2001年度夏の学校報告
三村太郎(東京大学大学院:2001年度夏の学校実行委員長)




統一テーマ「生活世界における科学教育」

7月28日(土)〜30日(月)
(於:小豆島「内海町サイクリングターミナル」)

  1. 未開の教育学(pedagogy):文化人類学的架橋の試み
    春日匠(京都大学)
  2. 教育は再生産の論理から離脱できるのか?
    櫻本陽一(高崎経済大学)
  3. 文科系地方私立大学で科学史を10年教えてみて
    西村秀雄(敬和学園大学)
  4. 理科教育における体系的知識と生活世界
    塩川哲雄(大阪府立北千里高等学校)
  5. 「専門家を目指さない人々にとってどのような科学知識が必要となるのか」が問題となる背景の私的考察
    八巻俊憲(福島県立郡山高等学校)
  6. 高校化学IAの教育実践
    平井俊男(大阪府立今宮高校)
  7. 科学技術に対して自己決定をしていくために−私立京都明徳高等学校での授業実践報告−
    石原明子(国立精神・神経センター精神保健研究所)
  8. 「水俣病の歴史」を「科学教育」へ−大学での講義の事例−
    杉山滋郎(北海道大学)
  9. 「力」を伝える
    夏目賢一(東京大学)・服部恭子(発表:夏目)

STSNJは、設立から10年を経過して、転換の時期を迎えている。今回は、小豆島という遠隔地にもかかわらず、60名もの参加者を迎えることができた。ここ数年の参加者の伸びは、やはりSTSNJという存在に対する期待のあらわれかもしれない。とはいえ、それに伴い、外部の目も厳しくなってくるだろう。STSNJは、成熟した団体への道を歩みつつあるのかもしれない。

今年の夏の学校のテーマは「生活世界における科学教育」。ここ数年、STSNJにおいて、すこし政治寄りの話題が続いており、話題の方向を少し変える意味もあって、テーマを科学教育に定めた。そして、近年話題となってる「学力低下」の文脈ではなく、PUSの視点を踏まえた議論を目指して、「専門家を目指さない人々にとってどのような科学知識が必要なのか」という問いを立てた。(このテーマ設定に関しては、科学史メーリングリストなどで、前哨戦(?)らしきものが行われたのだが・・・。)そのうえ、実際の教育現場で奮闘しておられる方々の「生の声」を聞くことで、この夏の学校を、より現状に根ざした議論を行う場にしたいと考えた。

豊島という社会問題の現場に触れることも計画にあったので、会場は、豊島の近くの小豆島を選ぶことになった。 夏の学校は三日間とも幸いにも晴天に恵まれた。一日目は、開催地へのアクセスから、予定の開始時間を少し遅らせて、午後4時開始となった。また、会場近くに海があることもあって、参加者の中には、空いた時間で海水浴を満喫された方々もいた。

以下、夏の学校でなされた報告・議論の中から、興味深かった点を、私見を交えて紹介していきたい。

今年の夏の学校の冒頭を飾ったのは、春日さんの報告だった。近年主張されている、新自由主義的な教育改革論は、経済効率をベースに展開されているため、容易に支持しがたいものである。また、『××ができない大学生』の議論は、学力崩壊というイメージ宣伝ばかりが先行しているが、内容を検討してみると、例えばデータのずさんさなど、印象批評の域を出ない。では、どういう教育論争を行うべきなのか。春日さんは、イリイチとフレイレの議論に助けを求める。いうなれば、近代の特徴である諸制度は、人間が本来持つ生きる力を失わせるということである。では、教育はどういうモデルを取るべきなのか。春日さんは、徒弟性モデルへの可能性を示唆する。すなわち、「正統的周辺参加」(LPP)を軸とするモデルである。(詳しくは、春日さんによる報告要旨を見ていただきたい。)結局、社会効率が議論のベースになるのは間違っており、人々がどう生活するのかを考えた教育が必要なのだろう。

