1990年代における日本の科学技術政策の変化をうけて、近年STS研究が盛んになっている。このSTS研究者層の増加にともなって、諸外国のこの分野との交流が増し、各国の研究動向を知るとともに、STS研究者を養成する各種学校・大学・研究所などの組識に関する情報が求められている。STSNJ発行のニュースレターまたは研究会においてすでに周知のこの要求に答えるべく、アメリカ・イギリスを中心とした紹介がなされており、本稿はフランスにおける情報を提供するものである。
英米におけるSTS研究者の養成は、大学の組織改革と連動して独立した学部・学科を形成するにいたった経緯が紹介されている。この背景には、1980-90年代にかけて起こった巨大技術の大事故問題、巨大科学の予算配分と社会への還元の問題等が突出した形で現れたこと、そしてそれ以前から思想的底流にあった「社会と科学」の関係調整を、アングロサクソン的民主社会の機能としていち早く具現化することが求められていたからだと思われる。
こうした社会表層にまで現れる科学技術活動の問題性は全世界規模で進行しており、とくに先進国における科学のもたらす影響は多肢にのぼり、またその意味の深さは生命の根元をゆさぶるものから地球環境への地質学的年代にわたるダメージ、または宇宙規模の資源開発まで、とますますその専門性を深めている。
こうして拡大・深化し続ける科学技術活動を人間・社会科学的観点から捉え直す試みは、科学史あるいは科学批評という形で従来から各国に存在してはいる。ところが、この従来型の科学史研究の養成から科学政策あるいはSTSの研究・評論にまで踏み出す過程は、それぞれ個人研究者の力量にまかされていた感があり、キャリアパスとしてのSTS研究者養成機関は、前述の英米系のものが唯一確立されたものと言ってよいであろう。
フランスにおいては、学術分野における歴史および歴史資料の蓄積が膨大で、歴史研究を重要視する国民性からか、まず科学技術の歴史研究の場が豊富に提供される。この土台の上にSTS的議論が展開されるのが通常であるが、現在までのところSTSと銘打って研究養成をしているところはCNAM(仏国立工芸技術院)およびEHESS(仏国立社会科学研究院)以外には数少ない。そこで、このCNAM-EHESSの位置するパリを中心としてフランスにおける科学史研究とSTS研究がどのように形成されているかを見ることとしよう。
パリにおける科学史研究はおよそ次のように系統的に範疇化することができる。
このうち、第一と第四大学はソルボンヌ大学から派生したものがそのまま残っているもので、もともと哲学者・歴史学者の養成コースである。ただ、戦前までは主要な自然科学者がソルボンヌで活動し、またその歴史資料もこのソルボンヌを中心として残っていることから、上記のような内容のコースを形成するにいたっている。ここの教官は科学哲学研究者として知られる。
第七大学はソルボンヌの理学部として機能した経緯から、理工科学部を引き継いで現在まであるキャンパス(Jussieu)の科学史部門として機能しており、この部門の教官はもともと自然科学系研究者出身者が大半を占める。ここには科学史研究者の行政部署があり、REHSEISという仏国立科学研究庁(CNRS)の一部門がおかれている。このREHSEIS−パリ第七大学の科学史は非常に強固なインターナリズムの見方を保持しており、フランス科学史の代名詞ともいわれるエピステモロジーとして知られる。
これに対してエクスターナリスムの代表格として知られるのが仏国立社会科学研究院EHESSである。これは日本で言う大学院以上の研究者養成かつ共同研究のための機関であり、当然のことながら社会科学者を養成する。この文脈で、ここの技術史はCNAMとの共同研究・養成が行なわれ、科学史はA.K.科学史センターとの共同研究・養成がなされている。
また第十大学はナンテールという知名で知られており、ここには社会認識論を基礎に置いた科学史・科学哲学の研究者がおり、EHESS、A.K.科学史センターおよびCNAMとの共同研究・養成を行なっている。
さて以上は大学院課程をもつ養成機関であるが、これ以外にもグランゼコルまたは政府直轄機関に籍を置く科学史研究者が存在する。例を挙げると、
このうちエコル・ノルマルは第七大学の教授学講座、前述の科学史・認識論講座との人的交流が多い。これはエコル・ノルマル自体が理科系(物理・生物・地球等)の研究機関として機能しているのと、教員養成という目的を持ち、地理的に第七大学と近いためである。 エコル・ポリテクニクはパリの南近郊にあるパレゾー台地に位置し、この一角を共有するパリ第十一大学、仏原子力庁(CEA)とならんでサイエンスパークとも称される。エコル・ポリテクニクにも認識論・科学史部門があり、科学技術史研究者がいるがおもに大学の講義を出張分担している。
パリ第十一大学はソルボンヌ大学理学部が手狭になった折に、ジョリオ・キュリーの主導でオルセーキャンパスとして作られた。そのためここのキャンパスはあらゆる理工系ラボの博覧会の様相をなしており、なかに科学史の研究者がいてボランテアの形の研究会を形成してはいるが、大学内部には科学史またはSTS研究の養成コースはない。最近科学知識普及の研究チーム(Centre de Vulgarisation des Connaissances http://h0.web.u-psud.fr/cvc/)が作られた。
