夏の学校感想




伊藤祥子(東京大学大学院 総合文化研究科)

 STSNJの夏の学校には、今回初めて参加させていただきました。STSなる分野を知ったこと自体、最近のことで、初めはとりあえず顔を出してみる以上の動機がなかったことは認めざるを得ません。しかし、バイタリティ溢れる面々にお会いできたことをまずは大変うれしく思うとともに、学問の世界・実社会間の溝を埋める人材とその養成システムの開発が強く求められる中で、これほど多くの人々がそれぞれ微妙に異なる視点ながらも私と同じような問題意識を持っておられることを知ることができたのは、私にとって大きな収穫でした。ありがとうございました。
 さて、今回のプログラムは「理工系大学教育の現在」と題して、現場で日々教育や教育改革に従事しておられる先生方の報告を中心に構成されていました。二日目からの参加ではありましたが、文科系で教育学を専門としてきた私にとって、理工医系大学生や企業内技術者に対する教育の事例報告は特に興味深いものでしたし、改革の停滞要因について当事者の忌憚のないご意見をお聞かせいただけたのも非常に貴重な経験でした。中でも、蔵田伸雄先生の北海道大学における工学倫理教育の実践や、山崎勝先生の山口大学における医学部教育改革に関する報告は、まさに現在進行形で、こうした素材が加工処理される前に全国から持ち寄られ、議論の対象となることの意義を強く感じた次第です。
 ただ、学生参加者から時折あがっていたように、発表、質疑応答のいずれも教育を受ける側からの視点が希薄で、理工系の大学教育について予備知識が少なかったり経験がなかったりする学生にとっては、何らかの感想を持つことすら難しかったのは残念でした。さらに言うなら、教育者として技術者教育の方法論や枠組みについて議論する者、研究者としてSTS研究の可能性と方向性について議論する者、また大学当局者としてJABEE(日本技術者教育認定機構)対応について議論する者、一人で二役三役をこなされる先生方もおられましたが、全体としては、どの議論も踏み込んだものにならないままに終わってしまったような印象も正直受けました。ちょっとした工夫ですが、例えば、分科会を設けて立場や関心分野ごとに問題意識を明確にし、その上で総合討論を行うなどの方法も可能だったのではないかと思われます。
 今回、STSとは何ぞや、というスタンスで参加した者の感想としては、疑問符はとれぬまま、と敢えて言わせていただきますが、STSの課題に取り組む懐の深さ、幅、柔軟さには、大きな可能性が秘められていると思いました。今後の活動も楽しみにしております。

----

伊藤通子(富山工業高等専門学校 工業材料教育研究センター)