夕食をはさんで、櫻本さんの報告。従来から、学校制度が社会秩序の再生産を支えていることは、批判の対象となっていた。その議論を転換させて、櫻本さんは、学校制度の再生産機能とその機能不全が社会的に明らかになりつつある今日、学校制度は今までの再生産装置として機能し続けることはできない、と主張する。そして、学校制度の真相が明らかになりつつあるゆえ、勉強にたいする諦めが生じ、例えば一部の私立大学における定員割れなどが生じているのだといえよう。次に、櫻本さんは、フランス都市郊外(バンリュー)における教育を例に挙げる。そこにおける教育は、普通教育コースと職業教育コースの二つの分類できる。そして、職業教育コースの若者は、普通教育コースの若者に比べて、抵抗の手がかりを見出す機会が少ないという。教育が再生産の論理から完全に乖離することは不可能とはいえ、可能なのは、再生産の論理を乗り越える方向へ変化を引き起こし、強めようとすることかもしれない。

二日目は、西村さんの報告から。西村さんは、1991年から地方の私立文系大学において、科学史を素材とした非専門家(文系)のための科学教育を実践されてきた。その教育における工夫が、たいへん練りに練ったものであることを、例えば、書き込むことで完成する講義用プリントの話や再現実験など、具体例を豊富に交えながら報告された。できる限り周辺情報を与えながら教えることで、西村さんが、科学をより身近なものにするように尽力されてきたことを実感した。しかし、そういう教育における努力も、2000年を境に、うまく機能しなくなってきたという。その主な原因は、大学の全入状態による学生の質的変化、すなわち動機づけられない学生が激増したためだと分析される。そのため、学生に何とか動機づけを与えようと、現在、インターネットのホームページなどを利用して、学生との対話の向上を図っている。しかし、学生の反応を見ていると、本当の動機づけになっていないのでは、という危惧があるという。元々やる気がなければ、きっかけを与える意味はないのでは、という疑問も沸いてくる。いわば、今までの、学生が元々動機づけられているエリート型大学ではない大学において、いかに普通の人々を動機づけて学習に結び付けるかが最重要課題となったといえる。一方で、高校や大学こそが、社会構造の劇的変化に最も対応できていないのではないか。(特に、他者依存の構図からぬけだせない一部の私立大学では現実とのずれがさらに深刻である。)今後の大学というのは、高校と社会の接続を目指すべきであろう。そこには、新たな事態に対応できるポジティブな発想・手法が求められる。そのためにも、今までのように孤軍奮闘ではなく、組織的なバックアップが必要不可欠となる。とはいえ、逆にいうと、新たな学びの再構築のチャンスともいえる。しかし、見通しは厳しく、大学自身も自らのアイデンティティーを確立しなければ、生き残っていけないのではないか、という厳しい指摘で締めくくった。日本の多くの大学の抱える問題の縮図が、まさにこの報告に集約されている思いがした。そして、その問題点を見事にあぶり出した、現実味のある提言だった。

続いて、塩川さんの報告。はじめに、塩川さんと教育との関わりを、生い立ちからお話しされた。そうして、I. Robbottom の「探求、参加・実践、批判的、地域、協同」という提言に心を打たれた塩川さんは、以下の教育観を持つに至った。まず、エッセンシャル・ミムマムズが必要不可欠であること。その本質は、情報へアクセスするスキルと言い換えられるかもしれない。その内容は押し付けではなく、生徒と教員の協同で作り上げていきたい。それを作りつつある過程が重要だともいえる。つぎに、生徒自身の生活とマッチするようなものを提示することで、学校知ではない「生きてはたらく」生活知を与えたい。そうすることで、子どもが引き付けられるのではないか。もともと、学校知をいくら押し付けても、そう簡単に定着しないのではないだろうか。むしろ、知識に近づくきっかけを与えるべきだろう。一方で、生徒たちは学校を相対化し、突き放しはじめている。それゆえ「理科離れ」「学級崩壊」等の教育問題が生じてくる。塩川さんの理想とする教育とは、「生活維持とアイデンティティー確立につながる教育」であるという。そのために、なによりもまず「元気な自分を見てもらおう」と、様々な場面で頑張っているという。塩川さんのバイタリティー溢れる活動の根源・理念が垣間見られる報告であった。

