「大学独立行政法人化問題とは何か」報告
報告 浅見恵司(東京工業大学)




日時:3月31日(日)13:00-18:00
会場:東京大学先端科学技術研究センター新4号館2階講堂

プログラム:
<講演>
小沢弘明氏(千葉大)
  「独立行政法人化問題の現在」
澤昭裕氏(経済産業省経済産業研究所)
  「大学改革・国立大学法人化の論点」
益田隆司氏(電気通信大)
  「教官・学生のモビリティ向上策を考えよ−序列から競い合いへの構造転換を−」
大内裕和氏(松山大)
  「高等教育改革のなかの独立行政法人化」
<コメント>
榎木英介氏(神戸大学医学部大学院)
小林信一氏(筑波大、科学技術政策研究所)

 2001年3月31日、STS Network Japan春のシンポジウム「大学独立行政法人化とは何か」が60名を超える参加で行われた。演者の方々、コメンテーターの方々からはそれぞれの立場から鋭い問題提起があり、おそらくこれまでどこでもなされなかったような議論の場が創れたと思う。その後の会場も含めた討論ではさらに白熱した議論がなされて、大盛況のうちに終わった。
 ということで、この紙面では講演や議論の報告を簡単にまとめた上で、シンポジウムを受けての筆者の感想を述べたい。それに加えて、「様々な議論が出会いぶつかり合う場を設定したい」というシンポジウムの趣旨を貫徹して、若干の論点追加もしたい。

0 シンポジウム報告
 まず、シンポジウムの簡単なまとめをしたい。
 前半は小沢氏、澤氏から大学の運営形態や評価などを巡っての問題提起があった。
 小沢氏は既に進行しつつある事態として大学への競争原理の導入、大学の選別と淘汰、種別化によって「知の商品化、大学のトップダウン的運営が進む」と指摘し、大学自治の復権を訴えた。また、競争といっても既に文部省の序列化は固定していることも指摘した。そして、現在の独法化と大学の法人格取得を区別せよ、とした上で、「行政に支配されないこと」「事務部局を法人内にすること」「教育の拡充」「適切な評価システム」を、法人化の必要条件とした。
 一方の澤氏は「これまで文部省と国立大学がもたれあってきた」として、「経営・教学」の分離も含めた選択肢を提示して、「全国一律にせず大学が決めるべき」だとした。澤氏の「自信のある大学は独立すればよい。そうでなければ文部省の庇護の下にいるべき。」という発言に、会場の大学人たちは気圧されていたようだ。澤氏の主張は「組織運営」「人事処遇」「学位授与権」などに対する規制を撤廃し、抜本的に自由化することとまとめることができるだろう。
 後半のお二人の話は、ここ10年の大学設置基準「大綱化」と「院重点化」に関連したものだった。
 益田氏は、大学の活性化として「モビリティの向上」を挙げる。ここで氏は、これまで言われてきたような「任期制」は、教育組織にはなじまないと指摘し、内部昇格を厳しくするなどして、インブリーディングを排除することを強く主張した。また、「院重点化」によって、助手の数を大幅に減少させたことは、研究重点大学における研究の活力を低下させることになると警鐘をならした。
 大内氏は、これまでの日本の高等教育の特徴を「実学志向」「競争的構造」「公的助成の貧困」とまとめ、このような構造は高度経済成長のなかでのみ機能してきたとして、既にそれが破綻している現状を「大綱化」「院重点化」「入試改革」の失敗を例として指摘した。そして、大学に対する教育的機能の増大要求に対して独法化が応えることができるだろうかと問題提起した。
 榎木氏のコメントは、院生・若手研究者で作るメーリングリストResearch-ML(http://www.seikawakate.com/research/research.html)でのやり取りなどから、「賃なし労働力」「先がない」「任期付で不安定」といった大学院生が置かれている過酷な状況が生々しく伝えられた。
 小林氏のコメントは、「各大学、大学関係者が自主規制的に議論や提案を限定する傾向が続いてきたが、このような傾向は好ましいことではない」として、「独法化など、色々やってみてベスト・プラクティス戦略でいいのではないか」と提起した。
 以上が、簡単なシンポジウムの報告である。この後の総合討論でも様々な議論がなされたが、紙面の都合上割愛する。シンポの内容については後日Yearbookに掲載されるのでそちらも参照していただきたい。
 それでは、以下にシンポジウムで提起された論点のうち、今後の議論で特に重要になると思われるいくつかの点について、私の感想を述べる。