 富山高業高等専門学校で技官をしている伊藤通子、初参加です。
 5月に参加した環境教育学会でSTSの勉強会があるということをお聞きしweb上で夏の学校を探しあて、えいやっ!という気持ちで飛び込んでみましたが、実は内心ドキドキでした。
 夏の学校の感想を書く前に、ここでちょっと私の職場、「高専」のPRをさせてください。ご存じない方もいらっしゃると思いますので・・・。
 今年のテーマである「理工系大学教育の現在」は、独立行政法人化など様々な教育・学校変革のまっ只中にある高専に勤める私にとって最大級の関心事です。高専は、1950年代の高度成長期に、産業界からの有為な工学系の人材を求める声に応じて創設された6−3−5という新制度の高等教育機関です。最近はその上に2年間の専攻科も設置され、中学校卒業後7年間、工学の一貫教育を行っている学校です。高専教育の特徴の一つに、実験が多い実践型ということがあげられますが、中学を卒業したての学生たちに手とり足とりの実験指導に当たっているのが、私たち「技官」です。高専ではこのように、若いときから5年間(専攻科へ進めば7年間)理工系の教育をビッシリとやっているわけですが、この時代の技術者の卵たちとして、知識や技術を教えるだけで本当にいいのか・・・と長年思い続けてきました。
 数年前から、我流で、開発教育と環境工学をベースに、実験と講義とグループワーク(シミュレーションやディベートなどのワークショップ)を組み合わせた授業を試行していますが、理論的な裏づけがないため、迷ったり立ち止まったりしながらのものでした。  今回、夏の学校で聞いたいろいろな報告者の言葉の中に、日頃実践している中で漠然と感じていた疑問点や課題などへの示唆が示されているものがいくつかあり、大変参考になりました。神戸大学の小川正賢さんの「多様な理工系人材育成プログラムの可能性」には、共感できるところが多く、私の方向性は間違っていないことを感じ、ずいぶん勇気づけられました。7年間の一貫教育ができる高専では、「学生の成長過程とそれに応じた介入の仕方」にずいぶん工夫の余地があり、もっと戦略的に対策をたてるべきだと強く思いました。
 また、金沢工業大学の札野順さんをはじめとする、過去の教育改革、ABEE導入の周辺事情や認定を手段とした教育改革の現状についての様々な観点からの報告は、新しくHOTで本音の情報が多く、大変参考になりました。私の立場でこれをそのまま職場で生かせるかどうかは別問題ですが、個人的な仕事の裏づけになるような学びが多く、お土産をたくさんもらったような気分でした。
 技術者倫理教育の問題では、教育界と産業界でのギャップについての指摘が川崎製鉄の三宅苞さんからあり、その後提案された「どのような立場にあっても生涯通じて技術と付き合っていくための教育の必要性」には大きくうなづきました。いわゆる「95%」側の技術者になる学生への教育に携わるものとして、昨今の厳しさに直面している中小企業で地域産業を支える技術者の倫理をどう捉え、地域の高等教育機関は何をすべきなのか・・・。具体的にはまだわからないままです。
 東京水産大学の柿原泰さんのSTSから/への<問い>は、STS初心者の私にとって大変興味深く期待していたのですが、あまりにもSTSの基本的なことを知らないため理解できず、一番気になる内容でありながらも、頭の中は最後まで???のままで残念でした。STSを少し学んでからもう一度考えてみたいと思っています。
 報告はとても参考になったのですが、議論は一部の方々だけによるものになってしまっていたのが残念でした。教育を受ける立場の現役の理工系大学生や院生や、企業で技術者として働く理工系高等教育機関の卒業生からの声もあれば、教育の現在から未来を眺望できるものになったかもしれないと思いました。
 とにかく、今はSTSをもっと学び、仕事にいち早く生かしたくて仕方ありません。夏の学校で受けた刺激をバネに、ちょっと自分なりにがんばってみようと思っています。  最後に、臨海学校のような民宿での2泊というのは、いろいろな人と親密に接することができ多くの人とお話しする機会あって、飛び込み参加のシャイ(?)な私にとってはうれしいものでした。暖かく迎えてくださったSTSNJ参加者の皆さん、お世話をいただいた事務局、実行委員会の皆さん、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします。

----

多田誠一(東京工業大学 生命工学科)

 昨年に引き続き今年も、先輩である重松さんに誘われて、夏の学校に参加させてもらいました。今回の会場は千葉ということで、千葉県在住の私としてはうれしい限り…のはずだったのですが、どういうわけか、行きは東京駅に集合してから引き返して岩井に行き、帰りは東京湾アクアラインを通って川崎経由で帰る、という妙な経路をとることになり、近場ながら観光気分を存分に味わうことができました。とはいえ、小豆島まで行って帰るのにはかないませんでしたが。
 東工大の生命工学科に所属している私としては、今回のテーマは自分にも十分関係あるだろうと思っていたのですが、実際に様々な話を聞いてみても、技術者の話が自分に関係ある話だとは思うことができなかった、というのが率直な感想です。その主たる原因は、私が、そもそも技術者という職業がどういうものなのか、という事からしてイメージできないということにあったのだと思います。技術者という立場の人のことがよく分からない、ということは、工学関係の学科にいる人間としては言ってはいけない事なのかもしれませんが、あくまでも私の個人的な考えですが、少なくとも私の所属している学科の人は私と同様に、技術者という職業がどういうものかイメージできる人は少ないと思います。
 私の周りでよく聞くのは「技術者」という言葉ではなく、むしろ「研究者」の方です。ただ、ここでいう「研究者」というのは「研究をする人」のことであり、必ずしも大学や国の研究所の人だけを意味しているものではありません。例えば、製薬会社の研究所で働く人も「研究者」になるわけです。この定義だと、特に私の学科ではほとんどが「研究者志望」となり、「技術者」という言葉の指す意味がよく分からなくなる、ということになります。つまり、研究者と技術者がごちゃ混ぜになっているわけです。
 とは言っても、話を聴いているうちに、技術者というのは「企業で自然科学の知識をフルに活用して仕事をしている人」のことだと分かりました。しかしそれでも、そういった人々が国際的に通用する技術者資格を求めているのかどうかは、今回の各発表からはよく分かりませんでした。大学の教育改革が多く、やはり大学の生き残りのための競争材料という面が強いのかな、と思ってしまいます。実際の技術者の方々の話を聞く機会があったらよかったのではないでしょうか。
 帰りに寄ったアクアラインは、台風が近づいていたこともあって海ほたるからの眺めはいまいちで、東京の湾岸を一望することはできませんでした。しかしその分、海ほたるが陸地から遠く離れたところにあることが実感されて、また違った雰囲気の眺めを楽しむことができたと思います。海ほたるには様々な食堂や土産物売り場だけでなく、アクアライン建設に関する資料館などもあり、一度行ってみる価値のあるところだと思います。まあ、一生に一度だけで十分、とも言えるかもしれませんが。

