コンセンサス会議この一年  ――実施、論評、拡散
木場隆夫(総合研究開発機構/科学技術への市民参加を考える会[AJCOST])




1.コンセンサス会議の実施と普及活動

 2002年の日本におけるコンセンサス会議の動向を記す。3月に2001年度の遺伝子組換え農作物(以下、GMOと略記)のコンセンサス会議のまとめが発表された。これは農水省がスポンサーとなり、(社)農林水産先端技術産業振興センター(以下、STAFFと略称)が事務局となって行われていたもので、市民による会合自体は2001年内に終了したが、そのまとめは2002年に入って行われた。このまとめは外部の評価者による評価が含まれたことが特徴であった。この意味については後述する。
同月、AJCOSTにより『コンセンサス会議実施マニュアル』が刊行された。これは1998年に「遺伝子治療」、1999年に「高度情報社会――とくにインターネット」の2つコンセンサス会議の経験をもとにして、コンセンサス会議の普及のため簡便な手引きとして作成されたものである。内容は、第一部はコンセンサス会議とは何か、第二部は会議を開くための心がけとノウハウについての説明である。コンセンサス会議をより信頼されるものとするため、運営を中立的なものとし、手続きに公平をはかり、外部の方に様子がわかるような透明性を保つことが必要であるということから、そのための仕組み、用意、心がけをまとめた。6月8日に『マニュアル』を使って、コンセンサス会議を考えるシンポジウムが東京で開かれた。
9月から10月にかけて、農水省がスポンサー、STAFFが主催となって、GMOに関する第三回目の市民会議が行われた(会議の名称はコンセンサス会議と明示されていないが、コンセンサス会議の流れをくむものである)。今回は、以前のGMOのコンセンサス会議に参加した市民パネリストを対象に公募を行い、市民パネリストを選出したという特徴をもつ。つまり過去のGMOのコンセンサス会議に出席した経験者が市民パネリストになった。本会議は、従来から市民へのGMOに関する情報提供が要望されていたこと、国民との共通理解の醸成や信頼関係の構築を図るため「リスクコミュニケーション」のあり方が重要とされていたことが背景として開かれた。GMOに関して市民が求める情報の共有とリスクコミュニケーションについて市民の理解と提案をとりまとめることが目的とされた。市民による会議は4回(6日間)行われ、その結果「市民の理解と提案」と題する5ページの文書が発表された。市民パネリストは遺伝子組換え農作物について健康、環境などについて市民が不安を抱いていることを踏まえ、食の安全に関する情報を共有すること及びコミュニケーション(正しい情報の発信と理解)の促進を提案した。
 私の印象では、コンセンサス会議の実施自体は回数を重ねられ、そのつど新たな工夫が加えられるなど会議開催の熟度は高まり、社会的な認知も固まったといえる。他方、逆に90年代末に初めて行われた頃に比べれば、「コンセンサス会議」を実施するというだけでは、社会的インパクトは薄まった。

2.相次ぐ論評

2002年は、コンセンサス会議を題材とした研究や論評が多かったと特記できる。コンセンサス会議の度重なる開催は、まずSTS論者の論評の題材となった。以前、本会のYear Book'98において、コンセンサス会議に関する投稿が集中したことがあった。それにも増し昨年は何冊かの本にとりあげられるまでになった。また学会でも議論された。