エコル・デ・ミンヌはグランゼコルのなかでもかなり古い鉱山学校であり、この学校の科学社会学研究センターにキャロン・ラトゥールが所属している。ちなみにこの鉱山学校は他のグランゼコルグループ同様にパリ校以外に地方分校をもち、あわせて鉱山学校グループを形成している。南仏ニースの近郊にあるテクノパーク=ソフィア・アンチポリスはこの鉱山学校の出身者のイニシアチブでポンピドー政権下に計画され、この敷地の一角に分校の一つがある。テクノパークの運営は現在にいたるまで鉱山学校グループの影響が強く、仏産業開発公社(DATAR http://www.datar.gouv.fr/)および基礎研究実用化センター(ANVAR http://www.anvar.fr/)などの提携を経て、一般企業に開放されている。
コレージュ・ド・フランスは、形式上は市民に開放された講座ということになっているが、この講座の教授は政府指名であり、事実上フランス学士院(アカデミーフランセーズ)とならぶ学術界の最高権威者がポストを占めることになる。ここに属するラボ・研究者もアクティブであり、政府の科学技術政策や科学普及に関心を持つプラグマチックな風土があるため、STS的議論を好む傾向がある。
フランス学士院はアカデミシアンとしてノミネートされた学術界の名士達が名を連ねる一種の社交界であるが、ここに科学史の歴史資料館があり、科学史研究の一拠点に数えられる。上述の大学科学史講座養成の一環としてこの歴史資料館で研修する機会があり、セーヌ川右岸の国立古文書館と並んでフランス史上重要な資料を数多く抱える。それ以外に、この学士院は生命倫理・環境汚染・科学技術と社会の問題などで重要な声明をだす。これは後述するとおり、院内にCOFUSI(*2)というUNESCO-ICSUの国内ブランチレベルの科学技術委員会を設けているためで、政府の科学技術白書と連動した報告活動(*3)をしている。その政策方針などの意思決定過程はなかなか外からは見えないが、国内の大学および研究機構(CNRS等)でも白熱した議論が展開されているものと推察される。
こうした政府機関以外に次のような博物館組識があり、それぞれは所属官庁がことなるものの、学術研究者への研究資源を提供している。
このうち自然誌博物館(MNHN)はキュビエ・ビュッフォン時代の古生物学・動植物学の研究領域を土台としているが、現在ではフランス国内各地の農学・生物学・動植物学・環境学研究者の研究網の要として機能している。この敷地の周りには、地理学研究所、鉱石・古生物博物館、霊長類研究施設を擁しており、16-19世紀の海外進出と自然探索ならびにその科学研究が密接に結びついていたことを雄弁に物語っている。その一角を占めるのがアレクサンドルコイレA.K.科学史センターである。戦後、科学史研究としての長い歴史と膨大な資料を持つMNHNからセンターが独立して、科学史専門家を養成するようになった。
工芸技術史博物館は前述のCNAMに附属する産業技術・実験技術の資料館であり、19世紀の産業革命を刻印する技術資料が多く展示保管されている。このCNAMこそはフランス革命後に科学技術の大衆化を推し進めるために設立され、現在では理工系職業人の教育研究機関として機能している全国組織である。西暦2000年にはミレニアムを記念して、365日ぶっ続けのマラソン公開講座「Universite de tous les savoirs http://www.2000enfrance.com/」が開かれ、テレビ・ラジオ公開放送もされた。1980年代から1990年代後半にかけてこのCNAM機関に職業教育の一環としてのSTS講座が存在した。現在はその講座が、ビジネスを指向したイノベーションシステム分析という内容に様変わりしつつある。
発見の殿堂(GrandPalais)は19世紀後半から20世紀前半におこった万国博覧会ブームの流れの中で、1937年パリ万国博の際に物理学者ジャンペランの主導によって設立され、その後ソルボンヌの科学技術資料館としての機能を果たしながら、現在では視聴者参加型の実験科学博物館として存続している。説明パネルや実験方法等からは博物館学芸員の工夫を凝らした創意が感じられるが、政府からは現代風の老朽施設と見られており、予算と人員のやりくりが大変との事である。
科学産業博物館(Villette)は、戦後のポンピドー政権下でフランスの科学技術の独自開発路線を強化する一環としての科学知識の大衆普及を目的として建築設計されたものであり、ミッテラン政権下に完成した。現在では知識集約型・情報型科学博物館としてしられる。
パリに位置する国際機関がおこなっている科学普及・政策調整のためのアセスメントについても若干ふれよう。専門家会議ではなく、一般市民からみて門戸の開かれているものを選んだ。
1999年にブダペストでICSUの国際会議が開かれ、155カ国から1800名の諮問委員が参加している。このICSUは20世紀初頭に欧州諸国の科学アカデミー間を結ぶ国際組識IAAとして設立されたものが、第二次世界大戦前に英米を主導とする科学国際組識IRCを経て、戦後UNESCOの設立に伴って大幅に改革されたものである。このICSUは世界各国の学術組識の代表者が委員として委任され、フランスの場合は前述したようにフランス学士院にこの代表者が所属する。