----

土畑重人(東京大学 教養学部基礎科学科)

 今回、夏の学校に初めて参加させていただきました。STSという分野については、大学の専門の関係もあって名前こそなじみのあるものだったのですが、実際にどのような展開があるのかについては知識に乏しいままだったので、内容には非常に興味を持っていました。また岩井海岸という風光明媚なところでこのような勉強会が行われるというところで、お誘いを頂いたときから非常に楽しみにしていた次第です。16・17日と、二日間のみの参加だったのですが、非常に有意義な時間を過ごすことができました。「理工系大学教育の現在」というテーマ自体に関しては、門外漢だったこともあり、ここで私がコメントできる立場にはないのですが、科学技術と社会との関わりに関心を持つSTSの姿勢にならって、今回はこの夏の学校を「外側から」見てみようと思います。
 会場に入った時から感じていたのが、参加者の年齢層が非常に若い、ということでした。中心的に活動されている方々のほとんどが大学院の学生である、ということもそうですし、なによりも学部学生の参加が多い(昨年はもっと多かったとのことでした)ということ自体、私が当初抱いていたイメージとは異なるものでした。そういった若い参加者と、懇親会などの場でさまざまな議論を行えたことが、日頃そういった機会に恵まれないことを残念に思っている私にとっては大きな刺激でした。STS自体まだ若い学問領域ですから、これからの発展を支えるメンバーの「若さ」にじかに触れて、また若いメンバーが日本におけるこの領域の第一線の研究者と交流がもてる場をSTSNJが創り出していることを知って、STSの将来を心強く思いました。
 このようにSTSNJには若い「素人の」メンバーが多いのですから、そういった参加者と専門家とが互いの知識を交流させていくことが必要です。そういった「場」を提供するものとしてこの夏の学校を見てみるに、まだまだ改善すべきところは多いと思われます。昨年行われた夏の学校の感想を読むと、時としてあまりに専門的になりすぎる議論への問題提起がなされていましたが、今回の勉強会でもやはりそのような傾向があったように思います。
 問題はふたつあると思います。一つは領域の専門性についてです。私の勉強不足を棚上げするつもりはありませんが、やはり問題意識の共有は重要だと思います。この点、はじめに事務局の皆さんのご尽力で「入門編」が組まれており、問題の整理がなされていました。また議論の中で「素人」に対するできる限りの気遣いを下さったことも感謝します。ただ、ある程度のこちらの準備も必要かと思うので、前もって基本文献を指定するなどしていただけるとありがたいと思いました。二つ目は問題のローカル性です。今回の議論では、特定の少数の大学における活動が紹介される、というスタイルが多くとられました。問題の性格上、こういったローカル性は避けられないのですが、それだからこそ、第三者的な立場の方々にも実感の湧く議論をしていただければよかったと思います。いずれにせよ、夏の学校の前に、なんらかの形で問題の共有を行うことが必要ではないでしょうか。
 最後になりましたが、今回の夏の学校へのお誘いを頂いた中村さんをはじめ、参加者の方々にはいろいろな刺激を与えていただきました。また塚原先生はじめ神戸大学のみなさん、水着を持ってきていなかった僕が服のまま海に放り込まれるとは思ってもみませんでした(笑)。みなさんどうもありがとうございました。

----

中津匡哉(神戸大学 国際文化学部)

