【書評】『知識と権力 :クーン/ハイデガー/フーコー』(叢書・ウニベルシタス 696)   
ジョゼフ・ラウズ著 成定 薫 網谷 祐一 阿曽沼 昭裕訳
発行年月:2000.10 出版:法政大学出版局 ISBN:4-588-00696-7 価格: 4,500円+税

評者:佐藤 卓  (東京大学 総合文化研究科)




 科学/技術が日常生活の隅々にまで染み渡った今日、科学論は何をすべきか。それは私たちが生き延びるために、科学/技術といかに渡り合っていくかを考えることではないだろうか。そしてそれはテクノクラティックな科学アドミニストレーションだけにとどまらず、個人として科学/技術に関与すること、生き延びるという実践において科学/技術とうまく絡み合い、あるいはうまく抗うことをも射程に入れなければならないだろう。
 『知識と権力』の原著は1987年に出版された。著者ジョゼフ・ラウズは1952年生まれ、現在アメリカのウェズレー大学哲学教授であるとともに、「社会における科学」プログラム長を務める。このプログラムは哲学・社会学・歴史学・心理学・女性学の教員からなる学科間専攻である。近年彼が提唱する「科学のカルチュラル・スタディーズ」に先立ち、科学を実践として捉え、日常生活のようなより広範な実践に対しての位置づけを試みたのが本書である。
 本書のテーマは二つある。科学の実践的活動としての特徴を強調することと、科学的実践の認知的側面と政治的側面とが不可分であることを示すことである。その議論の拠り所となるのが、邦訳書の副題にあるクーン、ハイデガー、フーコーの議論である。では、章立てに沿ってその議論を概観しよう。
 知識と権力はいかなる関係にあるのか。既存の見解では、権力は知識に対して外在的に作用するとされる。真なる知識の獲得を促進するにせよ阻害するにせよ、それは科学理論体系の内的な作用と対置されるかたちで論じられてきた。いわゆるエクスターナルな要因というやつである。しかしラウズは知識と権力は不可分である、つまりインターナル/エクスターナルな要因という区別は無効であると主張する。
 この科学知識と政治的権力の関係という問題への導入として、ラウズはプラグマティズムと新経験論の主張に依拠するところから始める。プラグマティストの立場からは、科学的真理性の基準自体が、科学的探究という実践の産物であると主張される。また新経験論者は、科学知識の「技術的」な性格、すなわち自然に介入し操作する力を明るみに出す。したがって、権力=力は、科学的実践において世界と世界のあらわれ方を作り直す構成力的なものであり、その権力=力の行使が知識を産出するのである。
 では科学を実践として捉えるとはどういうことか。ここでラウズはクーンの『科学革命の構造』に立ち戻る。科学者集団によるパズル解きの準拠枠としてのパラダイム、という概念がその後の科学哲学に与えた影響は言うまでもない。しかしクーンが科学研究を実践的活動として捉えたことは、全くと言っていいほど看過されてきた、とラウズは論じている。パラダイムを受容することは、命題を理解し信ずるということよりも、技量を身につけ適用するということに近い。それゆえ「通常科学は共有された実践を含むが共有された信念は含まない」(p. 53) というのである。パズル解きを理論上のものとしてではなく、実践的営みと捉えること。変則事例や危機を理論的矛盾としてではなく、研究が立ち行かなくなるという実践的障害として捉えること。概念や理論の変化だけでなく、新しい道具や技巧によりもたらされる研究活動の変化。これらに注目するクーンの視点を、ラウズは強調し推進する。世界を観察し表象する、という科学観から、世界を「構築し修正し注目する」(p. 66) という科学観への転回が行われる。
 このようなクーンに対する二つの読みに対応するものとして、解釈学における二つの立場が提示される。古典的なクーンに対応するのがクワインのような理論的解釈学であり、「急進的なクーン」にはハイデガーのような実践的解釈学が対応する。もちろん本書でラウズが批判しつつも依拠するのは後者である。解釈を「命題の翻訳」のようなものとして考える理論的解釈学では、世界がどうなっているかの正確な表象が問題とされる。一方、解釈を「実践への関与」として考える実践的解釈学は、何が問題となっているかに関心を向ける。ハイデガーは、様々な対象は、解釈する現存在に対して開示される、という仕方で立ち現われ理解されると言う。対象が何であるかは、解釈者が関与している実践の布置の中で初めて明らかになるのである。しかしハイデガーは、科学的・理論的な対象の理解も実践的関与から生まれてくるのだが、それらは「脱文脈化」されているとして、そこにある種の特権性を与えている。
