2000年 STS NETWORK JAPAN 夏の学校報告

夏の学校2000 実行委員長 夏目賢一(東京大学大学院)


統一テーマ「STSによる21世紀の批判的構想」

1.「21世紀日本の構想」懇談会報告書の説明 隠岐さや香(東京大学)・夏目賢一(東京大学)・春日匠(京都大学)
2.「転換期の科学技術と科学技術政策」綾部広則(東京大学)
3.「説明と理解:科学の文化を研究することについて」伊藤憲二(ハーバード大学)
4.「『21世紀の日本の構想』懇談会による政策決定プロセスの見直し再考−農薬基準取消し訴訟の結審を例に−」角南篤(コロンビア大学)・中島貴子(東京大学先端研)
5.「科学技術論の課題−ネオリベラル・テクノクラシー批判−」柿原泰(東京大学)
6.「90年代を見る視点−歴史的経緯、国家再編/大学再編、グローバリゼーション−」山根伸洋(日本学術振興会)
7.「高校新学習指導要領に対する批判・理科(科学)教育観を批判する」平井俊男(今宮高校)
8.「「アフリカのエリート」について」矢部史郎・山の手緑(高円寺ネグリ系)
9.「GMO問題を分析するにあたって:Richard CoyneのTechno-Romanticismを使った若干のモデル化の試み」塚原東吾(神戸大学)
10.「科学的公共性の源泉―吉野川可動堰問題を事例として」加藤源太郎(神戸大学)
11.「所沢ダイオキシン問題におけるリスクコミュニケーションの分析」木村宰(東京大学)
12.「知への帰依と知からの自由」松原克志(常磐大学)



 今回の夏の学校は「STSによる21世紀の批判的構想」というテーマのもと、故小渕元首相に委嘱された「21世紀日本の構想」懇談会の報告内容をめぐっておこなわれることになった。このとてつもなく大局的な題目がテーマに選ばれたのは、今年が20世紀最後の年であることによっていることももちろんだが、それに加えて今回が「十周年」という記念すべき回であったことも大きな要因であった。そう、今回の夏の学校は十周年記念であった。実際、自分が昨年の夏の学校において実行委員長を引き受けることになったとき、この「十周年」という言葉はちょっとしたプレッシャーだった。少なくとも当初、事務局の中では今回の夏の学校に「十周年」らしい要素を盛り込みたいという意識があった。しかし内実を重んじ、形にこだわらないSTSNJという団体らしさなのだろうか、このような「十周年」にこだわる意識はあっという間に消し飛んで忘れ去られてしまった。もちろん自分自身においても。そうこうしているうちに何も「十周年」らしい企画を考えないままに当日を迎えた。そして結局、この「十周年」は参加者にほとんど意識されないまま、夏の学校は幕を閉じた。とはいえ、今回の夏の学校にはちょっとした目に見える特徴があった。まず参加者数が例年を大きく上回る47名を数えた。初参加者数が多かったからである。これはうれしい誤算であった。また、前日に同会場で「夏の予備校」と称して学生を中心とした勉強会がおこなわれた。初めての参加者にも科学論にある程度慣れ親しんだ上で、夏の学校当日を迎えてもらうためである。内容は金森修氏の近著『サイエンス・ウォーズ』一冊すべてをレジュメ発表を通して学んでいくというものであった。こちらは24名の参加者を迎え、雰囲気から推察する限り、夏の学校への導入としては成功したと思う。目に見える特徴としてはこのようなことが挙げられるが、目に見えない、すなわち夏の学校の内実である議論の内容についても大きな特徴があった。そしてこれこそが「十周年」を迎えるにあたって新鮮さを失うことのない今回の夏の学校の特徴といえるものであった。それでは、これについて以下に報告していく。
 プログラムは今回取り上げた「21世紀日本の構想」懇談会の報告の内容説明から始まった。まず、隠岐さんによってこの資料の全体的な内容と基本的な傾向、そしてこの資料の報道のされ方などが紹介された。すなわちこの資料の基盤となる、新自由主義と国民の「市民」化による総動員体制の構築、その体制を保持するものとしての弱者に対するノーマライゼーションの思想、そしてそれをあいまいに包み込む福祉国家的な社会保障理念など。そしてマスコミにとりあげられた英語第二公用語化や義務教育三日制、十八歳からの参政権などの問題が紹介された。次に夏目によって、特に今回重点を置いた第三章で掲げられている分散協調型ネットワーク社会を実現するために必要とされる、情報技術と生命論的世界観の簡単な解説がおこなわれた。