特集 遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議

【市民パネルから】 市民の立場を尊重することで“共に咲く喜び”を感じることができるか
前島修  (市民パネル)





 市民パネラーとして『遺伝子組換え農作物を考えるコンセンサス会議』に参加する機会を得、今回、会議を終えての感想をNews Letterに執筆する場を与えて頂いた。コンセンサス会議についてまだまだ認識不足の私ではあるが、一方ではありふれた参加レポートに終わらせたくないという気持ちもあり、市民の立場から何らかの問題提起ができればと願っている。市民の存在についてや現在の自分の職業と市民との関係、今後のSTSに期待することなどを自由に述べてみたい。

 理系人間、文系人間というのがあるらしいが、そんなものは存在しない、と私は密かに信じている。あるとすれば、本人がそう思い込んでいるだけのことであろう。
 このあたりから市民の定義について考えてみることにする。
 科学技術への市民参加という言葉を目にしたとき、初め、文系人間の理系参加を思った。私自身は理工系の大学院を修了しているのだから、傍から見れば理系人間になるのかもしれない。しかしながら、一度として私は、自分が理系人間であるという立場を意識したことはない。それでも敢えてここでは自分を理系人間とするならば、科学技術への市民参加において理系人間は何をすればよいのだろうか、と考えてしまう。
 仮に、科学技術の先端にいる人々を理系人間としたとき、素人の存在は多分に文系人間を指すことになるだろうから、素人を市民と置き換えてみる。このとき、市民=文系人間か、と問われれば、何か違和感が残るのである。“市民”には何かもっと別の重要な意味が込められているように思えてくる。
 “市民”を何ものをも失うことのない存在だとすれば、そこには、たったひとりの人間としての尊厳が揺るぎなく立ちはだかっているのみである。市民とはいかなる存在か、とコンセンサス会議を終えてからも、しばしばそのことについて考えている。
 会議中、私は自分が市民であるということを再認識し、また、はじめて強く意識することで“市民”を充分に謳歌することができた。市民パネラーにこのうえない喜びと自由を感じ、そこに何の束縛も制約も受けることのない、自由な存在としての自分、を認めることができたのである。その状態から発せられた言葉は一体何を意味するのか――。
 会議以降の私の思考パターンとして、市民とは何か、について考えることは同時に専門家の果たす役割について思いを巡らすことにもなった。そうして、いつもひとりの人物のことが思い起こされてくるのだ。
 昨年お亡くなりになられた高木仁三郎氏は、原子核化学の専門家でありながら市民でもある、ということにこだわり続けた人である。ふたつの立場を同時に追求する過程において相当に苦労されたようである。その一連の活動記録が科学・技術と社会との関わり方の難しさを如実に物語っているのは言うまでもないが、それでも市民との関わりについて模索され、最終的には“市民科学者”の立場に辿り着かれた。市民科学者・高木仁三郎の発言とはいかなるものだったのか、と先程の自分の思いとも関連づけて考えてみるのだが、なかなか答えは見つからない。
 現在、建設コンサルタントとして社会資本整備に携わっている私にとって、市民科学者・高木仁三郎という存在はたいへん興味深いものがある。というのも、土木技術者は、市民のための技術者として長期にわたり社会資本の整備に貢献してきていながら、日本では市民のための技術者として認められて来なかったからである。欧米などでは、Civil Engineerはその名の通り市民技術者として社会に認められ、その社会的地位もかなり高いとされている。しかしながら、日本ではご存知のようにこの有り様である。
 高木仁三郎氏の活動からも見られるように、市民のため、という立場が日本ではあまり歓迎されない背景にその要因があるのかも知れない。未だきちんと論じられていないが、市民と科学技術との関係に、建設コンサルタントの立場から関わってみるとき見過ごすことの出来ない事実であり、日本の社会を理解するうえで重要な何かが隠されているようにも思えてくる。
 「志というのは、単に思い入れとか願望ではなく、その人の全人格を賭けて具体的な実践への契機を持ってほとばしる意志でなくてはならないだろう。真の批判とは、批判的分析・否定を通り抜けて、最終的には創造へと飛翔すべきものである。」と言った、市民科学者・高木仁三郎の言葉を見習って、今は市民技術者になるべく“社会”に貢献していきたいと思っている。
 いま、主役は市民である。地球全体が市民科学者になれることができるかどうかはひとつの大きなテーマだろう。建設コンサルタントは本当の意味で、市民のための技術者となれるように、より一層科学技術への正しい理解が求められてくることと思われる。
