-- GMOワークショップ参加報告記 --
 EASSTワークショップ
 「食糧、農業、バイオテクノロジー:最近の論争、STS研究、政策形成過程」(リスボン、2001年2月8-9日)

   中村征樹  (東京大学 先端科学技術研究センター)




 2月8日、9日、リスボンで開催されたEASSTのワークショップに参加した。同ワークショップは、去年の9月にウィーンで行われたEASSTと4Sの合同年会の際に話が持ち上がったもので、バイオテクノロジーやGMOをめぐって研究している(おもにヨーロッパの)STS研究者のあいだで議論の交流を深め、今後、どのようなかたちで各国の研究者間の連携が可能なのかを探ることを目的に開催された。日本からは、神戸大を拠点とするGMO科研プロジェクトの代表である三浦さん、最近、NJに加入された下斗米さん、そして筆者の3人が参加した。今回は、ヨーロッパのSTS研究者の間でのワークショップを想定していたため、日本から参加者があったことに、一同、驚いていた様子であった(なんといっても、筆者の滞在しているパリからは飛行機でわずか2時間、オランダやベルギーからでもそんなに変わらないことを思えば、日本でいえば国内でやっている研究会に海外からの参加者があったようなイメージなのだろう)。
 今回のワークショップは、各自のこれまでの研究を踏まえた上で、GMOをめぐるSTS研究の今後のアジェンダを設定することを主眼としていた。それゆえ実際のワークショップの進行は、各参加者の個別報告の場というよりも、アジェンダを設定するための論点の提示と参加者間のディスカッションに重点が置かれたものだった。とはいえ、議論はそう簡単に収拾するような性格のものではなく、ホテルでの朝食時からアルコールを交えた深夜にいたるまで、2日間をフルに使って議論が繰り広げられていった。そこで提示された論点の多様性と複雑さゆえ、会議の最中、幾度にもわたって議論の整理が試みられたにもかかわらず、議論はかならずしも収拾したとは言いがたい。しかし今後の連携した取り組みにむけての第一歩を踏み出したという点で、今回のワークショップは非常に意義あるものだったといえるだろう。
 ここでは、ヨーロッパにおけるSTS研究の動向報告という意味もかねて、そこで提示された論点のうちとくに興味深かったいくつかの点について紹介することにしたい。
 
 ワークショップは、GMOをめぐるSTS研究で軸となる点を確認するものとして、ブライアン・ウィン(ランカスター大学)、ロブ・ハーゲンダイク(人文・社会科学国際研究所、アムステルダム)、レス・レヴィドウ(オープン・ユニバーシティ)、クレア・マリ(フランス国立農業研究所)による報告からはじめられた。
 ウィンははじめに、社会学者や他の社会科学系研究者によるリスク研究が、リスク概念それ自体が政策によって「構築」される点を見落としていることを指摘する。しかし一方で、バイオテクノロジーのような技術革新によって方向付けられる科学研究を分析するにあたって、これまでのSTS研究は、「科学知識の社会学(SSK)」に顕著に見られるように、科学知識の産出プロセスの分析に偏重してきた。それゆえ、技術革新(innovation)がSTSによる挑戦的な分析の対象外となってきたと批判する。その上で、ウィンは、科学技術の民主的なコントロールを構想していくための留意点として、次の2点を強調する。第一に、「リスク」概念のはらむ問題性。1970年代のテクノロジー・アセスメントの議論には、「われわれは科学技術のもたらす社会的影響を科学によって予測することができる」という決定論的な思考が背後に控えていた。そのような思考様式は、こんにちにおいては、リスク評価における「科学性」を強調する論調に継承されているといえるだろう。というより、そもそもリスク評価とは、非常に還元主義的な文化に根ざしているのだ。そのことを踏まえた上で、第二に、ウィンは、一般人の科学理解(PUS)に着目する。ただしそれは、一般人の科学に対する態度、理解、反応を、科学への「誤解」(misunderstanding of science)という観点から捉えるものではありえない。リスク評価に利用される科学知識において、科学研究はパラダイムのなかでしか遂行されえないがゆえに、その枠ぐみに載りにくいものが見落とされてしまう。PUSは、そのような科学知識の状況依存性(contingency)を補完する役割をになう。いかなる目的のもと、どのような状況のなかで、人々がどのように行動し、実際には何をしているのかに着目し、彼らの日常的実践のなかに埋め込まれている知識、「知恵」を掬い出すことによって、「リスク」の同定は、これまでの還元主義的で決定論的な文化から解放されることになるだろう。
 続いてハーゲンダイクが、EUにおいて進められている研究プロジェクトの概要を説明した。同プロジェクトには、イギリス、フランス、ドイツ、オランダなどからの参加があり、各国で、科学技術の進展やそれをめぐる政策決定がどのようなかたちで行われているのかについて国際比較が行われている。そこではGM食品、情報コミュニケーション・テクノロジー、バイオテクノロジーが分析対象としてとくに取り上げられている。ここで、それらのトピックをめぐる各国の反応の違いは、文化や政策決定システム、信頼関係のありかたや「不確実性」に対する態度の違いなどに由来していると考えられる。そのなかでも、リスクをめぐる問題がどのようなかたちで設定され、いかにして政治的アジェンダに登場してくるのかに着目し、それを基本も出るとして設定した上で、その各国ごとの類型的な把握が目指されている。そのような分析は、科学技術をめぐる民主的な意思決定を可能とするシステムの構築を念頭においたものである。