そしてそれらをまとめて、論点を明確にするための発表が春日さんによっておこなわれた。この「21世紀日本の構想」は政治家や学者の理想の最大公約数の提示であり、これは一見したところ「バラ色」の社会であるが、その社会には政府のヘゲモニーが介在し、さまざまな問題点が内在する。たとえばガバナンス、すなわち政府からの統治ではなく下からの協治が協調されているが、ここでの「下からの」とはどのような人たちを念頭に置いているのか、逆にいえばどのような人たちを念頭においていないのかといった問題がある。またグローバル・リテラシー形成などの文脈で語られる個人の自律性・内発性の形成要求は、実質的にそれができる人とできない人との能力格差を助長してしまうのではないかといった問題がある。そしてこのような論点を紹介した後、今後の指針としてネグリやブルデューをひきつつ「MajorityからMultitudeへ」「グローバリゼーションの不可避性とそれへの抵抗形態の模索」「普遍性という帝国主義と「理性」への反抗」「国家の擁護と新たなるインターナショナリズムの確立」があげられた。しかし春日さんのIT革命をめぐる方針を疑問視する論点に対して、素朴に便利になっている現状の方向性は本当に悪いのかといった指摘もなされ、このような認識の齟齬は以降の議論に持ち越されることになった。そして最後に質問に答える形で、この問題を今回の夏の学校で取り上げたのは、この場で合意を形成することではなく、これらの問題で参加者を撹乱し、そうすることによって、批判的視点を養うことを目的としている旨が述べられた。こうして「21世紀日本の構想」懇談会の報告の内容説明がおこなわれ、各講演者による発表に移った。
 最初の発表は綾部さんによって、21世紀の科学技術を考える上で不可欠な、現在の科学技術政策の問題についての考察がおこなわれた。科学政策は研究費の投入の仕方によって、ビッグ・サイエンス(資本集約型)とマス・サイエンス(労働集約型)に分けることができ、戦後50年間はこのビッグ・サイエンスが象徴的であった。しかし核融合研究や加速器建設計画を見ればわかるように、このような研究者一人当たりに高額の予算を必要とするビッグ・サイエンスは90年代に入り斜陽化することになる。そして今後このようなビッグ・サイエンスを推し進めていくためには、一つの研究に多様な利害を同居させていく必要があると述べる。つまり、これまでの研究にいかに他のニーズを開拓できるかが重要である点を指摘する。宇宙開発を例に取ると、人工衛星の開発では研究にGPSなどの実用のための研究を同居させることで予算を獲得しやすくしていることが紹介された。
 夕食後、伊藤さんによって社会構成主義とカルチュラル・スタディーズの問題点についての発表がおこなわれた。これは「夏の予備校」でとりあげられた『サイエンス・スタディーズ』の理解を助けるという目的もあった。まず伊藤さんは科学の文化を研究する場合、説明的アプローチと理解的アプローチがあるという論点に立つ。そしてブルーアなどの議論を紹介した上で、前者の説明的アプローチ、すなわち社会構成主義の特徴を「因果的に説明しようとする態度」「社会的に解釈しようとする態度」と要約し、そして後者の理解的アプローチ、すなわち「ギアツ的な文化の捉え方」「非説明的な捉え方」「非クーン主義的・開放的な捉え方」を提案する。そして実際に両者の方法に基づいて自身の研究分野である1920年代から30年代における日本の若手物理学者の量子力学の受容と社会背景との関係について論じ、社会構成主義者の弱点を明示する。しかし中島秀人さん他により、ブルーア以降、実際に科学史家で強い社会構成主義を取っている人はおらず、また現在の社会構成主義者は因果関係を問わないという指摘がなされた。さらには社会背景を扱う科学史家はだれもが少なくとも弱い社会構成主義者であり、後者の理解的アプローチもそれに含まれるという指摘など、社会構成主義をめぐって議論が白熱し、その夜はその勢いにまかせて懇親会へと流れ込むことになった。
