東電問題とSTS−東電問題の地元から−

八巻俊憲(福島県立郡山高等学校)




T.「東電問題」と福島県

 昨8月末、東京電力?が福島第1・第2原発を含む原子力発電所の検査記録を改竄していたという事実が、検査担当業者の内部告発がもとで発覚した。その後1月半ほどの間、地元の新聞は連日にわたってこの問題を取り上げ、事件発覚後3ヶ月を経た現在でも、続報があると地方紙ではトップ記事扱いという状況が続いている。福島県もこれまでになく原子力政策に対する危機感を露わにしている。したがってここでは、この状況を単なる過去の問題が発覚した衝撃にとどまらず、今後予想される原子力政策への影響により比重を置いて「東電事件」ではなく「東電問題」とした。日本原子力学会でも、すでに同じ呼称を用いている。

 さて、福島県(佐藤栄佐久知事)ではその前年(平成13年)の5月、「エネルギー政策検討会」を設置し、エネルギー政策全般についての検討を重ねており、ちょうど昨9月にその中間とりまとめを発表する態勢にあった。
 国策である原子力推進プログラムそのものを俎上にのせるという、福島県始まって以来というべきこの検討会がスタートした契機は、その「中間とりまとめ」の序文に次のように述べられている。

このように、国策として一旦決めた方針は、国民や立地地域の住民の意向がどうあれ、国家的な見地から一切変えないとする一方で、自らの都合により、いとも簡単に計画を変更するといった、国や事業者のブルドーザーが突進するような進め方は、本県のような電源地域にとって、地域の存在を左右するほどの大きな影響を与えかねないものです。こうした動きに左右されず、地域の自立的な発展を図っていくためには、電源立地県の立場で、エネルギー政策全般について検討し、確固たる考えのもとに対処していく必要があると考え、エネルギー政策検討会を設置いたしました。
(福島県エネルギー政策検討会「中間とりまとめ」p.1)
http://www.pref.fukushima.jp/chiiki-shin/indexhtm.htm
 上記の「このように」というのは、県が過去1世紀にわたって、国のエネルギー政策及び東京電力などの事業者に全面的に協力してきたこと、なかでも原子力発電が県の地域振興の鍵をにぎっていること、一方で原発は事故や事件を繰り返し、もんじゅの事故後には国が国民の合意形成を改めて行うべきとの「三県知事提言」をしていること、その後浮上したプルサーマル計画の導入については県が「核燃料サイクル懇話会」を設置して1年間かけて検討し、全国で初めての事前了解に至ったこと、その後MOX燃料データ改竄、そして東海村JCO事故が発生したにもかかわらず、平成13年事業者はプルサーマルの実施や新規電源の開発計画の凍結を一方的に発表し、その後原子力のみ計画推進に修正するといった一連の動きを指している。佐藤知事としては、原子力というお荷物を懐に受け入れ、地域の振興と国策への協力を両立しようと真摯に努力してきたのに、国や事業者はそれにあまりにも冷淡であった。そこに政策の根幹にかかわると同時に地域を危険にさらす重大事故や事件が起こった、それらに業を煮やしてというのが、この「検討会」の設置された背景にある心情ではないかと察せられる。
 しかしながら、「もんじゅ」や「JCO」はまだ、福島県で直接起きたわけではなかった。そのような事態が県に及ぶのだけは防がなければ、という危機感が、国策の側に立つ首長としてはあっただろう。そこへかの東電事件の発覚である。この事件は、東電の殆どのプラントが運転停止に追い込まれるという、事業者にとっての「実害」以外は目に見える被害がなかった一方で、事業者そして監督責任者=国(保安院)がそれぞれ県を裏切っていたという、県側の真摯な努力による積み重ねの裏にある心情を逆撫でにし、最後の信頼の糸を断ち切るという決定的な効果をもたらしたのである。これに歴史的という形容詞が付加されるかどうかは、今後の成り行きを見守るしかないが、上記抜粋にもある「ブルドーザーのような」という国及び電力会社に対する形容詞は、その後知事の口から何度となく発せられ、報道にも繰り返し登場しつづけている。

 これらの展開は、つぎのことを明らかに、またはこれまで以上に明らかにしたと思われる。
 1)については、少なくとも立地自治体を無視しては事業が進まないことを、すでに事業者も含めて、国民が確信しつつあるといっていいかも知れない。2)については、後に紹介する高校生のアンケートからも分かるように、理論的・技術的な証明の妥当性そのものがSTS的な問題となりうることを示唆している。3)は、すでにJCO事故において危機管理能力が疑問視されていたにもかかわらず、今回また、東電にだまされていたことを企業側の内部告発によって知らされながら的確に対応できなかった国=保安院の無能力さが、白日のもとに曝されてしまったことを意味する。このような国の体質は、県のリーダー達にとってはすでにエネルギー検討会で学習ずみのことであったが、それが如実に証明されるのを眼前にした思いであったろう。

U.日本原子力学会と「東電問題」

 筆者は、事件後の9月にちょうど福島県で行われることになっていた日本原子力学会で、東電問題に関する一般公開のセッションに出席し、問題の真相と背景の一部について聴く機会を得た。

 これに先だって、インターネットで日本原子力学会のホームページを閲覧したが、思いの外情報の公開度が高く、なかでもかなり練られたと思われる細かな倫理規定が、その制定過程の質疑応答とともに公開されているのは一見の価値があると思われる。(http://wwwsoc.nii.ac.jp/aesj/