(1)5月、松本三和夫著『知の失敗と社会』(岩波書店)が出版された。松本氏は、STS研究は科学、技術、社会にまたがる学際的研究であるが、学際研究にはそれぞれの学問分野の問題が相乗して不毛化する可能性があると指摘したうえで、知の失敗を回避するためには、自ら抱え込む構造的な問題点を明らかにする仕組み(負の自己言及)が必要と説く。そしてSTSには、エリート路線と大衆路線があるが、いずれも負の自己言及過程が確立されていないとする。コンセンサス会議は大衆路線と位置付け、参加する専門家や非専門家の選定に問題があることなどをあげ、「日本では、コンセンサス会議とは、政策立案、実行にあたる主体が民意反映の装いが必要になったときにそのような装いを御意のままに提供する手段となる可能性を不断にはらむ。」と指摘する(同書p.244)。民意反映に名を借りた利益誘導を行う状態になりうるという。現在のコンセンサス会議は、負の自己言及を満足するものではないとする。そのような失敗に陥らないため、同氏はおおむね以下のように提案する。コンセンサス会議の議事録をすべて事後的に公開して検証できるようにすること。そしてその検証により適正でないおそれがあった場合には同一の争点について独立に開催されるもう一つの「対抗コンセンサス会議」を実施して、お互いの結果を比較できるようにすること(同書pp.255-258)。
 ここで、コンセンサス会議を企画・実施をした経験がある私の印象を少し述べる。私には同氏の雄大かつ緻密なSTSの理論を正確に論評する力はない。松本氏の懸念は否定しえない。松本氏の主張は理論的には否定しないが、現実提案としてはいささか困難を感じる。どの程度まで、負の自己言及を用意しなければいけないのかわかりかねるのである。コンセンサス会議は、きわめて複雑な仕組みのものであり、会議の運営は、問題の性質、参加者の要望や特性により柔軟に対処しなければいけない。例えばコンセンサス会議の議論はいくつかの班に分かれて同時並行的に議論したり、班編成を必要に応じてシャッフルしたりというのが日常であって、それについてすべての発言者の内容を議事録にとるのはおよそ曲芸技と感じられる。極めて多くのコストをかければそれも不可能ではないかもしれないが、そこまで議事録作成体制に費用をさけるかは、かなり疑問である。そもそも国会の質疑のようにすべて議事を公開ということにした場合に、しろうと市民がどれだけその条件に賛同し、コンセンサス会議に参加するか、そして討議の自由闊達さが保障されるかは、わからない。市民パネルは、公的な議論をすると同時に、個人的な事情に基づく話をすることに参加の一つの価値がある。プライバシーについても配慮は必要だ。
最初にコンセンサス会議を開催したときには、市民が科学技術に関する議論に参加するだろうか、という大きな懸念があった。それが、何とかこれまで市民の熱意ある参加を得られて開催してきているというのが、現実であり、精一杯のところである。もとより現状で良しとするわけではなく、多々改善すべき点はある。繰り返すが松本氏の懸念はもっともであり、議事録作成の提言は貴重であるが、では直ちにそうできるであろうか。
また、「対抗コンセンサス会議」の提案は、意味は明瞭である。サッカーや野球であれば、他会場で同時間帯に別のゲームを行い、他の試合の結果を前提とせずに自分のゲームに打ち込むことができる。しかしコンセンサス会議の場合は、同一テーマについて会議を2つ行ったら、2つの会議の参加者は、当然他方の会議の様子に大きく影響される。ましてや同一スケジュールで行うことなどありえない。この提案の意味はわかるが、事実上困難だ。
 しかしながら、この対抗コンセンサス会議のアイデアに沿うような事例は実は偶然ある。それは1998年に日本で行った遺伝子治療のコンセンサス会議と、1995年のデンマークにおける同じテーマのコンセンサス会議である。デンマークのコンセンサス会議の報告書を英語でみたのは、日本の会議が終わった後のことである。したがってデンマークの事例は全く、日本のコンセンサス会議には影響を及ぼしていないと考えられる。デンマークと日本の遺伝子治療のコンセンサス会議の意見は大筋において似ていた。主な類似点は、市民パネルが、遺伝子治療の将来性の不明確さ、遺伝子治療のリスクの不明確さ、遺伝子治療にカウンセラーやアドバイザーが必要と指摘したことである。また、総じて現行の遺伝子治療には問題は感じてないが、将来的には研究が進むと問題が生じるかもしれない懸念を有したことも両市民パネルに共通である。デンマークと日本の相違点もあったが、基本的に市民の意見には類似点が多くみられた(木場:1999)。