引き続いて、八巻さんの報告。様々な形態の高校へ赴任した経験に基づいて、年代を追って、理科教育にまつわる問題の背景を報告された。80年代は、教材を工夫することに進展が見られたという。例えば、豊富な実験を通して生活と関連して科学を学ぶような工夫が見られたという。90年代に入って、いわゆる「理科離れ」が言われるようになり、理科教育のアカウンタビリティーが問題となってきた。八巻さんによると、その背景には、「科学=真理・正義」のイメージが、(医者、弁護士、科学者による)オウム事件などを通じて、崩壊しつつあったことが挙げられる。一方で、「科学の祭典」の興隆が見られた。とはいえ、その多くは環境への視点が余り見られず、技術リテラシーへの目配りも欠けている。2000年の「理科教育の危機」においては、科学教育問題の商品化が窺えるかもしれない。だが、マスメディアは問題を喧伝するのみで、解決まで提示はしない。また、その多くが教える立場からの主張であり、その解決策の一つとして言われている「楽しいから学ぶ」という考えはその典型だろう。以上の分析から、八巻さんは、理科教師とは、専門家と非専門家を結ぶインタープリターであるべきだと主張する。そして、学校というとても不自然な環境も問題視しなければならない。いまだ学校は人間中心主義で動いている。そういうイデオロギーから脱却して、環境を優先する発想が今後必要となってくるだろうと締めくくった。

昼食をはさんで、平井さんの報告。平井さんは現在「卒業の必修単位として理科をもう1科目選択しなければならないため、仕方なくとった文科系の生徒」に対して、化学IAを担当されているという。その生徒たちに対して、無記名の「授業診断カード」を実施することで、生徒たちの反応を知ることができた。平井さんが、このカリキュラムで生徒たちに身につけてもらいたいことは、自分で調べ聞くことで知識を身につけ、自分で判断し、他人に伝え、意志疎通できるようになることだという。そのために、このカリキュラムには、実際に本の調べかた、図書館の使い方、レポートの書き方や発表の仕方など、大変具体的な内容が含まれている。その一方で「科学と非科学」といったSTS的な視点を含んだ内容も含められている。様々な工夫を施すことで、なんとかして生徒たちに、自分で調べ判断する能力を付けさせようと試行錯誤する、平井さんの実践に心を打たれるものがあった。また、この「自分で調べ、判断する能力」という目標が、塩川さんの「エッセンシャル・ミムマムズ」と共鳴していて、大変興味深かった。

続いて、石原さんの報告。石原さんは、京都の私立女子校において、非常勤で物理を受け持ったが、3学期に、生徒をグループ分けして、各グループに、原子力発電、不妊治療、安楽死、出生前診断、環境ホルモン、脳死臓器移植の中から好きなテーマを選ばせることで、その内容の下調べとディスカッションを課題とした。石原さんの意図としては、value freeでないものとして立ち会われる科学技術にたいして、その価値観に飲み込まれず、自己決定できるような力を、選んだテーマを調査することで身につけてもらいたい、ということだった。端的に言えば、専門家を疑う度胸の養成といえるだろう。そして、この課題は道徳教育の側面を持っている。ということは、石原さんの倫理観がたぶんに反映されていたわけで、このあたりは反省に値するだろう。(教師さえも疑う度胸がつけば言うまでもないのだろうが。)とはいえ、そういう課題に不慣れな生徒たちを導くことが、並大抵ではないことが、石原さんの報告からたいへんよく分かった。逆に、レポートから窺われる生徒たちの熱心さから、よくこれだけ生徒たちの関心を引き出せたものだと感心した。やはり、石原さんの報告においても「自己決定」という目標が設定されていたわけで、塩川さんや平井さんなどの目指す目標との共鳴が、図らずも得られたことになる。このあたりに、エッセンシャル・ミムマムズが存在するのではないか、という感想を得た。

引き続き、杉山さんの報告。杉山さんは、北海道大学において、水俣病を巡る当時の一次資料を検討することで、teaching about science を目指した。すなわち、当時の 異説の出たタイミングや、熊本大学の調査を支えた社会的背景などをたどることで、「科学的に確定的なことがすぐ分かる」という信念の再検討を行った。杉山さんは、teaching science(知識)だけでは「科学教育」ではなく、teaching about science をもあわせることで、真の「科学教育」だと主張する。とはいえ、このteachingabout science の重要性を、いかに人々に分からせるかが問題だろう。