UNESCOはパリに本部を持つ国際機関で、この中には各種科学技術委員会が設けられているが、この一つがMOST・PAOという部門である。故ミッテラン大統領の主導で作られた賢人会議が、UNESO内に現代社会・国際社会の抱える諸問題を公開討論する場を設けている。この賢人会議は、フランス文部省下にあるHautes Etudes Pratiquesという学術組識によって後援されており、コレジュ・ド・フランスと共にセミナー・講演会等が広く市民に開放されている。
前述のICSU報告によると遺伝子組換作物・牛肉危機の際に、科学知識の市民認知を促進する目的で、英国では王立科学会にCOPUS(COmmittee for the Public Understanding of Science)という組識が、これに同等のフランス組識IRD(Institut de Recherche pour le developpement)とCIRAD(Centre de Cooperation Internationale en Recherche Agronomique pour le developpement)が作られた、と言われているが、科学の市民認知(PUS)をSTSの現代的課題として取り組んでいるのはむしろ科学産業博物館(Villette)であろう。
博物館を紹介したついでに、市販の科学雑誌及び科学普及の出版業界・メディアを紹介しよう。
前二者は仏出版社による執筆編集で、特にLa Recherche誌は最新研究報告の他に研究者による文筆作品、哲学・歴史、STS分析を好んで掲載する。Pour la Science誌はサイエンテフィックアメリカ誌の翻訳編集であるが、フランス人の中にも結構読者は多い。Image&Scienceは毎年10月にエッフェル塔・UNESCO・CNRS会場で開かれる科学報道番組の国際表彰会議であり、フランス政府・欧州委員会及び欧州各域のメディア団体等が協賛している。出品点数は全世界から400点にのぼり、ジュールベルヌ賞を初めとする、カメラ賞・プログラム賞・SF賞等が設けられている。Fête de la Scienceは仏文部省・研究省の主催によるもので、前述のImage&Scienceと連動して、10月期に各種科学博物館・大学研究所ラボが公開される。
フランス社会の根強い特徴として、ディリジズム(行政主導dirigisme)とエタィテズム(国有化etatisme)が挙げられる。1950-60年代のゴーリズムに溯る科学技術の独自開発路線(原子力=原発・核燃料サイクル、通信=MINITEL、運輸=TGV、航空=コンコルド、防衛=核兵器等)を推し進めてきた事によりテクノクラシーを発展させてきた。この背景には強迫観念症とまで言われるハイテク・科学技術信仰があったと評されるが、これらの技術シーズは1990年代までには完成の域を見ている。
現代の科学技術の風土を一望するためにはこれに地方分権化(décentralisation)とネオリベラリズム(néoliberalisme)という新しい軸を加えると良いだろう。グルノーブル・ツールーズ・モンペリエの地方大学・科学都市、ブルターニュ・南仏のテクノパークはそうした意味から捉えられる。
更に、他方でフランスは、戦後、学術研究者の大量公務員化を行なった国として知られ(*7)、その研究機構の一つが欧州最大の人員・規模を擁する仏国立科学研究庁CNRS(*8)として知られる。これはおよそ大学に基礎を持つ人文・社会・自然科学部門をカバーしたものであり、総数42部門・総職員数(26,300人)を擁する(*9)。このCNRS以外の領域をカバーしている研究機構として、原子力開発を仏原子力庁CEA(11,400人)が、医学・薬学関係の研究は大学病院とともに国立医療保険機構INSERM(4,950人)という別組織が、農学・畜産・食料部門を国立農業研究機構INRA(8,500人)が、宇宙開発・航空技術部門を国立航空宇宙研究所CNES(2,400人)が、船舶・海洋資源部門を国立海洋開発研究機構IFREMER(1,300人)が管轄しているなどである。
その他の産業界への橋渡しとして、前述のようなエコル・ポリテクニク(先端技術)、エコル・デ・ミンヌ(資源)のほかにエコル・サントラル(機械、自動車)、エコル・ポンショセ(土木・建設)、エコル・ノルマルPTT(通信)、あるいは無数に近い専門学校などがある。(各種専門学校・グランゼコルについてはグランゼコル協議会 http://www.cge.asso.fr/を参照)
公的機関で研究活動に携わる人口は全仏で250,000人、企業内研究開発従事者が165,000人といわれている。このうち、STS的議論に熱心なのはCNRSの研究評議会および研究員組合(syndicat)である。これに対して、産業人のキャリアパスの途上にあるグランゼコル・専門学校などでもSTS的議論は行われてよさそうに想像するが、そのような例を筆者は未だ聞いたことがない。