 さらにハーゲンダイクは、翌日のセッションで、「ヨーロッパにおける科学、社会、市民」と題された、ヨーロッパ委員会(EU議会と同評議会に対して議案を提出する委員会。同委員会の発議をうけ、EUにおける法制化が行われる)のワーキング・ドキュメントを紹介した。(なお、そのpdf版は http://europa.eu.int/comm/research/area.html から入手できる。)同報告書はEUのより具体的な政策形成にむけた広範な議論を引き起こすための土台として書かれたもので、そこでは、社会が達成しようとする狙いに対して科学研究政策を連動させること、科学研究のアジェンダの設定に社会を全面的に巻き込むことの必要性が謳われている。科学知識や技術的ノウハウは、いまやそれを産出し開発するサイドの活動だけから得られるものではない。患者団体や交通機関利用者の団体、消費者団体などが研究活動を監視し研究計画に関与することによって、より社会の必要に即した科学研究が可能となっている。そのもっとも望ましいあり方を探るため、国家レベル、EUレベルにおけるその経験をめぐり比較研究が必要とされていることが指摘される。さらに同報告書では、科学研究者、専門家、行政官、産業界、一般市民のあいだで新しい形の対話を発展させていくための試みとしてコンセンサス会議が取り上げられている。ハーゲンダイクは、同報告書を、STS研究のこれまでの議論が反映されたものとして批判的に取り上げると同時に、GMO問題をめぐるSTS研究をどうしたら実りある形で遂行していくことができるのかという問いを提示した。
 レヴィドウとマリは、GMO問題が、政策決定過程やオルタナティブな将来のシナリオ、そしてSTS研究にとってなにを問い掛けているのかをめぐり、いくつかの論点を提示した。第一に、EUにおけるGM作物の規制は、政治的な規制措置に還元されるものではない。そこではむしろ、市場のほうがより重要な役割をはたしている。そもそも多くの小売業や食料品加工業者がGM食物を排除しているし、たとえGM作物の商業的耕作が認可されたとしても、市場での受け入れにたいする不安ゆえほとんどの農家が種の買い付けを見送ることだろう。つまりそこには、一般の人々による圧力をこそ見て取るべきだろう。そしてその背景として、農作物をめぐる政策が一部の専門家の判断に委ねられ、透明性を欠いていること、政策決定過程への市民としての介入が排除されていることをめぐる、一般市民の側の不満が反映されていることが指摘できる。第二に、GMO問題をめぐる一般市民を巻き込んだ論争は、科学者間の意見の不一致を表面に出すものでもある。科学者のあいだでも、安全性テストの設定とその解釈をめぐって表立った意見の相違があり、それゆえ多くの科学者がGM作物の商業的利用をめぐりモラトリアムを訴えている。規制機関は、そのような見解の齟齬に対して、科学的な不確定性の予防原則による対処、潜在的な危険性をめぐる研究に対するより多くの資金供与、より「高度な(sophisticated)」GM技術の開発の促進など、様々な形で対処しようとしている。さらには、諮問委員会に一般市民や環境専門家、GM作物に公然と反対している人々などをも組み込むことで、公に吟味され検討されるような規制のありかたが探られてもいる。第三に、一般市民のGM作物に対する抵抗は、代替的な農業技術開発のありかたを推進するものでもある。一般市民の反応に促されて、小売業は農家に、農薬の使用を軽減させるような耕作法を求め、そのための援助を行うようになってきており、また有機農法もスーパーなどを通じて拡大されてきている(実際、パリに住んでいると、有機食品の専門店をよく見かける)。さらに、そのような議論は、GM食品に対する規制の問題にとどまるものではない。そこで問題となっているのは、「どのような農業と社会を私たちは望むのか」という問いである。実際、「持続可能な発展(sustainable development)」が政策のスローガンとなり、政策形成過程において追求される「発展」はこれまでとは違った含意をもちはじめている。そして最後に、以上のような変化のなか、STS研究もまた、これまでとは違った形で問いを設定し、さらにその成果を、政府や企業が理解しその意思決定過程に組み込めるようなかたちで提示することが必要とされている。そこでは、GMOをめぐる議論で前提とされている諸概念を問いに付し、「なぜ一般市民はGM食品に反対するのか」といったテーマを分析するだけではなく、「どのような科学技術の発展が促進されるべきなのか」、「どのようなモデルの科学が推し進められるべきなのか」「GMOをめぐる諸問題から、より広範な『科学と統治』というテーマはなにを学ぶことができるのか」といった、より具体的で政策関与的な研究を進めていくことが必要だろう。
 以上の基調的な問題提起を受け、様々な議論が繰り広げられていった。そのなかで関心を引いた論点としては、PUSにおけるメディアの位置、そして政策形成過程に対してSTSの果たしうる役割をめぐる問いがあげられる。
