつか学会などで再会することを約束して,スイス人とアメリカ人の友人と一緒にタクシーで駅へと向かい,アムステルダムへの帰路についた。
 全体を通じて印象に残ったのは,学生にも講師陣にも,リスクを社会的問題として扱い,何よりも民主社会の枠組みでいかにそれに関する意思決定を行うかという政治的問題としてのリスクという見方がすでに定着しており,ケース・スタディの蓄積も沢山あるということだった。これは日本のSTS業界(そして社会科学業界)には,まだまだ決定的に欠けているところだろう。また,なんといっても,トウェンテ大学を初めとして,STSの大学院コースがあるというのも,日本と比べた大きな違いだろう。それから院生の参加者の半分以上が女性だったことも印象的だった。とくにオランダ現地の院生の2/3はそうだった。またオランダ人の学生と休み時間に話していて面白かったのは,「日本の大学進学率は4割以上」といったら,「えっ? 大工さんやパン屋さんは誰がなるの?」と驚かれたこと。「大学」というのがエリート養成機関であり,日本やアメリカのように大衆化されていないヨーロッパならではの反応だなぁ,と印象深かった。
 それからオランダの食事の味は,日本人としては物足りなさがあったが,ビールはやはり美味かった。サマースクールの夜も毎晩宿舎で飲みまくり。いい夜を過ごせた。ちなみに3日目の夕方は,今年まで7年間スクールの校長先生を努めたロブ・ハーゲンダイク氏への謝恩会で街に繰り出したのだが,そこまで行く間に「オープンバス」というトラックの荷台に座席をつけたようなバスで,小一時間ほど郊外をドライブ。山というものがないオランダの風景はどこまでも真平らな田園風景で,ビールやワインを飲りながら歓談する合間には時折「田舎の香水」が香ってきた。 (ちなみにアムステルダムから来る二時間くらいの間の風景も同じで,いつ窓の外を見ても牛や羊がいた。オランダの人口は1400万人たらずだから,もしかしたら家畜のほうが多いかも。)また講義の合間には,フリスビーやサッカーをやって,年甲斐もなく若い連中と久々に体を動かした快適で愉快な数日間だった。
 ところでもう一つ,オランダ訪問でどうしても書かずにはいられないことがある。オランダには,その前に国際哲学会議(スティーブ・フラーも来ていて宿が一緒だった)での発表があって滞在していたボストンから来たのだが,その途中に預けていたスーツケースが紛失。乗り換えがチケットの都合で途中2回ということもあったし,これだけならまぁよくある話なのだが,通常最高でも48時間以内には見つかるはずの荷物が見つかったのは,到着日時から数えると80時間後。そして手元に荷物が届いたのは,サマースクール最終日の朝。着替えはもちろん,ポスターセッション用の原稿,パソコンの電源,目覚し時計その他ほとんどのものが入っていたものだから,とても苦労した。おまけにケースにはボストンで買った本が10数冊入っていてかなり重い。結局何の役にも立たなかったそのケースを抱えて,それがやってきたスキッポール空港近くのホテルへと向かったのだった。ちなみに荷物はどこで発見されたかというと,なんとお隣のベルギーのブリュッセル空港。最初の予定では,到着した日は,出国前に聞いておいた中島秀人氏のアドヴァイスに従って,そのまま電車でベルギーに行って美味しい食事にありつこうと計画していたのに…!  その世の「北海のシャケ」の味がなかった(マイ醤油を持っていかなかったことを後悔した)だけにとても悔やまれた。

 最後にもう一つ。ジャザノフ教授は(たぶん)6月くらいから半年ほど,京大の社会学の客員教授として日本に滞在する。せっかくの機会なので,NJとしてもワークショップなど中身の濃い交流を企画したいと考えています。



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