 神戸大学で塚原研究室とつながりを持つようになってから、はや2年が経つというのに、今までSTSNJ関係のイベントには参加する機会がなかった。しかし、今年「STSNJ夏の学校」にはじめて参加させていただき、夏休みを神戸でのんびりと過ごしていたのでは体験できないような、すばらしい経験をさせていただいた。以下、夏の学校に参加した感想を書きたいと思う。
 今回の夏の学校のテーマは「理工系学生の教育」についてという、大学に所属しているわれわれ学生からしてみると、身近な問題のようであるにもかかわらず、私にとってこの問題を学問の対象にする機会は、今まで3年間の学生生活を送ってきて、皆無であったといってよい。そういう意味で、このテーマは、近年の「国立大学の独立法人化」、「学部統合」などの新しい時代の動きに即したテーマ設定であったように思われる。このテーマを提示されたとき、私がどのような反応ができるのかを考えてみると、やはり「大学生の学問に対する意識の問題」ということになる。ここでは、私が大学の授業で直接接した学生の意識と、夏の学校での発表のなかでたびたび登場した「学生の意識改革」を比較し、感想を述べさせていただく。(ここでいう「学生」とは、私が所属する神戸大学国際文化学部の授業においての学生である。)
 私が今まで受けてきた授業において、学生の学問に対する意欲は決して高いものではなかった。授業中の居眠り、おしゃべりは論外として、必死にノートを取っていてもその知識が記憶として頭の中にとどまるのはテストの前夜だけだったりするのである。このような学生に対して、授業がなされるわけであるが、わが大学でも学期の最後には学生に対する「アンケート」なるものが実施される。このアンケートは学生の意見をこれからの授業に反映させようとする、いわゆるフィードバック効果を期待してのものであるが、上に述べたような学生が行うアンケート結果にどれほどの信憑性があるというのであろうか。夏の学校の発表の中での「学生に対するアンケート」を授業改革のために実施している旨のことが言われていたが、私には学生を「神聖化」しすぎているのではないかと思われるアンケート結果の用い方があるように感じられた。実際のところ神戸大学のアンケートにおいては、授業時間の最後に実施されるため、何も考えず、早く教室から抜け出したいという思いを胸にアンケートに答えてしまうといった学生がしばしば見受けられる。
 学生の授業に対する意欲の欠如は、学生自身のみに責任があるわけではない。少なくとも入学当時、初めて大学の授業を受けたときは、まだそれなりの意欲は見られたはずである。ではその意欲をそぐ一因となったものは何であろうか。それは大学教官の授業に対するやる気のなさである。すべての教官とはいわないものの、教官の中には、明らかに授業に対する準備不足であったり、学生の学問への意欲に対する不信感をあらわにする人もいた。大学という機関は研究機関であると同時に教育機関であり、いくら教育に傾ける努力の軽減を図る動きがあるにしても、学生がその大学に存在している以上、教育をなおざりにするという行為は許されたものではない。学生の授業に対する意識の低下の原因が教官の側にも少なからずあるということは忘れてはならないことである。
 次に、大学に入学する前の段階、つまり、学部を選び、大学を選ぶ高校生たちの意識について考えてみたい。大学入試の際、自分が将来どのような勉強をしたいかによって高校生たちは学部を選択するのであるが、そのとき、理数系の学生にとって、医学部というのは理工系学部においても一種、別のカテゴリーを作っているのではないかと思う。まだ幼い高校生にとっても、医学部に入れば将来は必ず医者になる、というイメージを持っているだろうし、実際そのような結果にもなっているのであろう。逆の言い方をすれば、その他の理工学部では、入学しても絶対にその道の専門家になるとは限らない、というイメージが出来上がっている。このような医学部とその他の理工系学部への意識の違いは、高校生という早い段階において出来上がってしまっているため、大学に入学してからも簡単に払拭されることはないであろうから、理工系学生の意識改革を実行しようとする際には避けては通れない問題である。専門家を目指すのか、それともその他の人生の目標を目指すのか。学生が持っている意識が学部によって違う以上、理工系学部の改革という問題において、これらの学部を同一の基準で図ることは不可能であろう。
 以上、2002年度夏の学校に参加しての簡単な感想を書かせていただいたが、この感想を書くにあたって、「学生の意識」として取り上げた「学生」とは、あくまでも、私がこれまでの大学生活で接してきた学生を指していることを注意していただきたい。他の大学、他の学部には、この基準に当てはまらない学生も多くいるであろう。
 最後に、3日間お世話になった皆さんに感謝するとともに、これからもよろしくお願いします。






[戻る]
Copyright (C) 2002, STS Network Japan
All rights reserved
For More Information Contact office@stsnj.org