(2)4月に出版された金森修・中島秀人編著『科学論の現在』(勁草書房)の中で小林傳司氏は、専門家と一般市民の間のコミュニケーションに注目し、科学コミュニケーションを見直すべき必要があると主張する。その一例としてコンセンサス会議をとりあげた。およその論旨は、科学は、限定された条件の下で、抽象的な知識をもたらす。しかし、智恵や地域についての知識という次元では、無力であることがある。コンセンサス会議において市民のもつ智恵や地域知を、専門家が市民から学ぶというのが一つの有用なパターンだと指摘する。そして、現状の科学技術の専門家が、社会とのかかわりに無頓着に養成されていることを正すべきとする。専門分化が著しい科学技術の専門家間の媒介者も、その一種である。同氏は、コンセンサス会議の結果をいかに政策に反映するかという論点については、市民の提案をそのまま政策に反映することには消極的な見解を示す。市民の提案に「媒介の専門家」などによる補正と洗練を加えることによって、正統性を高めることなどを述べる。科学と政策の関連が緊密になっていると認識し、「科学論は科学の政治学に踏み込むことが求められる」とする(同書p.145)。
 さらに11月に出版された小林傳司氏編『公共のための科学技術』(玉川大学出版部)の中で再びコンセンサス会議がとりあげられる。2000年のGMOのコンセンサス会議のファシリテーターを務めた経験から、専門家と素人市民の意識のずれについて詳細に述べている。例えば、コンセンサス会議において、市民が提起する課題に専門家が答えられなかった場面があることを強調する(同書pp.166-171)。市民を含めた関係者間のコミュニケーションが有用であるとする。同氏はこのコンセンサス会議は農水省の委託によるため、何らかの行政の意図に会議が左右されるのではないかという疑念をもたれうるという。私には、これは前の松本氏の懸念と共通と考える。小林傳司氏は、2000年の会議に参加した人々の間では、そのような不信は払拭されたであろうと述べる。しかしコンセンサス会議の主催者の意図的利用という危険性への対策として、同氏は会議の運営の様子をすべて観察する評価者を置くことをあげる。それが信頼性を確保する道と提案する。
この提案は、2001年度のGMOのコンセンサス会議の報告書で実現することとなった。この報告書は本文の冒頭で触れたものであるが、評価者の小林信一氏の観察記が載っている。これまでコンセンサス会議の中立、公正を担保する仕組みとして独立的な運営委員会(あるいは企画委員会)の設置、部分的な公開が行われてきた。会議の「密室性」を解くため、外国では評価者を置く試みがあったが、従来、日本ではなかった。今回が本格的に評価者を置いた初ケースと思われる。「エバリュエータの視点」と題する観察記は、同会議は、概ね成功で、公正性、中立性にも問題はなかったとしている。
小林傳司氏が前著でふれた科学論の政治への転回に関しては、コンセンサス会議はいわゆる「円卓会議」の方式であり、一種の熟慮型民主主義の理想形に近いと示唆し、期待をかける一方、同氏は、このような理性的ともいえる公共空間のもつ脆弱さへの危惧を付け加えている(同書pp.175-181)。

(3)11月16日には科学技術社会論学会の大会において、参加型テクノロジーアセスメントのセッションが設けられ、コンセンサス会議やパネル制度を論点として含んだ以下の発表がなされた(発表者名と題のみ。事前に学会のHPに掲げられたプログラムによる)。


(4)中島秀人氏は12月に発行された論文で、問題解決指向型の科学技術においては、解くべき問題の設定が重要であり、それは社会の諸分野からの課題解決の要請という文脈で決まることを重視して、コンセンサス会議によって適切な問題設定がなされうると示唆する。コンセンサス会議における専門家と非専門家の対話と相互作用が、従来みえなかった問題を可視化することがあり、それが新たな問題の文脈設定をする可能性があるとする(中島:2002)。

3.拡散

以上はSTS界における言論であるが、科学技術以外の他の領域、例えば政策決定過程、においても、コンセンサス会議は事例として参照された。また、科学技術政策に関して市民参加の他の方法も追求され、コンセンサス会議はその考えの下敷きを与えた。
近年、さまざまな事故・事件などにより、技術的専門性について疑問が呈されたことが一つの背景である。それは、古くからの問題だが、日本でそれに対し真正面から取り扱うような社会実験は稀であったため、コンセンサス会議は、市民参加の手続きを考えるうえで注目された。いまや政策決定過程に、市民をいかに組み込むかを各行政分野で模索しているようだ。コンセンサス会議は、分野を越え、形を変えて、市民参加の方法や政策決定過程の思考の素材となった。この意味で「拡散」したと私は考える。もう一つの意味は、これまではコンセンサス会議の現場を知る人によってコンセンサス会議の議論がされたが、上に述べた状況の中、コンセンサス会議の部分的な理解だけをもって語られるような場面が増えてきたことに関する。極端にいえば、コンセンサス会議が、「コンセンサス」という言葉と、「会議」という言葉と、「市民参加」という言葉を合体させたところのイメージとして、流通しかねない状況ともいえる。各人が適宜自分の見方でこの言葉を使いかねない。コンセンサス会議の意味が、「拡散」しつつあるとも私は感じる。