 ではハイデガー流の実践的解釈学を以て、自然科学について何が言えるのか。ラウズは科学的知識の実践的なローカル・ノレッジとしての性格を明らかにしようと試みる。ハイデガーは科学研究については脱文脈的な特徴づけをしているが、ラウズはこれを批判し、脱文脈化ではなく「標準化」と捉える。理論的表象それ自体も「道具的存在性」を剥奪されておらず、理論は、標準的事例を個々の問題解決のために変換することを通じて学ばれる。つまり理論とは「その含意するところが次第に明らかになるような命題というよりも、その使い方を学ぶ道具」(p. 125) なのである。そうであるとすれば、「発見の文脈と正当化の文脈」の区別も曖昧になる。装置・テクニック・人員などといった研究のローカルな文脈で使用可能なリソースも、理論的正当化の過程も、ともに「実践の布置」という次元に位置づけられるからである。
 実験というものに注目すると、実践としての科学をより捉えやすい。ハイデガーは実験室での営みを専ら観察と記録であるとみなしているが、ハッキングが論じたように、実験の役割は「現象の創造」である。そして実験はしばしば、理論主導的ではない。また実験における小世界は、現象を隔離し介入し追跡することができるように設計されている。実験室内で得られた現象は、実験室外部でも再現可能なものとして「標準化」される。あるローカルな条件下での実践を標準化することで、それはローカルな文脈を超えて利用可能な「素材」となる。そして実験を管理する「権力」は、実験室を超えて外部世界へと拡がっていく。ここでラウズの議論はフーコーの権力論と接続する。
 しかし当然、実在論か反実在論か、という枠組みでの反論が予想される。実践的解釈学の立場からは、この枠組みは適切でないことが論じられる。現象は確かに構成されたものであるが、その背後に実在なるものを想定して、それとの対応を論じることに意義があるのか。否、実在なるものが私たちに理解可能なものとして立ち現われるのは、実践を通してのみである。そして「われわれと世界との相互作用が、解釈することと解釈されたものとの間のいかなる二分法にも優先する」(p. 223) のである。極端な言い方をすれば、クォークなるものが実在するとも実在しないとも言えるのであって、ある特定の実践的科学研究においてクォークなるものが立ち現われてくるのだ、ということになる。
 このように自然科学を実践的に捉える解釈学を提示し、さらに自然科学の政治的性格を考察することになるのだが、その際ラウズが意図しているのはディルタイ流の自然科学と人間科学の峻別に対する挑戦である。具体的にはドレイファス、テイラー、ハバーマスを批判する。自然科学と人間科学の間には、方法論的ないし存在論的な本質的差異は存在しない、とラウズは論ずる。それら二つの科学間の事実上の差異は、現象に対する操作と制御の能力、すなわち「権力の戦略」にある。
 フーコーが示した様々な「権力/知識」関係と、実験室での小世界の構築・操作との並行関係を指摘することで、科学の政治的理解が試みられる。囲い込み隔離すること、可視化と監視、文書記録といった権力行使の技術が、実験室における科学的実践と対応づけられる。これまでラウズが論じてきた「課題・材料・手順・装置の標準化は、フーコーが権力の規律・訓練的行使に見た規格化の過程と興味深い対応関係にある」(p. 310) のだ。そしてその権力は、実験室外部へと拡張される。実験室の文脈から外部世界への移転がうまくいくためには、外部の社会環境も追跡、記録、分類、評価が可能であるように再編されることが求められる。というよりもむしろ実験室は、囲い込んで隔離し測定するという「世界を知られうるようにするために世界を作り直す」(p. 317) 営みの、源泉ではなくて焦点ないし象徴として考えられる。言い換えれば、「実験室内部の現象の構築・操作・制御の方策は、近代社会を貫通している権力関係のネットワークの一部としてみるべき」(p. 296) なのである。
 そう、結局は政治の問題なのだ。今日の科学知識が持つ力――世界を改変する科学/技術の力、あるいは科学的「合理性」が自己を正当化する力――は確かにそこにある。それが実在を反映したものであれ、半ば恣意的に構築されたものであれ、その力は行使され、世界を、そして私たちを変えようとする。私たちがより良く生きるためには、科学者を論駁することではなくて、科学/技術を含めた権力の不可視なる網の目にうまく巻き込まれる、あるいはうまくそれをくぐり抜けることが必要である。そのための政治哲学については、本書ではいくつかのパースペクティブが与えられるにとどまっている。しかしながら、科学論の実践的解釈学への転回、そしてさらに権力論への転回を試みた本書は、科学/技術と社会の関係を考えるための一つの出発点を与えたと言ってよいだろう。




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