1 独法化と組織形態・大学自治
 小沢氏が大学への経済合理性の浸透に対して危惧を述べたのに対して、澤氏は経済合理性から大学組織の自由化を論じた。両氏ともに「大学自治」の重要性を説いているが、その「自治」の指す中身には相当のズレがあったと思う。小沢氏が大学への企業文化の導入に対抗する「ネットワーク的共同体」としての大学自治を強調し、社会との対等な協力・共同関係を築くことを提案したのに対して、澤氏は「経営的観点」を受け入れた上での組織形態や人事制度の選択権・運用主体としての「自治」を語っていたと思う。しかし、この二者の違いこそ、独立行政法人化問題を考える上で重要な論点だと思われる。
 大学自治といえば「教授会自治は既得権擁護の場になって既に崩壊している」とよく言われる。そして、外部に(あるいは上に)新しい管理組織を乗せることを解決策として提示するものが多い。例えば、文科省の案では執行組織を分離して教授会や評議会の役割を低くし、運営諮問会議を学外者のみへと改組するとなっている。文部省や国大協、その他にも科学技術基本計画や産学協同に関する文章などにおける「独立行政法人」への期待は微妙に違っても、「学長のリーダーシップの下の機動的運営」=「大学自治権の剥奪」に対する期待は共通している。
 しかし、現行の評議会や教授会が既得権保存だけの場になっているとしても、それは果たして組織形態の問題なのだろうか?それで大学人が大学の運営を投げ出してしまってよいのだろうか?
 「既得権擁護である」という批判は「権利をすべて捨てよ」という政治的要求を含意している。もちろん「既得権擁護」ではそれに対抗することはできないだろう。いま持っている権利が、なにゆえ権利として獲得できたのか、例えば大学の戦争協力への反省から大学自治が形成されたとか、そういうことを再度位置付けていく作業が大学人の側に求められている。現在進められている独法化は、そういう機会すら大学人から奪ってしまうように思える。いま教授会などが形骸化していると言われているが、そもそも学生自治・教授会自治を破壊する様々なことが行われてきたことも見逃してはならないだろう。トップダウン的運営が学生のみならず教職員にも閉塞感を生み出している現状を見れば、独法化による運営形態の変更が生み出す結果は明らかではないだろうか。
 文部省や経済産業省の「運営会議」設置案は、本Newsletter33号における木原氏の「技術者倫理」への批判(うまくいってないものに対して外部からの支配を導入することへの批判)と同じような構図を連想する。ここで氏が提起している「モラル・コミュニティ」のようなもの、大学人の自立的な営みと市民社会との対話のようなものを目指すべきだ。
 その一例として、その後の会場からの議論でもあったことだが、地域社会との結びつきやサイエンスショップなどの取り組みが少しずつはじめられている。そういう意味での「社会に開かれた」大学というのが、この独立行政法人化のなかでは全く議論されていない。しかし私は、むしろ大学への企業文化導入の中では「非効率」とされるかもしれないこういう試みにこそ可能性があると思う。
 順番が前後するが、澤氏や小林氏からは「学生がもっと自己主張せよ」という発言もあった。それはもっともなことなのだが、現実はそんな簡単ではない。大学の中で自由にサークル活動をしたりすることもままならない。学生が自主性を発揮しようとすること自体を文部官僚たちは快く思っていない。例えば東大の駒場寮を潰すためには、100名を超す教官たちを「動員」する大きな権力が働いたのだ。学生の自治なり自主的な活動は潰しておいて、その上で授業の中なり、教官の指導のもとでの「自主性の尊重」などを進めようとするので非常にたちが悪い。
 学生にも負けてしまったり、納得してしまう弱さがあるが、それでも学生は様々に活動している。少なくとも「自治団体の出席率が低い」「何言ってんだ、教授会なんて全然人がいないじゃないか」というような不毛な言い合いではなく、もっとお互いの自治を豊かにするような関係ができるのではないかと思う。
 シンポジウム後の交流会などでも、とりわけ澤氏の提起は大学人にとって大きな問題提起として受け止められていた。これに気圧されず、大学の教職員や学生が新しい大学像を出すべくもっとがんばらなければならないと思う。