さて、いわき明星大学で開かれた日本原子力学会の秋の全国大会で急遽実施された東電問題に関する特別企画において、まず9月14日に佐藤栄佐久福島県知事が講演した。報道によるとその要点は、

などであった。

 筆者は翌15日いわきに赴いて原子力学会に初めて参加した。その参加したセッションと概要を以下に要約する。
  1. 東電問題特別セッション(一般公開)    12:00〜13:00
  2. 社会・環境部会チェインディスカッション「原子力コミュニケーションに必要なもの」(市民公開フォーラム)
       13:00〜15:30
       座長:北村正晴氏(東北大工学部)
     これは、学会の「社会・環境部会」の主催による第9回チェインディスカッションとして行われたもので、そもそも社会・環境部会という部会が原子力学会に存在すること、市民とのコミュニケーションが研究課題としてとりあげられていること、を初めて知り、新鮮な気持ちであった。「原子力」は、物理分野における最大のSTS問題であり、専門家と社会との連携という視点が必要不可欠なのは周知である。どうせ専門家は素人になど耳を貸すまいと、インターネットで簡単にアクセスできる原子力学会のホームページさえ、これまで見ようとしなかった自分の姿勢を少し反省した。
     フォーラムは、2人の非会員の講演と、コミュニケーションが専門のコメンテーターによるまとめのあと、フロアとのディスカッションが行われたが、一般の立場の参加者として戸惑いを感じたのは、学会の原子力そのものの専門家の発表がないことであった。講演者はTV関係者と地元住民であったが、こちらとしては別に学会に来なくてもそれらの言い分には接することができる。質問はむしろ学会関係者にしたかった。しかしこれは、専門家側が一般市民の意見を聞くためのフォーラムと考えれば納得がいく。講演と質疑応答の要点は以下のとおり。
      このセッションは2時間半にわたるものであったが、決して十分な論議がなされたとは思えない。@のセッションで専ら問題とされた維持基準の欠如という技術的に本質的な問題点に触れられなかった。安全性を伝えるためのコミュニケーションが重要視されながら、技術論の核心が伝えられなければ、システムがブラックボックスのまま、信頼するかしないかだけの問題になってしまって、これまでとなんら変わりないことになる。
     地元の婦人会長が訴えたように、市民はできるだけ具体的に知り、自分の力で理解して納得したいと願っている。それに答えない限り、技術と市民の間のギャップは埋められないだろう。現場に直接身をもって関わる技術者にとっても、それは不幸なことのはずだ。
     「安心」は、システムがいかに完璧かを語られることによってではなく、現場がさまざまな矛盾を抱えながらそれをひとつひとつ解決していく姿勢を真摯に語ることによってこそ得られるのではないか。
 まとめとして、原子力学会に参加後、次のようなことを感じた。  今回の事件とそれに対する各セクターの取り組みが、「科学技術の民主主義体制」を構築する流れの一ステップとなることを期待したい。

V.東電問題に対する高校生の反応

 以下は平成14年9月18日、郡山高校普通科2年の理系2クラス66名に対して実施した「東電問題に関する緊急アンケート」の集計結果である。後にその傾向の簡単な分析を述べる。
なお、同校のある郡山は、東北線沿いの中通りに位置し、東京電力第1・第2原子力発電所のある浜通りとは地理的にも心理的にも異なる地域であり、同一の県内ではあっても原発の周辺あるいは地元という意識はない。

《註》


<東電問題に関する緊急アンケート>  (郡山高校物理教室)

 8月末、東京電力?が、福島第1および第2原発において、過去に検査結果をごまかし、原子炉内の部品にひび割れがあるのにないとして報告し、修理せずにそのまま運転していたという事実が発表されました。次の各項目について、あなたはどう思うか答えて下さい。

以上

<アンケート結果の分析>
 このアンケートの結果を見て驚いたのは、高校生の電力会社、国、さらに専門家に対する明確かつ深刻な不信感である。それはある程度予想されたものの想像以上であった。これは近未来の国民の科学技術観につながる可能性を秘めている上で十分示唆的である。
 ※紙面を考慮し記載を省略した部分については、筆者に直接問い合わされるか、または全文が掲載された「月刊エネルギー」(2002/11月号、日刊工業新聞社)を参照されたい。

 このアンケートの対象は、原子核の理論についてはまだ学習していないものの、物理を履修している理系の生徒である。したがって、その反応として、原子力政策を進める国や事業を実施する企業に対する信頼感と、自分たちの将来に無関係ではない科学技術の専門家に対する信頼感の間には一線が引かれるのではないかという予想があった。しかし、上の質問1)の結果において、「専門家が大丈夫といってもやはり危険がある」という意見が多数を占め、「専門家が大丈夫というならそうなのだろう」という意見は1名に過ぎなかったことは、科学技術について教える立場としてやや衝撃的であった。
考えてみれば、昨今の社会では国会議員をはじめ、食品会社や医療現場、官公庁での不祥事が頻発し、専門家を含む諸権威に対する一般の不信感は頂点に達している感がある。そのような社会状況を背景とした一般の専門家に対する心証が、未来の科学技術者の育成にもたらす影響の大きさを考えるとき、他人事ではない問題の深刻さをこのアンケートによって思い知らされることになった。

以上





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