 明けて2日目は角南さんと中島貴子さんの発表で始まった。この発表では懇談会資料における政策決定プロセスの見直しの論点、すなわち「アカウンタビリティーの確立(官主導から民主導へ=政治主導へ)」「情報公開」「政策決定の参加者の多様化」は方向性としては適切であるが、これは以前からわかっていたことであり、これらを実現していくための批判的論点が必要とした上で、この問題を農薬基準取消し請求訴訟の結審を例に論じられた。この例では、被告が科学的常識では考えられない証言をしても、裁判官が科学的専門性に乏しいために見抜くことができないといった点や、原告・被告ともに科学的データを用いるとしても、その(動物実験による)データを人間に適用する場合に掛け合わせるセーフティー・ファクターにおいて一定の不確実性が生じてしまい、結局は科学論争ではなく手続き論争に移行してしまい基準が変わらないままであるという点、またそうした場合、アクター間の政治力が影響しやすくなってしまうといった点が指摘された。そして理想と現実のギャップをめぐる考察として「政策での科学の不確実性を扱う問題において、市民の側からの「政治主導」は十分か」「利益誘導型政治、構造的な政治力の不公正という現実問題への視点が欠如している」「レギュラトリーサイエンスの存在意義が十分に認められていない現実との関連」「国民の広範な関心を背景にした政策論議が前提となるが具体策が見えない」などの問題点が指摘された。そして角南さんによって、科学的データが用いられても、それに思惑のある「さじかげん」が含まれてしまう現状と、そのような場合に政策過程でのアカウンタビリティーはどのように形成されるのかといった問題点が強調された。これについての議論では、行政の決定プロセス公開を求めるために「不安」が原告適格になっているために、その公開が実現されにくくなってしまった点や、原告・被告ともに裁判官を選べない、また高等裁判所の裁判官は罷免することもできないなど、実際のその裁判をめぐっての質疑応答がなされ、司法改革の必要性が確認された。
 続いて柿原さんにより、現行の科学技術体制をネオリベラル・テクノクラシーとして捉え、批判していくという発表がなされた。まず新自由主義について、グローバリゼーションの名のもとに一元化を求める一方で多元化・個性化を求め、また新保守主義やナショナリズムと結託し、国家と法への統一した関与を求め、そうした中で選別と排除がおこなわれてしまうといった問題点を指摘。その上で「21世紀日本の構想」懇談会と密接な関係のある79年大平首相の政策研究会を引いてその問題点を明示し、さらに実際に日本の科学技術政策は「科学技術立国:techno-nationalism」路線であり、ここでの国際化は国粋化ではないかといった点を指摘した。そして原子力問題をモデルケースとして論じたあと、ネオリベラル・テクノクラシーとしての特徴として「常に変化を求める態度」「上からの改革だけでなく下支えの調達」をあげ、さらにこのネオリベラル・テクノクラシーに関与することで自動的に政策形成者の意図に絡み取られてしまうという仕組み、すなわち市民参加の陥穽が論じられた。そして最後に技術者教育「改革」の問題をこの文脈で捉えることで浮上する技術者倫理などの問題点が論じられた。この発表をうけて「カウンター・テクノクラートでは政策論争には勝てない」といった主張をめぐっての議論や、ネオリベラル・テクノクラシーとして現在の科学技術体制を捉える上での議論が起こった。さらに議論は新自由主義の一般的な問題に移行し、ガバナンスといっても政策形成者によって意見の選別がおこなわれ、長期的に見ると、これには人間を開発するという意図を盛り込むことが可能になる。すなわちその結果、家父長制や封建制といった暗黙の権力構造を生み出すのではないかというような議論が起こった。それをうけて、成城大学の村上さんが、自身の研究分野であるゲイ・スタディーズにまつわる都政における新自由主義的な意見排除の例をあげたり、またしかし中島秀人さん他が水俣病問題などの例をあげて、実際に30年前に比べれば自由に意見が言えるようになってきているのではないかといった意見を出し、午前の予定を押すほどに議論が紛糾し、ここで昼食の時間となった。
 午後の最初は、山根さんが懇談会資料の問題を念頭において、戦後日本の歴史的経緯の確認とグローバリゼーションをめぐる問題点について発表した。まず歴史的経緯では、新自由主義の源泉、また生産と消費の現場でのヘゲモニー確立の過程を示し、その現場を統制する体制の構築過程を発表した。次に時間が押していることもあって、当初予定していた大学再編についての話題を割愛し、グローバリゼーションの話題に移った。町村論文(町村敬志「グローバリゼーションのローカルな基礎−「単一化された想像上の空間」形成をめぐる政治学」『社会学評論200号』所収)を参考に、グローバリゼーションを社会学的に研究していく際に、「グローバリゼーションは外圧ではなく、ナショナリズムやローカリズムはグローバリゼーションによってむしろ強められる」すなわち「グローバリゼーションがつねにローカルな基礎を持ち、ローカルな基礎に関する理論抜きには、グローバリゼーションの動態を把握することができない」ことから、周辺部の研究が「周辺的」なものではなく「中心的」なものになることが指摘された。