このような研究・教育現場の様相を示しているため、STS的議論は研究者主催の公開討論の形や、マスコミを巻き込んだメディア討論といった形で行なわれることがしばしばである。傍目には、何でも政治力学に訴える対決の構図を嗜好しているかのように見えるが、これには上述したような科学技術活動の現場が細分化されていて、各現場の横断的なつながりが疎である、または利害関係の調整が困難であることなどが理由として考えられる。
例えば遺伝子組換(GMO)技術の場合だと、遺伝子操作の純科学的問題はキュリー研究所およびCNRS傘下の分子生物学研究所、医学応用の問題はパスツール研究所または医療保健機構INSERM、農作物への応用は国立農業研究機構INRAが、それぞれ独自の出版・情報網をもち、これに研究の現状と研究者グループの評論が寄せられる。
この段階ですでに、研究者グループをとりまく意見潮流をよく見ておく必要があろう。従来大学を含める学術界では、労働界でみられる共産党PC系の組合CGTの影響が強いといわれてきたが、1970年以降の労働組合の劇的な組織率低下と共産党の影響力低下を受けて、社会政治的な意味を持つ意見の集約が難くなっている。いわゆる経済的中流層の拡大によって政治指向の分散が起きているといわれ、その中流層を社会党PS系の組合CFDTを背景にした教員組合FEN、保守系の組合CFTS等が吸収しつつある。両者は欧州連合または欧州統一に積極的な政策を支持しており、このことがフランス国内の科学技術政策の中央集権化を推し進め、その転換を難しくする要因にもなっている。
この微視的影響は地域分割されているフランス国内のアカデミー組識による研究者の登用・再配置という行政段階で起こってくる。この点は、かなり詳細に入るので可能であれば別の機会に述べることにするが、この段階で個々の研究者キャリアパスのモニターとコンセイユが存在し、労使関係の中間として機能する。このため、平均的な個々の研究者は研究利益に誘導されて原子論的に分割されるか、政治的な多数派組合に吸収されて歩を一にするか、という状況がある。
こういった側面は、個人主義的で哲学や政治の議論好き、あるいは大規模なデモで少々ファナティックな社会的プレゼンスを顕示し易いフランス人というステレオタイプ的イメージからはかなりかけ離れているように見えるが、これは先述したCNRS等の大量科学研究者集団を公的機関として抱えることによる行政権力の強力化から来ると思われる。個々人の科学的思考から離れた科学の機構化とは何をもたらすものなのか、今日日本で議論のある独立行政法人化に対して、非常に示唆に富んだメッセージではないかと思われる。
こうした研究者を取り巻く環境のなか、研究者達の公式意見表明をする場は各研究所・研究機構の諸委員会(科学技術と社会委員会、あるいは遺伝子組み替えに関する倫理委員会等)においてであるが、ここには労使関係という微妙なニュアンスも考慮に入れた上での意見分散が見られる。概して、研究員組合代表は遺伝子操作技術の生命倫理的側面を捉えながらも、自分達の研究利益と研究システムをどのように合理的に追求するか、あるいはそのための研究システムの改良という問題に労力を割いている。
もともと、キュリー研やパスツール研などの仏国内トップクラスの研究所では、米欧日参画のヒトゲノム解読などの大規模国際プロジェクトのウエイトが大きく、第一線の研究者はプロジェクトの遂行に余念がない。また毎年学位を取得して研究現場にたつ新米研究者達も前述した研究員採用制度の影響を大きく受けて研究業績とキャリアパスの確保に、あるいはベンチャー企業活動に邁進することになる。生命科学分野ではポストドク研究員の研修先は米国希望が大きく占めると言われている。
こうした研究利益・社会関心の分散状況が一番強く現れたのが、1990年後半のターミネータ方式の遺伝子組換技術による米国・欧州間の特許市場戦略の際であった。フランスではこれに先立って英国からの輸入による狂牛病(BSD)・骨肉粉牛肉汚染問題が国内を震撼させていた。これに時期を同じくして持ち上がったのが農産物貿易のグローバリゼーションという問題である。米国によるフランス産牛肉禁輸への抗議と畜産農家と消費者の利益代弁、というスタイルで立ち上がった一畜産農業者ジョゼ・ボベ氏によるマクドナルド襲撃事件、そしてその後の法廷抗議運動は現在でもマスメディアが取り上げている。あるいはシアトルWTOにおける反対勢力の抗議行動に見られる世界各国の反応等、もマスコミ報道により記憶に新しい所である。
この問題は、もともとGATTウルグアイラウンド以来のアメリカ合衆国の遺伝子操作技術による農作物改良とその貿易利益を確認した案件の延長にあるだけに、ブリュッセルのEU委員会はこれを欧州に対する大きな脅威と見做し、主に科学技術面での対抗的開発とそれによる市場支配力を重視する政策を打ち出して来た。各研究機関においてはただでさえ米国に水を開けられている研究体制・開発システムのキャッチアップが急がれた。のみならずこの欧州政策は、現在では主権の一部をEUへ委譲している各国にとっては先決課題であり、国内での反対議論の余地は政治の場をのぞいて極めて少ないことが問題である。
また、自由貿易・自由主義経済を標榜する野党(中道UDF・保守共和党RPR)などは、政権発足以来アメリカの支持に助力してきたシラク大統領の貿易・経済外交を揺るがすまいと、この問題には消極的な姿勢であることが大衆紙Figaroの誌面などから読み取れる。*10)
