解放所感 
松山圭子(浜松医科大学(非常勤)他)


            

1.
1992年春、先端研大学院の入学試験受験時に提出した研究計画書に記した研究課題は、「medical literacyとマスメディアの機能――『コレステロール』という医学用語をめぐって――」であった。そして、今回、学位を授与された博士論文のタイトルは、「医学報道と医学啓蒙の構造――医学用語『コレステロール』の活字メディアにおける語られ方を中心として――」とした。題が変わったのには理由がある。
 まず、medical literacyという言葉は一般的なものではない。scientific literacy(以下SLと略す)からの造語である。SLとなると、STSに多少なりとも関心のある人の間でかなり普及した言葉だ。もちろんSTS−NJの一員である私にはきわめてなじみ深い言葉であった。「であった」と過去形を使ったのは、少なくとも私の周囲では、一時ほど頻繁にこの言葉を聞かなくなったからであると同時に、私自身の悔恨を込めている。かつて科学技術庁科学技術政策研究所が主催した国際シンポジウム(1992)の感想をこのニュースレターに掲載したおりにも、SLという言葉を用いた議論の不毛ぶりに触れた(「ST・UEシンポジウムを聴いて」Vol.4 No.1,1993)。そもそも「SLが高まると、原子力発電の必要性についての理解が深まる」という使い方でわかるように、日本においてこの言葉は政治的な色彩を帯びていたのだった。もっとも、日本でなくとも、リテラシー(読み書き能力、識字率)という言葉じたい、先進国中心の近代イデオロギーの発露なのだ。これは、medical literacyという言葉を使って学会発表を行ったとき、文化人類学者(医療人類学者)から批判された。
 私は反省した。”インフォームド・コンセント”から始まる医療社会学(特にsociology in medicine)に対し、「初めに説明すべき医学知識ありき、だと思っている!」と、その専門家中心イデオロギーを批判していた私だったのに、なんとまあナイーブな言葉の使い方をしていたものか。

2.
それにしても、時間がかかった。大量の新聞・雑誌記事と面接調査の聞き取り記録はどんどん貯る一方で、私は峻巡してばかりだった。「なあんか医学記事ってナサケナイよねえ」と、旧知の武井秀夫氏(医療人類学)相手に、ジャーナリストには極めて失礼な放言をしていた私は、そのナサケナサの根源を解き明かすような論文が書きたかった。なのに、書けないのだった。もっとも、この放言をした時点において「なんで科学(医学)記事が、科学者や医師の太鼓持ちするねん?」という問題意識がキーになるはずだとは思っていた。
 結局、「コレステロール」報道が(1)論争中のテーマなど不確実な医学言説を扱うという問題、(2)論争がなくとも、医学内の各分野間、医学の内外で意味の変容が起こるという問題、(3)言葉とともに概念も大衆化するという問題をかかえたものであり、その問題に答えるものとして論文をまとめることにした。もとより、「STS問題としての『コレステロール』報道」が、自分で自分に課した宿題である。(1)に対しては、常識確認型と常識再考型という2種類の記事があり、それぞれが医学について判断を回避したジャーナリストによって書かれたり編集されたりしていること、(2)には、医学知識の正確さに重層的構造があること、(3)については、もともと医学の中にあった勧善懲悪物語が、医師がマスメディア向けに用いた表現「善玉/悪玉コレステロール」により顕在化したことなどが答となると思った。

3.
 そして、「善玉/悪玉」という「わかりやすい」説明が、医学(科学)報道や啓蒙の陥穽なのだということを強調したつもりである。用いる言語によって自分のいる世界の切り分け方が異なる、言い換えれば、世界の見え方はそれを表現する言葉にすでに規定されているということは、言われて久しい(論文の中に、ソシュールや丸山を引用したわけではないが、STS−NJのメンバーならかつての川崎謙氏の発表を思い浮かべるだろう)。医師がHDL-/LDL-コレステロールを「善玉/悪玉コレステロール」というとき、それは素人への配慮のように見えて、医学の世界と日常的世界を自由に行き来できる特権を医師が確保しながら、素人を医学の世界からシャットアウトしていることである。さらに、果して本当に、医師は医学の世界と日常的世界を自由に往来できているのか疑問でもある。こう考えたら、ジャーナリストは、取材先の医師に「教わりに行き」、医師のエンコーディング(記号化)通りにディコーディング(記号解読)していてはならない。批判的ディコーディングをしてこそ、記者も編集者もその役割を果していることになるのだ。けれども、現状は「先生に教えていただいた」ジャーナリストが、そのまま文字どおり正確に報道(支配的ディコーディング)し、1960〜70年代のコレステロール過剰対不足論争のときでさえも、その論争の存在すら見えないような形の記事が掲載され続けたのであった。