夕食をはさんで、伊藤さんの報告。伊藤さんは、ハーバード大学において科学史学部教育にたずさわった経験に基づいて、報告された。リベラルアーツ教育は、日本にお いては、幅広い知識の獲得のイメージで語られることが多いが、アメリカでの学部におけるリベラルアーツ教育は、全然違うものだという。すなわち、大量のリーディング・討論・論文執筆を課すような、いっさい手加減しない教育である。とはいえ、その教育の趣旨というのは、知識の獲得ではなく、その過程で身につける技能にある。アメリカにおける、このような全員が専門家を目指すことを前提とするようなリベラルアーツ教育は、いわゆる学際的教育と比較できるだろう。(伊藤さんが冒頭で紹介された、ポール・フォアマンの指摘「学際的領域の危険性」とも呼応する。)伊藤さんの経験では、基本的な技能を教える際、直接関係のないものを媒介にしたほうが都合のいい場合があるという。報告後の議論では、専門性の話題から、STS研究の質の管理はどうやるのか?ということで盛り上がった。

伊藤さんの報告のあと、今までの報告に対して沸き上がっていた議論をまとめる意味で、総合討論の場を設けた。討論に入る前に、夏の学校参加者のなかで唯一の高校生である小林美弥子さんに、この合宿に参加しての感想と、実際に通っている高校の現状などを報告いただき、他では聞くことのできない本当の「生の声」を聞くことができた。そのあと、時間の都合上、懇親会を兼ねた形で総合討論を行おうとしたのだが、昨年同様、議論の行方は酒の席へと消えていった。

三日目は、豊島ツアーとの時間的な兼ね合いから、夏目さんの報告のみとなった。(報告内容は、服部さんとの共同研究による。)夏目さんは、ファラデーが1859年に行ったクリスマス講演を分析することで、専門家と非専門家の区別の問題を明らかにしようとした。まず、伝えている内容から分析を始める。ファラデーは、当時「場・近接作用説」を主張していたのだが、講演においては「遠隔作用説」を用いているという。すなわち、このコミュニケーションによって得られる非専門家の世界観は、専門家の持っている世界観と質的に異なるものになるわけで、このあたりに非専門家を生み出すメカニズムがあるのかもしれない。(とはいえ、そもそもこの講演がコミュニケーションになっていたのかという指摘もでき、このことはコンセンサス会議との対比で議論になった。)次に、伝える方法を分析すると、表現が明晰であったり、連帯感を抱かせる部分を含めていたりと、さまざまな工夫が見られるという。ファラデーの講演において、講義内容と実際の研究と のあいだにずれが見られるということは、いままで気付かなかった論点であり、教育内容の設定問題とあいまって、たいへん興味深い事例だといえる。

以上、夏の学校における報告・議論をざっと振り返った。こちらの投げかけた「専門家を目指さない人々にとってどのような科学知識が必要なのか」という、かなり曖昧な問いに対して、報告者の皆さんが、それぞれの持っている多様なバックグラウンドを武器に、答えを出そうと模索していただいたことを、報告の端々に実感し、たいへん光栄だった。こちらの思惑以上に、夏の学校全体を通して、一定の流れを持った議論が展開できたのではないか。その報告や議論を通して、私自身、エッセンシャル・ミムマムズは、やはり「自己決定できる力を身につける」ことと密接に関わるのだろう、という感想を得た。また、報告・議論の過程で、報告者・参加者の方々の歩んできた道などを知ることができ、まさに「生の声」を聞くことができたと思う。

最後に、ご多忙の中、小豆島という遠くの会場まで足を運び、参加いただいた参加者の皆様にお礼申し上げます。そして、快く報告を引き受けてくださった報告者の皆様や、副実行委員長の夏目さんや、とくに重松さんをはじめとした事務局の皆様など、多くの方々にサポートいただきました。ほんとうにありがとうございました。そういうみなさんの力の結晶が、この夏の学校だったと確信しております。また来年お会いできることを楽しみにしております。




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