これに対して、政治社会あるいはマスメディア上での議論は非常に盛んで科学批判・STS的議論としてかなり先鋭化されたものが目につく。ジャーナリストの批判は科学的事実のみならず科学研究の市場・資本との関連をあからさまに指弾する。批判的意見・STS的議論の受け皿を内部に持たない行政機関化した各研究所の研究員・役職クラス研究者の発言も目立つ。*11)
議会ではまず緑の党が討論を先導し、これをうけて連立与党(社会・共産・緑の党)政府が議会審議のため研究省・各研究機関へ調査を依頼するという形を取る。調査機関の報告は、つまるところ科学行政と反対論を天秤にかけて政治家に提示することにあるが、この特許問題は生命の搾取という倫理的問題を一方で提起したにも拘わらず、ニューエコノミーなる潮流に飲み込まれてしまいつつある。現在にいたるまで、大学を含める研究機関で特許取得を推進する体制が敷かれつつある。
これに類似した傾向は原子力分野に関しても見られ、左派右派を問わず脱原子力を唱える政界人は少なく、反対は党としては緑の党のみ、連立左派政権をなす共産党でさえ原子力支持の姿勢を変えていない。ただし原子力に関しては、ジョスパン内閣が高速増殖炉スーパーフェニクスを廃棄決定したように、経済効率と技術イノベーションの立場から根強い異論があり、後に紹介するCNAMのBarré教授のようなSTS論者は原子力分野の産業構造の大幅な縮小改革を主張している。
事実、フランスの原子力政策と対照をなすのがドイツの環境政策であり、1990年代から継続して行われている原発廃止政策の一環として、それまでドイツの原子力を代表していた旧カールスルーエ原子力研究所(日本の旧動燃・原研規模の研究機構に相当する)は環境・STS分野へ大幅に配置転換されつつある。これに対するフランスの反応は概ね冷ややかであるが、サイエンスメトリーの重要な指標であるドイツの特許件総数はフランスの2-3倍といわれ、原子力を環境に転換してもなお旺盛な産業開発力を見せるドイツの科学技術・イノベーションシステムにこそSTS研究の一つの方向性を見るべきであろう。
前述したように仏国内におけるSTS教育はまだアングロサクソン的なプラグマティズムを収斂させていないように思われる。そうしたなかで、STSをフランスに根づかせることを目指した研究教育をおこなっているグループがある。そのひとつがCNAMのSTSであったが、この講座は当初職業教育の一環としての企業内技術の問題(工場内の事故防止と品質管理、薬品・農薬品の安全性、工場排水の管理等)を扱っており、1980年代に表面化したこうした問題群を現在でも扱うのに疑問の余地はなさそうに思うが、このSTSという講座名称そのものは廃止され現在「テクノロジーとイノベーションの経済Economie de la Technologie et de l'Innovation」という名称に変更されている。
このなかで従来から引き続いてSTS分析・サイエンスメトリーのセミナーを主催するRémi Barré教授の講究「技術と科学研究に関する評価と未来予測Prospective et évaluation de la recherche et de la technologie」を紹介しよう。Barre教授はユネスコのシンクタンク科学技術観測センターOST=Observatoire des Sciences et des Techniques http://www.obs-ost.fr/を主催しており、このOSTは同名の諮問機関が英国議会に附置されている。
「技術と科学研究に関する評価と未来予測」Prospective et evaluation de la recherche et de la technologie と題されたこの講究は通年23回の講義と講義主題に関するセミナーを催し、現場の研究者・研究機構・産業団体・消費者グループを招いて公開討論を行なっている。講義の内容は次の通りである。
講義はまず、科学知・技術知を社会資源としてどのように定義するかという点を巡ってForay-Gullec-Callonらの「知の経済学」と称される科学社会論を導入する。ここでは公的研究機関のみならず私的民間企業などから公開される論文・科学技術知識の性質も俎上にのせられる。その上でGibbonsのモード2科学活動が紹介され、Zimanによる科学活動に関する公共性、経済効果とますます結びついていく科学のあり方に関する討論が展開される。ここでは科学史に対する見方は社会構成主義で、Barnes-Bloorのストロングプログラム、Callon-Latourらのハードプログラム・アクターネットワークの理論を再確認する。
その上に、EU委員会・OECDの科学技術政策に関するドキュメント分析が行われる。この分析では、欧州原子核研究所CERN・欧州宇宙開発研究所ESAといった巨大研究機構の経済資源としての価値・人員構成・R&D等の評価がエコノメトリーの一環として行われる。ここで活用されるのは、科学技術指標(S&T indicator)とよばれる各種数値データ群であるが、統計処理に際してはBarré教授の提唱する戦略的分析という方法論が強調される。