4.
 結局、報道の針小棒大主義やらセンセーショナリズムとやらよりも、医学知識をどう捉えるかが重要であった。その点は、欧米の科学とメディアの研究の動向が、メディアを問題にするより科学を問題にすべきであるとなってきているらしい(Jasanoff,Markle,Petersen & Pinch(1995)(eds)Handbook ofScience and Technology Studies所収、Lewenstein 16章)のと同じ方向に向かったといえるかもしれない(ショセン、人間ノ考エルコトッテ似タヨウナモン)。ただし、医学(科学)知識をどう捉えるかの主語は、論文の中ではこの私であるが、現実の報道の過程では記者であり、そしてより広く社会の中では一般市民である。エンコーダーである科学者から発信された科学知識について、批判的ディコーディングできるのは、科学者の仲間(peer)ではなく、ジャーナリストや素人であろう。

5.
 博士論文をなかなか書き上げられず、おたおた、もたもたしているうちに、いろいろ状況が変わった。指導教官であり、副査でなく主査となっていただいたであろう村上陽一郎先生が東大を去られた後、情報技術社会相関分野(1995年当時)の廣松毅先生が指導教官、主査となって下さった。また、入学当初は先端研におられなかった先生方が着任された。それで、1996年春以来今日まで協力研究員として私が在籍している情報社会論分野の青木保先生やSTS関係の会で何度もご一緒している橋本毅彦先生、そして医学畑からは、元々おられた人工心臓の満渕邦彦先生のほか、マクロファージのスカベンジャー受容体(変性LDLの受容体)の発見者である児玉龍彦先生も、審査委員となった。統計学1名、文化人類学1名、医学2名、科学史・技術史2名という非常にバラエティに富んだ組合せである。これだけの顔ぶれが並んだのは、私がもたもたしていたおかげである。
 予備審査や本審査のとき以外も含め、各先生が、それぞれさまざまにご指導下さったのは、某先生が「まあ、あなたも大変ですねえ」とおっしゃった通りである。「善玉/悪玉」を書いた章がおもしろいので、もっとふくらませという先生と「善玉/悪玉」以前の章までで十分おもしろいので、この章はなくてもいいのではおっしゃる先生がいたのには、閉口した。が、何よりも困ったのは、本審査の最後に発せられた「で、結論は何ですか」という質問だった。
 学位取得まで時間がかかったことで最も残念なのは、阪大大学院(医)修士課程入学以来お世話になり続け、先端研受験時に推薦状を書いて下さった中川米造先生が亡くなられたことであった。論文提出の報告はできたものの、学位取得の報告はとうとう生前の中川先生にできずじまいだった。
 9月の最後のお見舞いの時、「もうすぐ本審査です」(当初は9月下旬に行われる予定であった)という私に「びっくりさせたもんの勝ち」と無責任なことをのたまい、「それが無事済んだら製本」と私が言うと「金かかるなあ」と同情された。本審査の最後の質問に対し、迫力ある答ができなかったので、「なんや。ちいともびっくりさせるような答え方になっとらんやないか」とあの世で言われていそうである。
6.
 博士(学術)の学位を授与されはしたが、なんだか終わったような気がしない。論文を書いているうち、専門家と素人の関係について明るい展望が開けないような気持ちになってきたのも、その一因である。まあまあ、これだけ苦しめられながらもいやになりそうでならなかった「医学(科学)とメディア」というテーマが、これからも、私を呪縛し続けることになるのであろう。今後は、「コレステロール」以上にいかがわしい生物医学の情報(今計画中なのは、パロチンに関する情報)について研究をしていこうと考えている。



[戻る]
Copyright (C) 1997, STS Network Japan
All rights reserved
For More Information Contact office@stsnj.org