 PUSにおいてメディアの役割を無視することはできない。GMO問題をめぐる一般市民の反応とは、そもそも、「メディアによって媒介された(mediated)」反応であり、メディアを媒介しての問題への関与だということができるだろう。そのことを踏まえたとき、一般市民の政治参加と意思決定においてマスメディアの果たす役割を把握する必要があるだろう(ウルリック・フェルト、ウィーン大学)。その際、イナ・ヘルスタイン(アムステル大学)らは、メディアが一般市民に対してどのように語りかけているのかに着目し、それを科学技術情報の伝達において利用されるメタファーの役割という観点から定量的・定性的分析を行っているという。
 また、メディアへの関心はマスメディアにとどまらない。コミュニケーション・メディアに着目するならば、それはむしろ社会的な関係性の場でもある。そのような観点から、メディアがコミュニケーションの媒介として果たしている役割、貢献に着目する必要があるだろう。しかし、インターネットの担う役割の急激な増加にもかかわらず、インターネットをめぐるこれまでの研究はサイバー空間の役割にあまりに偏重してきた。だけれども、人々はオンラインでの行動をオフラインでの行動と結び付けているのであって、そのようなオンラインとオフラインを交錯するハイブリッドな行為のありかたに着目する必要があるだろう(ポール・ウッター、オランダ王立芸術・科学アカデミー)。
 さらに、STSの果たしうる役割をめぐる問題は、今回のワークショップのなかでももっとも議論された点だった。そこでは、ウィンの報告とも関連するかたちで、STS研究にとっては科学知識をとりまくブラックボックスだけが問題なのではなく、一方で科学技術をめぐる諸問題をどのように現在の社会的、政治的状況のなかに位置付けるのかが重要な問題であることが指摘された(ジャン・アリスカド・ナン、コインブラ大学)。その上で、多様なセクターをどのようにしたら媒介することが可能なのかという問題(フェルト)、政治的なアリーナを開き(ウッター)、科学が使われるあり方を民主化する(マリア・ゴンサルス、労働科学・企業高等研究所、リスボン)ためにはどうすればいいのかという点が議論の焦点となった。その際、政策への関与をめぐっては、STS的諸問題において前提とされている概念や枠組みを炙り出すことによって、行政官のテクノクラート的なものの見方を「開く」といった、非間接的なかたちで政策形成過程に影響を及ぼしていく方法は多様にあること、そのためには、行政官がSTS研究から得られた結果を利用できるよう、研究成果を「翻訳」することの必要性が指摘された(ゴンサルス)。また、STS研究者が「聴衆」としてだれを想定するのかという点も問題にされた。そこでクレア・マリは、行政官、科学者、産業界、NGOを挙げ、ただしそれらの集団は互いに均質的なものではないことに留意する必要を確認した。さらに、論争の持つ潜在的な積極的役割が指摘され、実りある論争の実現というかたちでSTS研究が公共的な意思決定過程に貢献しうることが指摘された。
 以上、ざっと見てきたように、今回のワークショップでは、非常に刺激的な議論が展開された。個別的な論点では、メディアにおけるメタファーというアプローチは、「善玉」「悪玉」コレステロールをめぐる松山さん(青森公立大学)の研究を思い起こさせるものだったし、一般市民を巻き込んだ論争の持つ科学者間の意見の不一致を表面化するという役割については、今回のワークショップのために平川さん(京都女子大学)が用意したペーパーでも農水省のコンセンサス会議をめぐって指摘されていたように(その概要は、本Newsletter前号の平川さんの記事を参照のこと)、研究水準それ自体は日本も遅れをとっていないとは感じた。しかし、いまさらながら、STS研究者数の圧倒的な格差(というよりもむしろ、日本のあまりもの少なさ)とそれゆえの研究の蓄積の違いには圧倒された。また、日本もこれから中国や韓国との連携を図っていくところではあるが、ヨーロッパではそのような連携がたとえば国際比較といったかたちですでに実を結んできているのは印象的だった。
 しかし、筆者がなによりも感銘を受けたのは、そのような研究成果の蓄積や個別的な議論のクオリティーもさることながら、政策形成や公共的な意思形成過程への関与がどのようなかたちで可能なのかを熱心に探り、そのなかでこれまでのSTS研究のありかたの問題点を捉えなおし、これまで蓄積されてきた成果を活かしながらSTS的諸問題のより具体的な解決へとむけて多様な可能性を探ろうとしている、その姿勢だった。その意味で、今回のワークショップは、STS的問題の一つとしてのGMOに関する議論にとどまることなく、今後のSTSのありかたを構想していく上で、非常に重要な問題を提示してくれたというべきだろう。
 なお、今回のワークショップを今後の連携した取り組みにつなげていくため、近日中にウェブサイトが立ち上げられる予定である。同サイトでは、本ワークショップの詳細な報告も掲載される。そのアドレスについては、サイトが立ち上がり次第、本Newsletterおよびメーリングリストなどであらためて告知することにしたい。



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