科学技術力評価のベンチマークテストとしてOECD・OST・SCI(Scientific Citation and Index)の指標データが用いられ、英仏間の比較がなされた。この方法論は評価対象を、個人研究者(Microレベル) ・研究所等の組識機構(Mesoレベル)・国(Macroレベル)という適用範囲に明確に定義しており、其々の対象によって経済評価・資源割り当て・政策上の意志決定という科学研究活動に対するメタ判断を導き出す。
この中で定性的重要度が置かれるのが、Mesoレベルの範疇にある研究グループ・研究所・機構に対する評価である。Microレベルの評価は個人のキャリアにとっては重要であるが、社会学的意味はまちまちであるかまったく見出せないことも多い。これに対して、Mesoレベルの研究活動はその目的・性格に社会的意味付けが必ずでき、先の経済評価や政策判断が明確に導き出せるという。
例として先述した独仏間の原子力政策の違いをとろう。基礎・応用物理を含めて原子力へ携わる人員は80年代後半まで両国間で大差はない。ただしこの分野の基礎関係については、ドイツの方がフランスの約二倍の人員の博士修了者を毎年雇用している。人員の過半数は技術者・テクニシアンである事、原子力基幹部門においての研究成果についても差異は大きくない。ところが、基礎部門の研究成果では加速器・新素材・実験科学の分野で、先述したように基礎研究から実用技術化転換の指標となる特許案件数において有為な差が出る。
近年の米国エネルギー政策転換に端を発する核再開発の潮流においても、フランスは仏原子力庁・産学一体となった追随傾向を示しているが、ドイツは原子力基幹部門をEURATOM機構の範囲内にとどめて先端科学に投資を重点化しておりその分成果が特定されており優位にあると言ってよい(原子核先端科学におけるGSI(独)とGANIL(仏)の比較例等)。これに対して、フランスの基礎部門研究組識(CNRS-IN2P3機構)はCERN機構への貢献度が高いとされている。
こうした比較評価は科学政策の判断材料として好適であるが、問題は原子力基幹部門の評価である。従来は、原発から出る電力が他資源のものより安いかどうかという問題も含めて、核廃棄物を抱えた核燃料サイクルを評価する事は難しかった。しかし現在では、結論から言うと原発電力と核燃料サイクルの評価は別物となりつつある。電力配給自由化により原発電力の単価は市場流通のレベルで評価され、核燃料サイクルの存続はもっぱら政治的判断(核政策・防衛等)によるものとなった。
ドイツの脱原発政策は言うまでもなく、東西ブロックの消滅によるNATO軍の核戦略変更の影響が大きい。これに対して独自核戦略を保持するフランスには核燃料サイクルが不可欠となるが、核軍備を前提とする再処理に経済効率を導入しなければ一定の再処理量(つまり一定の保有量!)で済む。一方、再処理に経済効率を導入しようとして高速増殖炉開発に乗り出したために効率追求に失敗し、結果として増殖炉の放棄につながったのだとも言えよう。
現在では、核廃棄物の最終処分は地層処理が大勢となっており、原子力エネルギーが結局高価な資源であるとの評価に落ち着きつつあるが、現在地上に存在するものをさすがに放置するわけにはいかない。高価な代償を払ってでも処分するほかはないであろう。ちなみに加速器による破砕技術はコストパフォーマンス評価が著しく低く計画は暗礁に乗り上げている。以上が原子力分野への評価と判断である。
さて講究は、科学技術指標・出版・特許の三大統計データをどのように総合するか、というサイエンスメトリーの定義に入る。ここではVan Raanの4つのアプローチ1)ビブリオメトリーを中核とする科学知識の伝達と技術シーズの創造を評価する2)科学技術に関するデータベース・図書館学といった情報システムの構築3)基礎科学と応用技術の間の相互作用を解釈し、より経済的評価を明らかにする4)研究開発制度に関する社会認識論を掘り下げる、を基本とする。こうした上でScience and Public Polcy誌などの評価記事を分析する。テーマとして「英国の研究開発はフランスのものより2,13倍効率的である」「フランスの研究の質はイギリスのものより20%劣っておりオーストラリアよりも下回っている」といった仮説が本当かどうかを検証する。
この間、科学技術分野の諸団体を招いた会合が開かれ、博士課程の研究制度・ボストドクの採用メカニズム・ベンチャースタートアップの様子・研究公務員の採用とキャリアモニターのしくみ等が具体的に報告された。遺伝子生物関係の状況は前述したとうりである。
最後に、このSTS学の柱の一つである研究開発の戦略的マネージメントに大きな時間が割かれる。この戦略論の基礎としてNonaka-Takeuchiのイノベーション学習サイクル論が導入される。いわゆる暗黙知としての社会資源を組織化し開発を加え戦略判断を導入する。このケーススタディーとしてソフトウェアベンチャーのスタートアップが紹介された。
次に、欧州に1 0 余りある統計予測(Foresight)集団の読み方をそれぞれ比較し、Foresightの類型として戦略シナリオ重視型・イノベーション学習サイクル重視型・社会予測重視型があることを認識する。これは経済と技術革新のタイプが国によって異なることを反映しており、各国産業社会のポストモダン状況に相関した対応を持つことが示される。