(1)科学技術以外の分野への拡散
 市民参加を進めようとする研究や活動は無数に行われている。私の知る限りにおいては、PI(public involvement)フォーラムというNPOがあるが、そこでは公共事業などでの決定に関して市民参加を促進するためのワークショップ手法を研究している。行政や政治、社会工学、情報工学者、シンクタンク、広告業界等の方々が参加している。ここでもコンセンサス会議は注目されている。市民参加を論ずるにおいて、情報や知識の偏在が非常に多くの分野で問題となっていて、コンセンサス会議はこの問題に格好のヒントを与えるものとなっているのである。
 司法制度という分野でさえ、来年から裁判員という陪審あるいは参審を市民が務めるという制度ができることに関して、「市民が開く裁判員制度公聴会」の席上、市民参加によるコンセンサス作りという点で、コンセンサス会議の経験について若松征男氏は発言を求められた。
 このようにコンセンサス会議は日本における市民参加の先駆的事例であった。しかし、裁判員制度が実際に始まれば、日本における市民参加は、裁判員の経験の観察が中心となるということも考えられる。

(2)科学技術政策への市民参加の方法の模索
 原子力安全委員会は、7月、都内で「リスクと、どうつきあうか」という一般参加者を交えた討論会を開催した。工学、リスク研究、原子力、ジャーナリスト等がパネリストであった。小林傳司氏がコーディネーターを務めた。コンセンサス会議のファシリテーターを務めた手腕に期待された。
 社会技術研究プログラムにおいても、市民参加と合意形成により社会的技術的問題の解決を図ろうという意図の研究が立ち上がりつつある。「開かれた科学技術政策形成支援システムの開発」では市民パネルの用い方に工夫を凝らすことで、より多彩な市民参加のあり方を探っている。また、次年度からは、廃棄物減量による循環型社会へ向けての市民参加・社会的合意形成の方法論を開発するというテーマが採択されている。
 福島県では、一昨年からエネルギー政策について県民の意見を聴く会を開くとともに、エネルギー政策検討会を設け、有識者との意見交換を精力的に行ってきた。昨年9月に中間とりまとめを行い、その中に政策決定のプロセスが話題として取り上げられ、人々の議論の仕方の一つの例としてコンセンサス会議が説明されている(福島県:2002)。私の考えでは、コンセンサス会議が紹介されることは良いが、それがもし現在のエネルギー政策の難問を解決する方策とみられれば、それは過剰な期待ということになろう。

 以上の多くのコンセンサス会議への言及について、蛇足ではあるが私の解釈を少し述べたい。コンセンサス会議における議論の中立性を担保する方式及びその政策的位置付けについては、これまでも疑問が呈されたところであるが、松本氏は改めて厳しくその点を「知の失敗」という観点から突いてみせた。それとは異なり、小林傳司氏は、コンセンサス会議に第三者的評価者を置くという、よりコンセンサス会議に好意的で現実性が高い方式を提案した。この違いは、コンセンサス会議の中に身を置いたことがあるかないかという経験の違いによる面も幾分はあろうかと思う。また、いろいろな分野でコンセンサス会議が言及されるにつれ、その意味が希薄になっている。今後もコンセンサス会議の見方が人によって異なることに注意しておくべきであろう。
市民参加の様々な方式も模索されており、将来的にコンセンサス会議が、科学技術についての他のパネルシステムに変化したり、他の政策分野での応用などによって、姿を変えて日本の社会の中に入っていくことは考えられる。市民が参加し、まともに議論することがどれほど大変で、ときにはどれほど不毛であるか、しかしどれほど貴重であるか、は参加した人でなければ容易には理解できないだろう。コンセンサス会議において、市民と専門家が対等に議論できたことは事実として貴重である。市民が対等に議論し、意識の共有の機会が増えることが、専門家と市民のコミュニケーションの土台となることであろう。コンセンサス会議は、科学技術という最も専門的な分野における専門家と市民の対話の試みであったが、それには幾多の困難がある。現在の状況だけをとらえて、否定的にみるべきではない。むしろ、各分野で市民参加が行われるような社会になったときに、コンセンサス会議のより良い実践がなしうると思う。実践と理論のクロスオーバーが必要である。

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