「遺伝子治療を考える市民の会議」の経過報告 その1
  −日本で最初のコンセンサス会議の試み−
  1998年2月27日 
科学技術庁科学技術政策研究所 木場隆夫

 科学技術に関する問題の議論に市民が参加できる場として、現在、日本でコンセンサス会議を試みに開催している。この方式はデンマークで1987年に始められ、以来、オランダ、イギリスなどで試験的に行われた。本会議では名称にコンセンサスという外来語を使うのを避け、「遺伝子治療を考える市民の会議」とした(以下、「会議」と略記。)。「会議」は、東京電機大学の若松征男教授を代表とするグループ「科学技術への市民参加」研究会がその事務局となっており、私もその一員である。「会議」は本年1月から3月に三回の会合を開き、3月21日にSTS国際会議の京都会場で公開シンポジウムとして結果報告を行う。
 本「会議」の意義については様々な角度から検討されるべきであり、そのため、様々な機会に「会議」の状況について外部に報告する必要があると、私たちは考えている。「会議」自体はまだ途中段階であるが、本稿はSTS研究者への発信の第一報として、STSNetwork JAPANの皆様に、「会議」開催の構想から、実施までの取り組み状況を記すものである。 市民を巻き込んでコンセンサス会議を開催しようと具体的に構想したのは昨年の3月であった。その時点での状況は、若松教授は、90年代初めからデンマークのコンセンサス会議に注目をしており、「現代思想」1996年5月号1にコンセンサス会議について寄稿するなど、諸方面に紹介していた。私は、科学技術政策研究所で、若松教授と科学技術特別研究員(現在)の綾野博之氏とともに、科学技術と人間社会との調和という問題意識でコンセンサス会議について文献調査を行っていた。若松教授はデンマークに滞在しコンセンサス会議について豊富な知見を有しており、後に研究会に加わる南山大学の小林傳司助教授はイギリスのコンセンサス会議の準備状況に立ち会うという経験があった。そういう意味ではコンセンサス会議に関して直接見聞した人はごく少数いたが、その他の日本人はコンセンサス会議を想像でしか理解していなかった。入手できる文献はデンマークで制作した英文文書と、イギリスの科学博物館が出版した本2程度であった。
 昨年5月に、実施に係る資金の獲得のため、トヨタ財団、日産科学振興財団ともう一つの財団に研究会議の助成申請を行った。その申請内容は、関西地区において一般市民十数名を募り、専門家数名からレクチュアの後、科学技術に関する問題について市民が自ら意見をまとめるというデンマークの方式をほぼ踏襲したものであった。テーマは、なるべく問題が未知で、議論の自由度が高く、かつ、市民自身にも関係するものという観点から、遺伝子治療とした。しかし、コンセンサス会議自身の意味、とりわけ日本で行うことの意味について疑問が持たれると想像されたので、日本的コンセンサス会議のあり方の検討も研究内容として並記した。とくにトヨタ財団では、主な関心課題として、市民社会の時代の科学・技術という項目を提示しており、その関心には合致する提案になると期待できた。
 同9月、トヨタ財団、日産科学振興財団より総額290万円の助成決定があった。これにより「会議」の開催は、可能性に過ぎなかったのが、一挙に実現の運びとなり、準備を急遽始めることとなった。「会議」の開催場所、時期、会議の性格や運営方針の決定、参加していただく市民、専門家の募集などが当面の課題であった。10月初旬に南山大学の小林助教授を研究会メンバーとして迎え、それらを手探りで検討した。
 3月21日の公開シンポジウムでの報告が最終の日取りであることが決まっていたので、それから逆算して、それ以前の土曜日に2回の専門家のレクチュアと、1回の市民パネラだけによる討論の場をもつのが、最低限必要であった。参加する市民の負担を考えるとそれ以上、時間的に拘束するのは不可能であるように思えた。また、今回は、かなり少ない資金で、短期間の準備で行うので、日本における第一歩の試みという性格のものと確認された。専門家は、「遺伝子治療」を行う大学医学部の医師、生命倫理の研究者、医療経済、ジャーナリスト、法律、遺伝子操作に関する市民団体、患者団体などから10名程度集めることとした。以上をまとめた趣意書を作成し、新聞社等にファックスで送付したところ、日本経済新聞に11月1日にかなり大きく記事として取り上げられた。
 10月中旬から市民の参加者を集めるために、関西の知人等を介しての勧誘、市の広報誌やコミュニティ・ペーパー(リビング名神、京阪)への広告の掲載、各市の広報誌への働きかけ(寝屋川市広報は私たちの試みを紹介してくれた。)、ビラの配布、ポスターを作成し駅や大学などに掲出するなど、多面的な応募活動を行った。また、大阪府立大学の森岡正博助教授のネットワークで宣伝していただいた。この頃東京農工大学の鬼頭秀一教授に研究会に加わっていただいた。市民パネラの応募締め切りは11月末としていたが、12月上旬までに20数名のアクセスがあり、そのうち、専門知識をもつ人は傍聴に回っていただいた。最終的に用意した応募用紙に正式に書き込んだ方は20名であったので、市民パネラは20名とした。予習のために市民パネラに横山裕道著『遺伝子のしくみと不思議』を配布した。
 専門家のボランティアとしては、遺伝子治療に関係する市民団体、患者団体、法律家はそもそも少なく、打診をしたが、調整がとれなかった。結果として、医師5名、生命倫理研究者2名、医療経済1名、ジャーナリスト1名の9名を得ることができた。12月中旬には会議にあたって、市民が活発に質問し、討論が主体的に行われるように注意を喚起することや、討論の日が一日しかないことから討論にあたって重要と思われる論点を、事務局として提示しておくことが必要と感じられ、それらを手引きとしてまとめ、本年1月中旬に配布した。1月21日の第一回会合以降については、今後、報告したい。


[1] 若松征男, 「素人は科学技術を評価できるか?」, 『現代思想』, Vol.24-6, 1996, 青土社
[2] Edited by Simon Joss and John Durant, Public Participation in Science, Science Museum, 1995, London



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