これはAggregation指標として、組織的な研究パラダイム・研究アジェンダの開発能力とその財政サポートの参与度を、Steering指標として研究開発機構のインフラストラクチャー度・競争能力・研究アジェンダの社会への浸透プロセスを取った時に、このAggregation-Steeringダイアグラム上にオランダ・日本がAgrregationの高い国として、英国がSteeringの高い国として、フランス・米国が両指標のバランスのとれた位置に分類される、というものである。
これら戦略的評価の応用として、欧州レベルの個別プログラム・研究所間の共同プログラムを評価する。例として、欧州航空宇宙研究所ESA、英国諸大学間の共同研究アセスメントRAE、欧州−アイルランド間の研究交流援助による経済発展、EUREKAプログラム等の評価を検討する。この課程で研究政策ジャーナルでしばしば引用される研究者間のピアレヴューの評価妥当性を検討し直す。
以上がこの講究の内容である。評価対象としてあげられた研究プログラム・機構は概して基礎研究から工学への応用がかなり可能なものであった。一方、環境問題・生命倫理問題を評価できるような対象が少ないことが難点である。この点については別のSTSプログラムで述べよう。
上記のCNAMにおけるSTS養成課程に対して、A.K.科学史センター−EHESSを中心とする科学史側からのSTSセミナーが存在する。この両者が共催する科学史セミナーと言うのは実は無数にあってそのどれもが科学史の内容と同時に科学史のもたらす現代的問題つまりSTS的課題を何らかの形で取り扱っている。その意味からするとSTS的セミナーも無数に存在することになるが、ここではSTSと言う見方を正面から取り上げているものだけを考えて、その一つを紹介しよう。これは1999-2000年に、A.K.科学史センター研究員Christophe BonneuilおよびINSERM研究員J.P.Gudillère Ilana Löwy達の主催したものである。
科学と社会: 政治・文化・法制度
Science et Société: Politique, Culture, Droit
このセミナーの導入部はCNAMのものと大体同じで、Pinch-Bijker達の科学的事実または技術産物の社会構成論的様相、Pavittの学術研究・技術発展・研究開発政策論、Wynneのエキスパート論を紹介する。現代のテクノサイエンス状況を生み出した19-20世紀アメリカのベル研究所・GE等を例にとり、Beck-Rosenbergのリスク社会を導入する。
Budd-Crononらの生命科学史への検討、とりわけ生命的自然の有効搾取の過程を指摘し、Edelman-Hermitte-Kevlesらの生物特許批判を展開する。この批判は主に19世紀末にはじまった自然の有効利用・都市の発達と衛生学の科学政策的側面へ向けられる。この文脈でDunlap-Haysらのアメリカ・アフリカ大陸の大自然公園開発が、Weindling-McKenzieらの優生学批判が人口統計学との関連から論じられる。2大世界大戦間の女性社会進出を促進した背景として、化粧薬品・女性労働サイクル管理等内分泌学的研究に裏付けられたものであるというOudshoorn-FaustoSterlingらの論を紹介する。
今日の地球環境問題につながる温室効果・オゾン層破壊に対して、Patterson-Edwardsらにより地球環境パラメータの測定と評価の数学的プログラムを開発してきた国際研究アジェンダとその政策決定過程を検討する。
前項CNAMの欄で述べたように、こうした問題は定量的評価が難しい。かつ産業上の問題に絞り切れず批判を向ける対象が常にぼやけてしまう可能性がある。しかし、こうした自然科学と社会問題の直接的な関連付けは科学エピステモロジーのかなり基礎的な部分に触れる事がある。従って、科学史的アプローチからこうした定性的問題に取り組む必要は常に残しておくべきであり、研究手法の開発が更に望まれる。
上記は、大なり小なりSTSに関する研究養成の一端であったが、科学知識の市民普及あるいは市民認知を促進するための活動が科学産業博物館で続けられている。現代社会の膨大な科学活動と知識をいかに社会へ還元・伝達するかという点に腐心した施設(メデアテック・図書館機能)と大きな予算規模が特徴である。
例えば2000年には、新世紀の科学と社会の鍵となる次のようなテーマを1ヶ月1主題取り上げて、現場研究者のデモンストレーション、視聴者参加討論会、映像上映会等が行われた: 1)コンピュータ・ヴァーチャル世界の開発 2)脳科学 3)科学技術の限界 4)個人生活を豊かにする新技術 5)地球環境の監視技術 6)スポーツと社会 7)老化とライフサイクル 8)食料の安全 9)宇宙科学 10)生命・遺伝子技術、等である。
膨大な百科全書的知識が拡大深化することの様相を市民に開示し一種の方向づけをすることには、背景に科学知識に対する経済解釈がある事は言うまでもない。それを裏付けるかのように、この博物館には隣接して失業雇用対策事務所やコンピュータ・インターネット技術操作講習室が置かれている。フランス現代化政策として政府の力が入っていることは見て取れるが、ややもすると大衆迎合的宣伝に流れる傾向があり、科学の問題性をSTS観点からどのように絞り込むかという点ではもうひと工夫欲しい、というのが筆者の個人的な感想である。このテーマ方式の公開活動に限らず、招待研究者の講演・デモ、討論会、上映会は常時行われている。