またグローバリゼーションを考える場合に注意すべき点として「グローバリゼーションという認識枠組みでは、相互依存関係を直接持たない地域や個人の間にすら、連関了解の認識枠組みが浸透していく」という点、またグローバリゼーションを前提として「ローカルな領域に「単一化された想像上の空間」を共有する層と共有しない層が生じ、両者に緊張状態が生まれる」という点、そして「グローバリゼーションが説得や動員のためのイデオロギー手段へと転化する」という点が、すなわちグローバリゼーションにともなう社会分化が、地域間の不均等ではなく「不均等じたいのグローバル化」になっている点が指摘された。それを受けて、まずグローバリゼーションにおける「国民国家」批判として、G8体制の評価、すなわち資本の浸透力の評価についての議論が交わされた。つぎに新自由主義的政策での実質的な諸権利の引下げの問題について議論が交わされた。ここで「労働運動はダサいのか?」「足元を崩しておいて、競争しろということなのではないか」「NGOでこれまでの運動に代わることができるのか」といった点が議論された。またそれまでの議論において混乱して語られていた学的実践(研究)と社会的実践(実際の運動)について、これらの間にはギャップがあり、一方を他方に従属させるのは問題であるといった点も指摘された。最後に新自由主義とは「変われ!」という命令であり、現状維持を許さないものであるということ、またその手法として文脈に関係なく「何でもあり」の手段を用いるため、これがストレスの源泉になっているということが確認された。
 続いて平井さんが2003年から実施される高校新学習指導要領の選択教科多様化路線を、とくに氏の担当する理科教育において批判検討する発表をおこなった。まず現行の指導要領の問題点、すなわち多様化・選択化路線を初めて導入し、基礎的・基本的な内容の教育の徹底をうたいながらそれに失敗している点を指摘した上で、新指導要領においてもこの路線が推し進められていることへの疑問が投げかけられた。多様化・選択化路線では、ある科目が受講者数に応じて開講されなかったり、取得が必要な単位数が減ることで基礎・基本の知識の習得が事実上困難になっているといった問題がある。また、判断が十分にできないままで選択を強制することで、その選択ミスを助長しているといった現状もある。このような現状を踏まえて、科学技術の発達した社会において、判断基準となる基礎・基本の知識がないまま、将来市民として意思決定を迫られるのは良いことではなく、そのためには選択の押し付けを避け、必修として必要最低限の知識習得のための教育を確保したいという主張がなされた。そして新自由主義的体制についてこれまでの議論でも指摘されていたように、教育現場の意見を聞くだけ聞いておいて、政策にはまったく反映しないといった現状への不満にも言及した。続いて懇談会資料にも言及し、全体を通しての所感が述べられた。この発表をうけて、基礎・基本の知識の内容についてどこまでを高校で習得すべき最低限の知識とするかといった議論がなされた。知識の量を期待するよりも、必要な知識を得るための方法を習得することが重要であるといった意見や、その知識を高校側が決定する際に大学が意見を差し挟むことのナンセンスさ、また義務教育週三日制が導入されれば、必要最低限の知識を教育することすら難しくなり、実質的に知識の内容よりも必要な知識を取得する方法を教育することが重要になるといったことが議論された。
 ここまでの午後の発表と議論も予想以上に紛糾したため、夕食までに次の発表をおこない議論をするための時間がほとんどなくなってしまった。そのこともあって、主に柿原さんの発表で議論が収束しないままになっていた「いかに反対派の意見を政策立案過程に反映させていくか」という問題について、神戸大学の本田裕子さんがモデルケースを用いて議論の発展を模索するための提案をおこなった。本田さんは歴史的に見て、第一の段階として近代において大衆の声が政策に反映されなかったことに言及する。そして政府の意見に同調する意見しか聞き入れられないといった現状を踏まえ、第二の段階として大衆の声を政策に反映するために、あえて賛成意見をとることで大衆を議論の場に参加させる事実を作り上げてきたこと。