2 「大綱化」と「院重点化」
 共通して指摘されていたこととして「大綱化」による教養部解体の弊害、院重点化による大学院の肥大化の弊害がある。
 大学設置基準の「大綱化」は、大学の設置形態を「自由化」することがその理念とされたが、実際は一斉に「教養部廃止」へと流れた。益田氏は、文部省の意図としては専門と教養の教官身分格差解消、一般教育の見直しなどを狙ったものが、大学がそう動かなかったのではないかと分析した。一方で、小林氏の「いわゆるサウンドと呼ばれるもののうち、少なからぬ部分は大学内で教授会をまとめるための方便として使われているという面がある」というコメントなど、大学がもっと自由にできたのではないかとする意見もある(例えば、2000年の物理学会「物理学者の社会的責任」シンポジウムでの有馬朗人氏の発言、「科学・社会・人間」74号参照。)。しかし私としては、ここまで揃いも揃って「教養部廃止」をしたのだから、何かしらの力がかかったのではないかと思う。
 私が見たり聞いたりした東工大の実例でも、「大綱化」によって語学・体育が削減されたため、その担当教官は大学院教官にならなくては職を失うことになってしまった。そのとき、新研究科の計画を作った委員長(本人は化学工学で関係なかったりするのだが)は「(体育・語学教官には)血を吐いてでも学位を出してもらう」と発言したそうだ。実際、体育教官たちは院生の就職先探しなどで本当に血の滲むような努力をしている。そもそも東工大は「教養部」がなく、それに相当する人文・語学・体育系の授業は少なかった。人文で増えた部分もあるが、語学・体育は減って本当にスカスカである。その分教官には「大学院教官」となる圧力がかかったようだ。
 大学院重点化の弊害も計り知れない。工学系の教官でも「1年で院生が5倍になった。就職の面倒が見切れん」とキレるとか、本当にめちゃくちゃな状態になっている。一方の地方や私立の大学では「優秀な学生を旧帝大系に取られる」という問題が深刻だ。
 さらには大内氏が共通して指摘されていたことで、大学教員の不安定化の問題がある。「流動化」の名のもとに助手に任期制が導入され、科学技術基本計画での「ポスドク1万人」計画によって期限付きの研究者が急増した。これである期間中に「成果」を挙げないとその先の職がなくなる。これでは、すぐに結果が出るものや、研究費が大量に落ちる研究をやらないと大学に残れないことになり、研究の多様さが失われるだろう。
 大学が教育・研究の場として機能していこうとするとき、特に入り口での不安定さは命取りになるだろう。もうそろそろ学生の方でも、学部時代はだまされて修士課程までは行っても、その先がないから「博士課程に行かない方が賢い」という声も出てきているぐらいである。
 こういった問題を解決しなければ大学に未来はないだろう。

3 院生の労働力化について
 コメントのなかで最も印象に残ったのは榎木氏の「誰が支配するのでもいいから職をくれ」という院生たちの魂の叫びであった。生化学の若手研究者・院生が中心で作るresearch-MLの主催者である榎木氏ならではのコメントであったと思う。私の周りにも「職がないから博士課程に行く。でもその先があるかというと、、、」という学生も少なくない。大学院=失業者プールと言われても仕方がないだろう。一方で学部段階では「理工系は大学院にいかなくてはものにならない」と言われて院へ進学することが刷り込まれるのである。今や学部定員より大学院定員の方が多い大学も出てきているぐらい「院重点化」が進み、この矛盾は極限に達しているといえる。
 もう一つ榎木氏が提起していたことは、「研究の実働を院生が担っている」といういわば大学院生の「労働力化」である。これまた私の友人の話だが「企業の委託研究を院生が請け負って、その数が毎月棒グラフで掲示される」という研究室もあるぐらいで、教官の下請けをする数で競争させられてしまうのである。
 これに対しての方策として澤氏の「TA/RAなどで援助」というのは、労働の対価として賃金を払うという意味では正論だと思うが、RAは安い研究下請けであるし、TAは教官の手に余る学部教育を院生にやらせることになり、学部教育の質的低下を招く。結局は院重点化のつけを下へ下へと押し付けることにしかならないのでは、と危惧する。
 では、院生にちゃんと教育しろと言うのか、といえば、それも違う気がする。大学院の位置付けをどうするのかという議論が必要だろう。
 一部の大学を除いてほとんどの大学では、院重点化しても学生が集まらない。それで大学院に社会人を集めることになる。これが昨今の有期雇用全面解禁と結びついて、労働者に就職→失業→大学院→就職、、、という「反復横飛び」を強いることになるだろう。
 大学院の問題は「ロースクール」などの種別化問題も含めて限がないが、結局は「院生多すぎ」という榎木氏の一言に集約されるのであろうか?

4 まとめ
 その後の会場も含めたディスカッションはさらに盛り上がり、予定時間を大きく超過して議論がなされた。会場からの発言でも本Networkの会員だけではなく、昨年の物理学会のシンポジウム(独立行政法人化がテーマ)で「民営化」の立場から話された方や、大学を現場に様々な取り組みを行っている現役の学部生など様々な立場からの議論がなされた。内容としては特に大学なり学問なりに対する評価を多様なものにできるのか、現在の独法化案では文部省評価ではないかというところなどが問題となっていた。また、大学人の側も自虐的な自己評価をやめて、現場の困難さにしっかり向き合うことが必要だということも話された。
 ここでそれぞれを取り上げられないが、ほんとうに様々な反応であった。今回の提起を受け止めた私たちの方で、今後ももっとすり合わせ、議論が必要だ。
 国立大学の独立行政法人化問題は、文部科学省、国立大学協会とそれぞれ案が出てきたところで、これからがホットな問題である。今回のパネラーの方々には様々な観点から論点を出していただいた。考えれば考えるほどこのシンポジウムがとてつもなくすごい場であったことを痛感する。これ1回の経験とせず、ここでの議論を生かして、今後もさまざまな場で議論をしていかなければ、と思う。





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