上述したパリの四科学博物館は設立の地理的位置・歴史的背景がそれぞれ異なり、英米の自然史・科学・産業技術博物館(ロンドン・スミソニアン)の様に、巨大施設を一個所にまとめる、というコンセプトではない。分野によって其々の博物館で文献と共にじっくり時間をかけて研究するのに向いている。
一方、それぞれの館が独立していることにより財政上の問題を抱えることがしばしばと聞く。また、科学を細分化してそれぞれの専門に押し込めようとするフランス社会の知の状況に似ていると言えなくもない。科学的思考はそれぞれの分野の高度専門化に役立つものだとする考えはそれで重要だが、科学知のcontingent/transcendentなダイナミズムがややもすると失われる恐れもある。そうした可能性は科学哲学者に与えられていてその場所も専門に用意されている、というのがフランス的状況である。
最後に、技術史に力点をおいたSTS・技術思想のセミナーを紹介しよう。技術史と技術思想を社会史の中で丹念に追う研究蓄積はCNAM(CDHT=Centre de l'Histoire des Techniques部門)が一番豊富であろう。それに加えて、パリ第十大学で社会認識論・化学認識論を主催するBernadette Bensaude-Vincent教授と、科学産業博物館のCNRS研究者(館内にCNRS系のCRHST=Centre de recherche en histoires des sciences et des techniquesという部門が設けられている)Christine Blondelの主催したものである。
なお、このセミナーは特許・工業所有権に関する単位を与えるものではない。特許弁護士・工業所有権関連の経営工学はストラスブール大学またはエコル・セントラルで専門に養成されている。特許技術に関する歴史資料はフランス特許庁INPI(Institut National de Propriété Insdustrielle) またはCNAM(第二次大戦前まではCNAMが特許管理をしていた)でも調べられる。
科学と技術における発明
L'Invention dans les sciences et les techniques
さて、STSのフランス的動向をのべる本論よりも科学史・技術史の記述が多くなってしまったかも知れない。前に述べたように、科学史・技術史の枠組みの中で開催されるセミナーの中でSTS的問題性に触れるものが多く、英米風のスタイルが確立されていないように思う。従って、巷で無数に流れてくるセミナー情報を眺めながら(パリを中心とするフランス国内の科学技術史とSTS関連のセミナー情報は次のサイトのメーリングリストから入手できるhttp://www.sigu7.jussieu.fr/hpr/theuth-index.html)、STS的問題意識を掲げているものを取捨選択して参加するのが良いであろう。
注
*1) MARES, Antoine. L'Institut de France, le parlement des savants. Gallimard, 1995, Paris.
*2) Le Comité Francais des Unions Scientifiques Internationales http://www.academie-sciences.fr/index_comites.html
*3) Comité RST, Rapport biennal sur l'état de la science et de la technologie
*4) LAISSUS, Yves. Le Muséum national d'histoire naturelle. GALLIMARD. 1995, Paris.
*5) MERCIER, Alain. Un Conservatoire pour les Arts et Metiers. GALLIMARD. 1994, Paris.
*6) MAURY, Jean-Pierre. Le Palais de la Découverte. GALLIMARD. 1994, Paris.
*7) PICCARD, Jean-François. La république des savants.
*8) 関口ひかる「大学・公的機関の研究室の業績をどう評価するか」日仏工業技術、Tome 44,No.3,1999
*9) 宮本博幸「フランスの高等教育制度」日仏工業技術、Tome 45,No.2,1999
*10)新聞・ジャーナル切り抜き記事はポンピドーセンターにて無料電子閲覧できる。
*11) Jacques Testart, ≪ Les Experts, la Science et la Loi ≫, 09-2000, Le Monde Diplomatique(編集部注)この論文は http://www.netlaputa.ne.jp/.kagumi/0009.html で日本語版をご覧になれます。