 ここで少し、私がテクノロジー・アセスメントに関心を持つようになった経緯について述べてみたい。
 建設業界のなかに技術評価を必要とする問題がたいへん多く集約されていることや、高木仁三郎氏の活動に刺激を受けたことも切っ掛けとしてあるが、それ以前に私自身が“社会”をより強く意識するようになっていたことが最大の理由として挙げられる。
 “共に咲く喜び”という武者小路実篤の書が実家にあるが、私は成人を過ぎたある時から“共に咲く”という言葉に“運命共同体”をみたのである。そして実篤の書から想起される広い世界観を知ったのだ。それまでの私は血縁関係で結ばれている親兄弟や親戚、学校で知り合った友人達だけで自分の世界を創ってきた。しかしながら、例えば、私の先祖であっても、私と“共に咲く”ことはできなかった、という紛れもない事実を素直に認めたとき、それまで遠くに感じていた他人が急に身近に感じられるようになってきたのだ。そのとき、いま“同じ時代を生きる人々”と“喜び”を感じてみたいと思ったのである。しかし、何に“喜び”を見出すのか。果たして、この時代において“共に咲く喜び”など感じることがそもそも可能なのだろうか、と不安に思えてきたのである。
 その後、科学技術への市民参加にひとつの希望を見出し、Science, Technology and Societyはそのためにあり、またSTSとはそういうものだと理解した。二十一世紀は市民が運命共同体としての活動を意識することで、人間はもう少しまともになれるのではないかと思っている。
 「結局、最後のところは、やはり〈他力〉ということなんだろう」と、作家・五木寛之は『他力』のなかで語っているが、この『他力思想』や『ルパーク・シェルドレイクの仮説』、『ミーム学』といった目には見えないが確かに存在し、精神文化を形成するのに何らかのかたちで関与しているものにも踏み込んでみて、社会的合意形成というものを考えていって頂ければと思う。科学・技術と社会との関わり方について論じるにあたり、さらに深みが増すのではあるまいか。
 コンセンサス会議に限って言えば、今後の取り組みとしてデンマーク式という服に合わせるか、日本式という着たい服を探していくかのいずれかであろう。私は後者の方に期待しているが、市民パネラーはまず、頭をからっぽにして参加すべきだと思う。何も知らないことを武器として、初歩的な質問を専門家達にぶつければいい。なぜその技術を開発する必要があるのか、と。実は当たり前に思える事を説明するのが、本当は最も難しいということを専門家自身がよく知っているのだから。
 年末から年始にかけて、二十一世紀の展望といった特集記事が新聞に数多く掲載された。大臣に聞く、とか、各界著名人の対談集など、どれも立派な〈読み物〉だった。ここで〈 〉を付けて〈読み物〉としたのは、まだ何も実現はしていませんよ、という皮肉を込めた気持ちを何らかの形で表現しておきたかったからである。
 専門家とは所詮そのようなものである。
 話し手の心に二十世紀の反省のようなものが色濃く漂っており、二十一世紀に向けての力強いメッセージを感じることはできなかった。あらゆる分野における抜本的な改革の必要性が、教育・政治・経済を軸に展開されていた。そのなかでとりわけ、ひとりの人間としての生き方を論じ「農」に注目したもの、IT革命について、単に数値や統計を知らせるものではない、「情報」とは基本的には人間の情を伝えるものである、といったコメントが新鮮であった。
 コンセンサス会議は単に市民参加のツールである、との認識しか持ち合わせていないが、いま、コンセンサス会議を推進していきたいという私の気持ちの根源には、IT革命に反抗しての人間と人間との会話によるコミュニケーションの推奨のようなものがあるのかもしれない。
 「農」や「情」という、どちらもアナログ回帰を思わせる言葉が印象に残ったことで「人間はアナログの存在である」といった無言の主張が私の中にあることを発見した。私は、テクノロジー・アセスメントに関して、きちんと体系的に勉強したわけではない。今後もおそらくそれをしないだろう。コンセンサス会議に参加して、市民の立場を大切にしていきたいと思ったからであり、市民の立場からしか本当に求められているものは見えてこないと感じたからである。
 いずれにせよ、自分の人生を二十一世紀に託すことになる。市民の立場を主張し続けることで世の中がどのように変わっていくのかをScience, Technology and Societyに注目しながら静かに見守っていきたい。



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