さらにこれを発展させる第三の段階として、市民の反対意見を政策に反映させるためには、賛成派と反対派、そして問題点を発掘する役割を持つ学者を内包した市民的共同体としての「みんなの会(この提案は吉野川可動堰問題を前提として議論された)」を組織し、その内部で意見調整をおこなった上で、その意見を政府に申し立てていく方法がよいのではないかと述べた。それに対して山の手さんによりそのような歴史観の訂正すべき点が指摘された後、議論はこの第三の形態の是非をめぐって展開した。矢部さんが賛成派のほうがその市民的共同体を望まない可能性があることを指摘、そもそも政府に対置する共同体という前提的位置付けによって、図らずもその共同体が政府の別働隊として機能してしまうことになる点を指摘した。続いて篠田さんが、この第三の形態こそが新自由主義の暗黙的な意見選別を孕んでしまう可能性を指摘した。また塚原さんが、吉野川問題における「みんなの会」は重層的な思惑のもとで、反対をあえて標榜しない形で運動しているが、事実上の反対派であるといった点を指摘した。そしてこの議論も紛糾したまま夕食の時間にもつれこんでしまったため、中断される形で終わってしまった。
 夕食後は山の手さんと矢部さんにより九州沖縄サミット反対デモに参加した上での所感、日本における沖縄の位置付けへの考察などが発表された。まず特徴として反サミットデモの参加人数が嘉手納基地包囲行動の参加人数に対して少ないという点があげられた。実際サミットの期間中、街中には警官とサミット支援NPOの警護ボランティアばかりというように、沖縄全島で警備が徹底され、住民の外出の自粛なども首尾よく徹底され、デモ運動も盛り上がらないものであった。氏はこの盛り上がらなさが起因するところに沖縄の特殊性をあげる。もちろんこのような住民と行政が一丸となった警備体制は東京では不可能であり、これは地理的条件はもちろん、家父長制が色濃く残る沖縄の県民性を反映していると述べ、そもそも今回のサミットをめぐる言説では少女暴行事件を含む基地問題という沖縄固有の問題が前面に押し出されているという特殊性を指摘した。そしてこのように従属的な性格が沖縄の資源として開発され、懇談会資料の「東アジアの多国間協調体制」を見てもわかるように、東アジア・太平洋地域の首都機能を担っていくためのガバナンスのモデル地域として位置付けられている点が指摘された。続いてそもそもなぜ「沖縄の県民感情」といわれると納得してしまうのだろうか、この「県民感情」は誰によって作られているのかなどの疑問が投げかけられた。それを受けて沖縄などが頼らざるを得ない補助金財政の問題などが議論された。そして最後に山の手さんにより高円寺ネグリ系の活動紹介がなされ、懇談会資料の第二章にあるようにその活動が「無責任な参加」として行政に位置付けられようとも、対案がなくても「ただ反対すること」の大切さが主張され、発表が締めくくられた。
 続く塚原さんの発表は、それまでの予定が延びていたこともあって、氏の計らいにより懇親会との境界を取り払う形でおこなわれた。まず氏の実家のある岐阜県飛騨町で農協から配られた種イモを栽培したところ、ジャガイモが地上に伸びる茎に(トマトのように)生ったという興味ある事例が紹介された。そしてこれは遺伝子操作実験の種イモが紛れ込んだ結果かもしれないが、農民のリアリティーでは「今年のジャガイモはおかしかった」程度のものであったと指摘。このように科学技術をめぐる認識には、同じ結果でもさまざまな捉え方があるとして、技術に対する立場をTechno-mania(Pro-TechnoScience)とTechno-phobia(Con-TechnoScience)という軸、またTechno-Optimismと Techno-Pessimismという軸で表し、手塚治や中山茂氏などがこの座標空間内でどのような位置にあるのかを分析した。そしてこの議論をGMOをめぐる行政の立場に応用し議論がなされた。また平川さんにより生命技術の概念が新自由主義の文脈で、変化を希求する正統性を示すものとして用いられる例などが示された。しかし結局これらの議論の行方は酒の席へと消えてしまったので、これ以上の報告はできない。
 翌3日目は加藤さんの吉野川可動堰問題を事例とする発表で幕をあけた。この問題では建設省を中心とする推進派が出した安全水位としての42 cmという数値が反対派住民の調査結果をうけて撤回された。加藤さんはこの42 cmの検証がlay-expert(専門家ではないが専門家として振舞える市民と定義)によってアカデミズムの閉鎖性を抜け出した公共的空間でなされたとして、この問題をハーバマス的な意味での公共性の萌芽を裏付ける事例として解釈した。それをうけて、この科学的公共性をめぐっての議論が展開した。まず内容は工学的のようだが「科学的」とした理由について質問があがり、それについて今後より広い知の範囲を視野に入れていきたいからといった回答がなされた。続いて、42 cmを表に出さなくなったのは、市民の側の影響ではなく土木学会の解釈が二分したからなのではといった質問や、撤回ではないという結果では公共圏が形成したとはいえないのではといった質問。そもそも行政が表に出す理由は定期的に推移していくものではないかといった指摘もなされ、これらは今後の研究の指針を示すものとなった。もっとも市民運動の結果として撤回されたのではなくても、そのように市民の中で評価されたこと自体が公共性を考える上で面白い事例であるといった意見も出た。
 続いて木村さんが所沢ダイオキシン問題を事例としてリスクコミュニケーションの問題点を分析し、行政への漠然とした不信や調査の方法的問題点について発表した。そして今後の論点として「化学物質による健康リスク」「行政の不正可能性」「情報公開の十分性」「処理場受容の公平性」「予防原則の必要性および可能性」のそれぞれについて評価していくことの必要性を提案した。それをうけて不信・不安を定量的に評価するときに各人の認識バイアスをどのように考えるべきかといった議論や、住民意識の中でダイオキシンとは直接関係がないと考えられている症状の原因もダイオキシンに還元されてしまうというのはあたりまえであり、その「生の感覚」をいかに評価する項目を作っていくかといったことが課題であるといった議論がなされた。そして平川さんによりリスクコミュニケーションをおこなう上で「安心すればいいのか?」といった根本的な問題点も今後の課題として提示された。
 そして夏の学校のプログラムの最後を飾ったのは松原さんの発表であった。この発表で、今後の社会で個人が知識を持つ(資源化される)ことは、その個人の過失責任を考える上でどのような意味を持つのかという問いが投げかけられた。過失の認定においては、結果回避可能性と結果予見可能性の両者が認められることが必要とされるが、裏を返せばそのための専門知識を持たないほうが罪が軽くなるのではないか、といったテーゼが立てられる。そしてJCOの事故を例にとって、(原則として個人を裁く)刑事裁判において臨界事故をおこした作業員をどのように裁くべきかといった議論がまさに現在の問題になっていると報告した。作業員の専門知識の乏しさをどのように評価するかという問題である。しかしこのJCO事件の評価については議論が巻き起こり、とくに原子力産業などの組織の中では知識を持っていても、その意見が作業過程に反映できないといった問題点が指摘された。しかし組織の責任は、個人を追求していく裁判の過程で量っていくしかないないという現実問題に立って考察する必要性も指摘された。そして最後に「雪印」の問題に言及し、知らないことで責任を負う可能性についても指摘がなされた。
 こうして、今回の夏の学校は幕を閉じたわけだが、以上の報告でもわかるとおり、今回の議論を振り返ると予想以上に懇談会資料を中心として議論がまとまったと思う。論点をまとめると「新自由主義的な行政の決定過程に、いかに多様な人々の意見を反映させるか」というところであろうか。もっとまとめると「新自由主義」というキーワードをめぐっての議論であった。今回の夏の学校のテーマであった「STSによる21世紀の批判的構想」について、参加者がどれほど21世紀への構想を持てたかは、議論に結論を求めなかった以上、各人の評価に委ねるところではある。しかしさまざまな方向から20世紀の批判的視点を養う継起には十分なったのではないか。そうした意味で今回の夏の学校はとても有意義なものであったと思う。もっともこれらの評価は当ニューズレターに掲載されるであろう参加者の感想から推し量っていただきたい。
 最後に、今回の夏の学校ではさまざまな方に助けていただきました。テーマや懇談会資料の取り扱いについてはとくに春日さんに、実際の事務仕事の多くは隠岐さんに、そして総合的には中村さんをはじめ、事務局を中心とするさまざまな方に多くを助けていただきました。これらの方々への御礼をもってこの報告を締めくくりたいと思います。ありがとうございました。



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